八 霜降①
秋も深い。
色づいた庭の木の葉も風に吹かれ、残りわずかになってきた。
『なずな』という伺候名で宮仕えをしていた少女が、この京極の館――丹雀の館――で暮らすようになり、もう一月近くになる。
初めてこの館で目覚めた日。
眠り始めて丸一日後の、それも夕刻と知らされて驚いた。
(この館の影の主的存在でもある)せりが言うには、昨日の明け方、宮の太政大臣の客人である巫覡の従者が、車寄せから続く濡縁で倒れているなずなを見付けたのだと言う。
完全に気を失っていて、呼びかけても反応らしい反応のないなずなを案じ、日が高くなるのを待っていつも世話になっている薬師を呼んだ。
診立てによると、確かにひどく疲れているようだが、顔色も悪くなく呼吸も落ち着いている、今はただ眠っている状態に近いので案じなくてもよい……ということだった。
が、せりたち館の従者は皆、心配した。
年若い娘がこんこんと眠り続ける様は異様で、彼女が冥府と隣り合っているように感じられてならなかった、と。
そもそも彼らは、『よんどころない事情』が出来てしばらく宮中から戻れない、という主からの言伝と共に、なずな……鶺鴒の姫を十分にお世話し、もてなすように命じられている。
太政大臣及び王族にとって大切な預かり人だとも聞かされているそうだ。
(きっと……我は色々と知りすぎた。そういうことね)
せりからそう聞かされた時、なずなはそう思って密かに苦笑した。
ぼんやりとした記憶しかなかったが、己れが王族の方々の秘密に関わり、紅姫の形代となって冥府に沈みかけたことは、うっすら覚えていた。
目は覚めたものの、なずなは衰弱していた。
どこが悪いというほどでもないが、身体の芯にしつこいだるさがあり、容易に取れそうもなかった。
どちらにせよ、簡単に動けそうもない。
ここはしばらくの間、ありがたく世話になるしかないと彼女は腹をくくった。
せりはなずなが目覚めるとすぐ、食事を用意してくれた。
程よく冷めた湯冷ましをゆっくり飲むと、ようやく己れが『生きている』実感が持てた。
柔らかく炊いた粥やさっと煮た白身魚、細かく刻んだ青菜の塩漬けなどが供され、なずなは、ゆっくり少しずついただく。
ひとくちひとくちがじわじわ、身体へしみいるような気がした。
胃に優しい食事。
清潔であたたかい夜具。
程よい距離感の従者たち。
居心地良く整えられた環境でなずなは、それから数日、とろとろと眠って過ごした。
眠りから覚めるたび、薄紙を剝ぐように体調は良くなってくる。
五日も経つとほぼ元通りになった。
しかしそうなってくると、だんだん己れの行く末が不安になってきた。
元々は『死ぬ筈』だった己れ。
今更宮中に戻れはしないだろうし、鶺鴒の里へ帰れる可能性も薄い。
かといってどこか知らぬ土地で、名や身分を変えて暮らすのも難しいだろう。
野に放ってしまうには、なずなは、中途半端に知り過ぎている。
もちろんなずなは、知り得たことなど決して他言しない。
しかし『他言しない』となずなが誓っても、王族の方々がそれを信じるかどうかは別の話であり、また仮に信じて下さったとしても、己れを野に放って関わらずにいてくれるとも思えない。
この屋敷で飼い殺し……が、一番穏やかな処遇で、場合によっては口封じの為に殺される可能性もあろう。
一度は死を覚悟した身、王族の方々の御為ならば殺されても仕方がないと思ってはいるものの、生き返ってこうして平穏に暮らし始めると、やはり命が惜しくなってくる。
ここから出ることが出来ないのならばと、ある時、こちらの館で何か仕事をさせてほしいとせりに頼んでみた。
が、貴女さまは我らの主からお預かりした客人だと言って取り合ってくれない。
「確かに詳しいことは聞いておりませんが、主は貴女さまをこちらの従者にとは考えていらっしゃらない様子ですよ。貴女さまは我らの主のみならず、畏き方々にとって大切な客人だと心得るよう、仰せつかっております故」
そこまで丁重なもてなしを受ける意味がよくわかならなかったが、なずなはどうやら今、丹雀の館における『賓客』らしい。
この不自然な状況に困惑するしかないが……、なずなに出来ることは、次の沙汰を待つことだけであった。
目覚めた日から十日ばかりたった、ある宵。
地味にやつした牛車が、ひっそりと館の車寄せに着いた。
宮の太政大臣がお帰りかと、なずなはせりたちと共に迎え出る。
「……え?」
思わず小さな声が出てしまった。
牛車から降り立ったのは……あまり顔色の良くない、苦悩が額に貼りついてしまったかのような表情の、縹の御子だったから。




