六 大白鳥神の禁術①
馬を駆り、太政大臣と彼の筆頭護衛士・佐嘉希は禁中へ向かう。
宮城の中で許されるギリギリまでそのまま馬で進み、後は駆け足に近い早足でとある場所へと向かう。
宮城の最奥にある社・畏みの社。
『大白鳥神』の和魂を人の頭ほどの大きさの水晶に込めた御神体を安置した、特別な聖域である。
初春の神事『あらたまごと』もこちらで行われる。
「佐嘉希よ」
聖域の手前、弾んだ息で太政大臣は、傍らの護衛士に声をかける。
「知っての通り、ここから先は王族の濃い血を引く者でなければ入れない」
当然のことなので、佐嘉希はうなずく。
「決め事として入れないのでなく。こちらに、和魂として穏やかに鎮座なさっているとはいえ、『大白鳥神』は本来とても激しい神でいらっしゃる。それ相応の器がなければ、ここへ入ってまず正気を保てない。佐嘉希、お前は素晴らしい衛士であり、能力も人柄も優れている」
いつにない主の誉め言葉の羅列に、佐嘉希はかすかに眉を寄せた。
「だがお前は大白鳥神の末裔ではない。たとえお前であったとしても、こちらへ入った途端、『大白鳥神』の神気に充てられ昏倒するであろう。最悪、命を落とす。だから……、お前は決してこちらへ来るな」
佐嘉希は息を呑み、何か言おうとしたが……口をつぐむ。
主がわざわざこんなことを言う、意味を噛みしめて彼は、ただ頭を下げた。
「宮の太政大臣……、いや。兄君さま」
普段なら聞くことのない声が不意に響き、主従は一瞬、身を竦めた。
「……月影の君」
佐嘉希のかすかなつぶやきが、思いがけないくらい辺りに響く。
太政大臣は一瞬後に笑みを作り、同母の弟にして王配でもある方を迎える。
「こんなところで何を?」
おそらくわかっているであろうに、月影の君は問う。
整った彼の顔はどこかこわばり、顔色は紙のように白い。
「魂呼びの儀に、想定外のことが起きてしまったのです」
軽く目を伏せ、大臣は答える。
「紅姫だけでなく、おそらく縹の御子も今、人事不省でいらっしゃいましょう。このままではお二人とも儚くなってしまわれます。この上ない緊急事態、一刻を争います。我は今から『大白鳥神』のお霊力をお借りし、強引であろうと何であろうと、冥府に迷うお二人を連れ帰って参ります」
「その役、我がやろう」
迷いのない口調で月影の君が言った。
驚いて目を上げた太政大臣へ、やや寂しそうに月影の君は笑む。
「魂呼びに不測が起こったらしいことは、二人の吾子の様子を見ていて我も察した。最悪、二人ともが冥府へ沈むかもしれぬ、と。我は決していい父親とは言えないが、二人の父であることは確かだ。あの子たちへ、最初で最後になるであろう、父らしいことをしてやりたい」
「月影の君、何をおっしゃる!」
余りのことに思わず叫ぶ太政大臣へ、あくまで穏やかに月影の君は笑む。
『華やぎに儚さのまじる』と呼ばれている、月影の君の笑みだ。
「それに。添え物程度の役しか果たせぬ大王の対である我より、兄君……宮の太政大臣が、この世には残るべきだ。日輪なくて昼はあり得ないが、月がなくとも夜はあり得る。兄君をはじめとした大きな星、そして数多の綺羅星が夜空に輝けば。民草も、夜の昏さに怯えることもなかろう」
迷いのない足取りで月影の君は、社の聖域へ入ろうとした。
「佐嘉希」
囁き声で命じた刹那、佐嘉希は風のように動いて月影の君のお身体を抑えた。
月影の君の護衛士たちが色めき立つように現れたが、太政大臣の強い目に怯む。
「お前たちは月影の君のお命を守るのが使命であろう?……ならば、邪魔をするな」
言い切り、太政大臣は踵を返して聖域へと進む。
「兄君!」
月影の君の叫びへ、太政大臣は一度、足を止めて振り向く。
「ご存じでいらっしゃいましょう? 我は昔からしぶといのです、月影の君。御子方を連れ、我もコチラへ舞い戻ってきますよ。お心を安らかにお待ちになって下さいませ」
後はもう振り返らず、太政大臣は聖域へと進んだ。




