七 それぞれの朝、それぞれの思い③
夜。
縹の御子は夜具の中で体を横たえ、暗い天井を見つめていた。
目覚めた朝。
御子と紅姫は互いの無事を喜び合ったものの、お世辞にも二人とも、体調が万全とはいえなかった。
ずっと臥せっていた紅姫は当然ながら、縹の御子も身体の芯が重だるく、食欲もない。膳のものも、いつもの半分ほどしか食べられなかった。
縹の御子がそんな状態なので、このままこちら……紅姫のお住まいである日の宮・東の対屋で体調を整えることになった。
客間の方に夜具が延べられ、月の宮の方から御子のそば付きの者を改めて数人、呼ばれた。
そして、その夜。
もちろん不寝番の者はちらほらいるが、対屋中が寝静まった頃。
何度かためらった後、御子は囁き声で
「仁礼」
と、己れの筆頭護衛士の名を呼んだ。
「これに」
打てば響くような応答。
少し離れた位置に、まるでずっとそこにいたかのように仁礼はいた。
己れが呼んだとはいえ眠気などみじんもない仁礼の声に、いったいこの護衛士はいつまともに寝ているのだろう、と御子は、呆れに近い感心をしてしまう。
乾いてしまう唇を一度なめ、御子は仁礼へ言う。
「頼まれてくれないか?少し……内密に調べてもらいたいことがある」
「何でしょうか?」
かすかに首を傾げ、仁礼は問う。
この主が『内密に調べろ』などと言い出したのは、仕えるようになって初めてだ。
さほど顔色に出してはいないが、仁礼は驚愕していた。
「こちらで女童として紅姫に侍っていた『なずな』……鶺鴒の姫を知っているな?」
当然ながら仁礼はうなずく。
「その人が今、何処にいるのか……お命に別状はないであろうが、お身体を壊していないかお元気かどうかを、出来るだけ早くに調べてもらいたい」
「……は?」
さすがの仁礼も主の命令の脈絡のなさに、ポカンとした。
なぜ自分の主が紅姫の女童のことを気にするのかが、うまく納得できなかったのだ。
一瞬後頬を引き、静かな声で彼はこう言った。
「『なずな』という伺候名の女童についてなら。すでに高齢である、郷里の社の大巫女が危篤状態という知らせが伝書鳩によってもたらされ、大急ぎであちらへ帰ったと聞き及んでおります。ですので……『なずな』はおそらく、鶺鴒の里へ向かう途中だと思われますが。追いかけますか?」
御子は首を振る。
「いや。それはあり得ない。あの人は王都の何処かにいる。訳は話せないが、あの人は重要な用があって禁中から出され、今はそちらで人知れずかくまわれている筈。見つけてどうするかは後の話になるが、まずは無事を確認したい。出来るだけ早く」
「わ…、かり、ました」
いつにない主の様子に戸惑いながら、仁礼がうべなった、刹那。
「お探しになる必要はありません」
という涼やかな声がその場に響いた。
仁礼とその配下が殺気をまとって身構えた。
その中へ悠然と現れたのは、紅姫の筆頭護衛士・玖珠。
「我に害意はありませんよ、仁礼殿。我は紅姫からの命でこちらへ来たまでです」
年若い衛士の中でも飛び抜けた才の持ち主と呼ばれている玖珠は、紅姫が幼い頃から仕えている、腹心中の腹心の一人であった。
「『なずな』と呼ばれていた鶺鴒の姫は今、宮の太政大臣がお住まいになっている、京極の屋敷にいるそうです。お疲れが深いのか今朝方からこんこんと眠っているということですが。お命に別状はないという、薬師の診立てだそうです」
驚いてものも言えずにいる御子とその護衛士たちを一瞥し、玖珠は小さなため息を吐いた。
「姫さまからすべてをお聞きした訳ではありませんが。昨日の夕刻からの現を超えた出来事のあらましをうかがいました。先程我は、太政大臣付きの佐嘉希殿に確認を取り、それで大体あっているとも言われました。……縹の御子さま」
感情を押し殺した玖珠の目は、どこまでも冷ややかで恐ろしい。
「我は……貴方さまを見損なっておりました」




