五 ゆく鳥・追う鳥⑤
紅姫の問いへ、なずなは曖昧にほほ笑む。
ここがどこか、正直に言えばなずなだってわからない。
が、生者のいるべき場所でないことくらいはわかる。
なずなは改めて紅姫の姿を確認した。
紅の双眸は澄んでいて、大王譲りのこっくりとした茶色の髪はゆるくひとつにまとめられている。
寝間着は清潔で、どこまでも白い。
そこまでは普段おやすみになられる時と同じ姿だったが、紐状の不吉な黒い影が、かの方の胸に首に巻き付いて、じわじわ締め上げているのが異様で不気味だった。
「なずな?」
首を傾げてなずなを見上げる紅姫は、ご自分が異様な黒い影にまとわりつかれているとはまったく気付いていないようだった。
「少々……失礼いたします」
なずなは早口でそう言うと軽く頭を下げ、まずは肩口にある黒い影に手を伸ばした。
黒い紐状の影に触れる。
冷たさに指がしびれそうになったが、やや強引に彼女は引きはがす。
建物に根をはった、蔓草を引きはがすような手ごたえだった。
引きはがされた影は一瞬、なずなの手の中でくたりと力をなくすが、あっという間に彼女のてのひらに巻き付いて力を取り戻す。
次々と黒い影を引きはがす。
引きはがされた紐状の影は、次の宿主をなずなと決めたらしい。
紅姫から離れた途端、なずなの身体へまとわりついてくるようになった。
不審そうになずなを見ていた紅姫だったが、なずなの身体へ黒い紐状の何かが巻き付いてゆくのに気付いた。
同時に己れの身体がだんだん、ほかほかとあたたかくなっているのにも気付く。
「ちょ……ちょっと待って、なずな」
焦りにも似た衝動が突き上げ、紅姫はなずなの手を抑える。
「この黒い、気味の悪い紐は何?」
なずなは再び曖昧にほほ笑んだ。
少しあたたかくなったような気がする紅姫の手を、なずなは、冷えてこわばる自らの手でやわらかく押しやる。
「ご心配なく。これは紅姫には不必要な……そうですね、病の元のようなものなのだそうですよ。我はこれを、姫さまから取り除く為にここへ参りました」
「取り除く? と言うより、なずなへ移っているのではありませんか?我の病の元がなずなへ移れば、今度はなずなが……」
みなまで言わさずなずなは、儚く笑んで最後の紐を紅姫から引きはがす。
紅姫から剥れた黒い紐は、なんとなく嬉しそうになずなへ巻き付く。
「紅姫さまの将来が、明るいものであらっしゃいますように」
なずながことほぎの言葉を呟いた刹那。
彼女の足許で、暗い穴が不意に現れた。
(……ああ。冥府へ落ちてゆくのね)
なずなは目を閉じ、唐突ですさまじい落下に身を任す。
「なずなー、なずなー!」
紅姫の声。
そしてその後ろから響いてくる、もう一つの声。
「なずなー!この、大莫迦者が!」
怒鳴りつける声は、どこかで聞いた少年の声。
否、忘れることのない声。
紅姫を一途に愛する、宮城の女童たち皆の憧れ。
縹の御子のお声だ。
閉じたはずのまぶた越しに白い羽根色が見え……がしりと強く腕を引く、骨ばった手をそこに感じた。




