七 それぞれの朝、それぞれの思い②
宮の太政大臣が目覚めたのは、かなり日が高くなった頃。
自然に目覚めたというより、身体中のひどい痛みに起こされた、が正しいかもしれない。
「お目覚めになられましたか?」
どこか疲れた、静かな声で問われた。
声の方へ顔を向けようとし、全身にズキッと鋭い痛みが走る。太政大臣は思わず顔をしかめた。
「お身体のあちこちの骨が、砕けるように折れていらっしゃるのです。ご無理なさいませんように」
声の主は弟君である月影の君だった。
「こちらは月の宮の対屋になります。我らが幼い頃から務めている古くからの者がまだ多くいますし、兄君に気兼ねなく養生していただけるのはこちらかと判断しました」
「そうか……世話をかける」
痛みに耐えつつ、太政大臣は礼を言った。
この状態ではどちらにせよ、誰かの手を煩わせることになる。
ならば、気心の知れたばあやのような者が多い、こちらで世話になるのが一番いいだろうと彼も思った。
月影の君は続ける。
「子供たちは無事、目を覚ましたという知らせがありました。我も先程まで昏倒しておりましたので、まだ吾子らの顔を見てはおりませんが。これから参ろうと思っております」
小さくうなずく兄君へ、月影の君もうなずいて応える。
「実はあの後、畏みの社に大白鳥神の和魂を御神体へ呼び、安置して参りました。早くに『依りつかせの儀』を行いました故、大きな影響はなさそうです。ですから、そちらについてはご安堵なさって下さい」
「そうか……ありがとう。何から何まで世話になってしまったね。余裕がなかったとはいえ、後先考えぬことをした。やったこと自体に後悔はないし必要だったと思っているが……、謝らせてほしい。禁じられた術を使ってしまい、大変申し訳なかった」
軽く目を伏せる太政大臣へ、月影の君はほのかに笑んだ。
「何をおっしゃる。貴方がやらなかったとしたら我がやっておりました。それに、『禁じられている術』というのは、どうしても必要な時に相応の覚悟を持ってやる術なのだと我は思います。そうでなければ『この術を禁じる』という形で延々、伝えられてはいますまい」
太政大臣は息だけで笑う。
声を出して笑うと響くので、どうしてもそうなってしまう。
「……そうだな。おっしゃる通りだ」
立場が違ってしまったこともあり、どうしても昨今、よそよそしかった同母の兄と弟が、久方ぶりに童子の頃のように和やかにほほ笑み合った。
なずなはごく自然に目を開き……、己れの状況が一切わからず、混乱した。
部屋に差し込む光がかなり黄色味をおびていたので、早朝か夕刻かどちらかだろうと察したが、その他のこと――ここは何処だとか己れが何故見覚えのない夜具の中にいるのかとか――は、まるでわからない。
「まあ」
聞いたことのない、だけどどこかしらあたたかな心がこもっているのが感ぜられる、年増女の声がした。
なずなが声の方を向くと、下女らしい、気のよさそうな女がそこにいた。
見たこともない女だったが、不思議と警戒する気持ちにはなれなかった。
彼女が、親身に自分の世話をしてくれていたらしいことが、たたずまいでわかるからかもしれない。
女は裾や袖も短めに仕立てた、動きやすそうな単重袴に暖かそうな上着を重ね着していた。
主に鈍色や黒の地味な色味の衣だったが、清潔そうですっきり身についている。
着ている当人の気性が照り映えるのか、不思議と地味な装いすら明るく感ぜられた。
「薬師の先生は心配いらないっておっしゃってましたけど。姫様、もう丸一日以上も眠ったままでいらっしゃったので、少々心配になってきておりました」
とんでもないことをすらっと言うと、女は、本当にようございましたとにこにこ笑う。
「……一日、以上?」
目を見張るなずなへ、それだけお疲れが深かったのですよと、いたわるように女は笑んだ。
「そうそう、まだ名乗りもせずに失礼いたしました。我は太政大臣の乳母子で、かつては宮中にて御幼少の大臣にお仕え致しておりました者です。当時『せり』という伺候名をいただいておりました縁で、今でもこちらでそう呼ばれております。どうぞお見知りおきを」
頭を下げる女……『せり』へ、なずなも慌てて夜具の中で頭を下げる。
しかし状況は更にわからない。
「我は夫ともども、長くこちらでお世話になっております。夫は下働きから館の管理を、我は奥方のあれこれを受け持っております。今後は姫様のお世話をするよう、主からも命じられております。何なりとお申し付けくださいませ」
「あの……」
なずなはどうしてもかすれてしまう声で、せりへ問うた。
「そもそも何故、我はここにいるのでしょうか?」




