七 それぞれの朝、それぞれの思い⑥
あまりよく眠れないまま、縹の御子は翌朝を迎えた。
玖珠の思いがけない来訪に内心うろたえ、肝心なことを確かめなかったと、仁礼を下がらせてもう一度夜具に身を横たえた後、御子は気付いた。
そもそも何故、紅姫はなずなの居場所を知っていたのか?
何故かの方は、なずなや御子と共にアチラへ墜ちた訳でもないのにその後のあれこれを知っているのか?
いや、この疑問については。
どちらかと言えば『察している』という方が正しいのかもしれないが。
でも、何故かの方がそんなに的確に『察する』ことが出来たのか、御子にはわからなかった。
それに、『知っている』にせよ『察している』にせよ。
目覚めてすぐ御子へ見せた、あの屈託のないほほ笑みは?
御子をまっすぐ見つめた紅の瞳に、あの時、不安や不快の影などまったくなかった……。
(いずれにせよ。一度、ちゃんとお話をしなくては)
御子は思う。
十分眠れず疲れが残る頭には、鈍い痛みがあった。
身支度と軽い朝食の後、御子は紅姫の私室を訪う。
そちらへ伺いたいと申し入れた時、紅姫から、未だ体調が十分回復していない故、臥せっているがかまわないかという返事があった。
その返事にそこはかとないよそよそしさを感じつつも、御子は、お身体の辛い時に申し訳ないが出来れば早めに会いたい、無理を言って済まないと返した。
言伝を持ってきた若い女房の態度も、表面に出るほどではないものの、どこか冷ややかであった。
(これは……、あちらへ行くと針の筵であろうな)
ある程度正確な事情を知るとはいえ、務めの性質上、玖珠が周りに軽々しくしゃべるとは思えなかった。
が、こういうことはなんとなく……それこそ女主の沈んだ表情や言伝を返す口調などから、周りは知ってゆくのだろう。
少なくとも、紅姫と縹の御子との間にわだかまる何かがあると、女主に過保護なあちらの者たちは察していよう。
しかし逃げてはいられない。
下腹に力をためるように息を調え、御子は、仁礼だけを連れて紅姫の待つ部屋へ向かった。
許されて御子は入室した。
夜具の上へ半身を起こし、肩にあたたかそうな毛織物を羽織った紅姫が御子の方へ視線を流す。
どことなく表情が固い。
「お身体の加減はいかがでしょうか?」
それでも優しい口調で、紅姫は縹の御子を気遣う。
「お気遣いありがとうございます。おかげ様で、昨日に比べずいぶん楽になりました」
紅姫はふと真顔になり、囁くように
「かの方とお会いにならないのですか?」
と、問われた。
思わず絶句し、逡巡するように目を泳がせる御子の様子を紅姫はかすかに憐れむように見て、さり気なく人払いをした。
「縹の御子」
頬を引き、紅姫は改まった感じで御子へ呼びかける。
「何でしょうか?」
冷たい汗を背中に感じながら御子は答えた。
のどがカラカラだった。
「なぜ我が、なずな……鶺鴒の姫の事情や、伯父君さまの事情を知っているのか、疑問に思っておられましょう? まずはその辺りのことを少し、お話します」
薄闇の草原でなずなに会い、紅姫にまとわりついていた影のような業の紐を彼女が引き受けてくれたこと。
業が移った途端、なずなが冥府へ墜ちたこと。
その刹那、なずなを追って大きな白鳥が紅姫の横をすり抜け、共に冥府へ墜ちていったこと。
その白鳥が縹の御子だと、本能的にわかったこと。
「その時に覚りました。縹の御子にとってなずなは、共に死にたくなるほど強い愛情を持つ相手なのだと」
「いえ、それは必ずしもそうではありませんよ、紅姫」
御子は言ったが、紅姫はあきらめ笑いを口許に含んで首を振った。
「……話を続けましょう。お二人が消え、我のみが草原に取り残されたのです。どうしていいのかわからず、おろおろしながら我は、あてもなくお二人を探しました。辺りは徐々に暗くなり、それにつれて我は、身体がうまく動かなくなってきて……心細くなり泣いておりました」
そこでひとつ、紅姫はほっと息を吐いた。
「そこへ、不意にあたたかな光の塊が現れて……、我は保護されました。その光は大白鳥神の御魂を依りつかせた伯父君さまだったのです。最初は訳のわからないまま、光に包まれてうとうととしておりました。その曖昧な眠りの中で我は、伯父君さまの記憶の断片を、さながら絵巻物を見るような感じで眺めておりました。なずなが何故、我の業を代わって背負ったのか。それがいつから計画されていたのか……を」
縹の御子は黙って、紅姫を見ていた。
紅姫はやや伏せ気味の、遠い目をしていた。
「我がごく幼い時に、十二になる前に儚くなるという神託を受けていたこと。ただしそのさだめを形代へ移すと長生きできることも、同じく告げられていたこと。そのために王国中を探し、なずな……鶺鴒の姫を見出したこと。つまり我の知らぬところで、国策として我の延命が図られていたのです」
「でも紅姫。それは仕方がないといいますか、おそらく伯父君さま方も苦渋の決断だったと……」
我ながらやや白々しいと思ったが、御子は言った。
大人たちは大人たちで必死に紅姫の延命を図ったのだろうことは察せられる。
身内の娘を助けたいという思いだけでなく、さっき紅姫の言ったように『国策』の側面もあるだろう。
なにしろ紅姫は、最も濃い『大白鳥神』の血を引く姫御子なのだから。
だが何も知らなかった紅姫が、そのことを負担に感じる必要はないと、御子は強く思う。
「そうでしょうね。でも我は、他人の命を犠牲にしてまで生きたくはありません。ましてや……」
そこで紅姫は顔を上げ、光のない瞳でまっすぐ、御子の瞳を見た。
「今まで我が、誰よりも大切に思ってきた『縹にいさま』の、密かな思い人の命を奪って生きるのなど。……死んだほうがよっぽどましです」




