七 それぞれの朝、それぞれの思い④
「玖珠殿!」
咎める仁礼の声へ、玖珠は酷薄ですらある薄い笑みを返した。
「不敬は承知の上。罰せられることになったとしても、我は静かに受け入れます。しかし……」
玖珠の双眸は非礼なまでにまっすぐ、夜具の中で横たわる縹の御子を見た。
「我が改めて言うまでもなく。貴方さまの最愛は、紅姫であらせられる。少なくとも我はそう信じておりましたし、紅姫もそうお信じだと、僭越ながら我は思っておりました。でなければ御子さまは、姫さまが病み付かれた日よりこちらへお越しになられ、女房たち以上に親身になってお傍で看病なさったりしないであろうと……」
「玖珠殿。何が言いたい?」
やや険を含んだ声で仁礼はさえぎる。
玖珠は再び、酷薄に笑む。
「別に。独り言のようなものです」
いなすように仁礼に返すと、玖珠はやや遠い目をする。
「我はお務めの質故、女としての幸せを捨てた身」
そもそも衛士に女性は少ないが、優れた腕前が要求される護衛士となると、どの御代でも片手で数えるほどしかいないもの。
王族の女性の警護の為、女性の護衛士は一定数必要とされたが、なかなかなり手がないのが実情だった。
貴人の警護は激務であり、常にそばに侍る必要がある上、女性護衛士は体調の変化を抑える為に月のものを止める薬を飲み続ける規則になっていた。
護衛士としてのお務めが出来なくなる頃には娘盛りはとうに過ぎ、仮に縁あって結婚したとしても、身体に蓄積した薬の影響で子を望むのが難しくなっているのが通例だった。
よほどその仕事に思い入れや誇りを持つ者でなければ、出来ない務めでもあった。
「しかしそれもお幸せな紅姫を近くで拝見し続けていられる喜びには敵いません。我自身の幸せ以上に、紅姫が御子さまとお幸せであらっしゃることの喜びが勝りました。……ですが」
ふっと小さな息を吐く玖珠の目は、冥府の闇よりも不吉だった。
「縹の御子さまとそば付きの方々が、こちらへお移りになられてしばらく後の、宵のはじめ。姫さまは我をお呼びになり、人払いをしてこうおっしゃいました。
『縹の御子はきっと、なずなをお探しになられる。もし、かの方が誰かに、なずなを探すよう指示なさった場合。宮の太政大臣の京極の屋敷にいらっしゃると伝えなさい』
……と。
何故ここで、里帰りした女童の名が出て来るのか、我には意味がわかりませんでした。すると姫さまはあきらめたような笑みを浮かべ
『あの方が本当に愛しているのは、我ではなくて、なずななのよ』
とおっしゃるのです。
にわかには信じられませんでしたが、姫さまが危篤状態に陥り、御子さまが人事不省になられた昨夜から今朝にかけての、此岸側でなく彼岸側でのあらましを簡単にお聞きしました。正直に申し上げ、我は半信半疑が否めませんでした。熱が姫さまに見せた幻ではないかと、失礼ながら思いました。でも姫さまのお話には……、奇妙なまでに、実感がこもっておりました」
玖珠はふと、まぶたを伏せた。
「我は申し上げました。その言伝はお預かりします、しかし縹の御子がなずなのことを気にしない限り、お伝えはしないということでよろしいでしょうか? と。紅姫は了承されましたが
『今宵にもあの子の行方を気になさる筈。そうなれば……我の言う通りだとわかるでしょうから』
とおっしゃったのです」
玖珠は鋭く目を上げた。
「まさかとは思いましたが。本当に今宵、御子さまがなずなの行方を気にされました。すなわち、姫様のおっしゃった通りと……そういうことなのですね?」
「玖珠殿、何という戯言を!」
仁礼の鋭い声。しかし縹の御子は仁礼を制し、玖珠へまなざしを当てる。
「誤解もまじっているが、お前の言うことを否定できないのも確かだ。我は……なずな、つまり鶺鴒の姫を愛している」
玖珠の瞳から、完全に光が消えた。




