四 丹雀の館④
「お待ちくださいませ!」
非礼も忘れ、なずなは叫んだ。
「魂呼びの儀は禁忌中の禁忌とされる儀。そ、それに。そもそも我は、巫覡としてまだまだ修行中の身。そのような大それた儀を行えるような能力はもちろん、知識も心得もございません!」
太政大臣は困ったように眉を寄せた。
「知識や心得がないのは当然。禁忌を知る者はその道の熟達者、もしくは特別に選ばれた者だけだからな。しかし能力に関しては十分以上だと我らは判断している。あれだけの夏越しの奉納舞を舞った貴女に能力がないとなると、この世には誰も、この儀を行える少女はいないことになろうよ」
「夏越しの、奉納舞……」
もはや忘却の彼方となっていた奉納舞の話が出てきたのに、なずなは茫然とした。
確かにあの時、ものすごく調子よく舞えた覚えがある。
でもあれがなずなの『常』では決してない、誰よりも自身がよく知っている。
彼女の全身から血の気が引いた。
あれを『常』だと思われ、禁忌の儀を行えると思われたのなら。
とんでもない、買い被りである。
「……最初から話そう。この件は、そもそもこちらの事情に貴女を巻き込んでしまったということなのだから」
青ざめたなずなの顔を見ながら、太政大臣は居住まいを正す。
「実は今から十年以上前。大社の方から密かに、たいそう重い『御告げ』が来た……」
『大社』とはすべての社の元締めともいえる、最も古く最も格の高い社である。
そこへは国中から、精鋭と呼ぶべき巫覡たちが集っている。
特に、神代の話に伝えられている『いろなし』の神……世界そのものから最も自由な、時にも場所にも縛られないとされる『この世の始まりたる二柱の神』のうちの『いろなし』の神の寵愛を受けた『夢見の巫覡』。
身分にも血筋にも関わりなく突然その能力を持って生まれ、眠りの夢の中で予知出来る能力者のことをそう呼んでいる。
彼らは、見つけられ次第もれなくこの大社へ集められ、神の御告げを間違えなく受け取れるよう修練することになっている。
その『夢見の巫覡』のうち当代一位から五位の能力者、通称『夢見五人衆』と呼ばれる精鋭中の精鋭の巫覡たちは時に、深刻な『御告げ』を神から賜ることがある。
『五人衆』のうち三名以上が同じ内容の『御告げ』を受けると、速やかに大王そして王族の方々へと伝えられることになっている。
それは、たとえば大きな災害であったり王族の方の身に起こる大きな不幸であったりと、国の大きな乱れとなる御告げである。
あらかじめ危機を知らされることで、その影響を最小限に抑える為に動く、標にするという訳だ。
もちろんなずなは郷里の社で巫女見習いをしていた頃に、その辺りのことはきちんと教わっている。
当然、大社から『御告げ』が来たという重さを、並の少女よりも深く理解している。
ぎゅっと歯を食いしばり、彼女は、太政大臣の顔を不躾なまでに直視した。
「『御告げ』の内容はこうだ。次代の日月たるべき御子と姫御子は、稀に見る器の持ち主であろう。ただ、貴い血の濃い姫御子は、数え十二になる前に儚くなるさだめを持っている、このさだめは生半なことでは覆らない。さだめを形代へ移すしか、やり過ごせる術はないであろう……と」
(形代?……ああ!)
そういうことだったのか、と、なずなはようやく、もやもやとずっと胸にあった違和感が晴れる思いがした。
おかしいと思っていたのだ。
姫御子のそばに上がりたがる少女など、王都にならいくらでもいる筈。
もちろん次代の大王になられる方のそばに上がるのだ、誰でも良い訳ではない。
しかし王都に住む貴顕の娘をそばへ上げると、後々うるさいしがらみが発生する可能性が高い。
現に今いる女童たちも、大なり小なり家を背負って出仕している。
家のしがらみが薄い、純粋に姫御子ご本人に仕えてくれる同世代の少女を探していた、と。
王都の貴人たちと色々な意味で距離があり、片田舎の氏族とはいえ神代から続くとされる古い氏族の末裔であるなずな――鶺鴒氏の総領娘――が選ばれた、と、王都からの使者から囁き声で聞かされてはいた。
それに、名家のひとつに数えられる鶺鴒の姫ではあるものの、ゆくゆくは郷の社の大巫女になる予定の少女ならば、王族の方に色目を使って成り上がる目論見もほぼなかろうと、王都の貴人たちが納得しやすくなる、とも。
刺繍の腕が良いなどの理由は身辺を調べた後に知って、付け加えた理由であろうとなずなも初めからうっすらわかっていたが。
……それでも。
何故自分なのか?
なずなは常に、胸にその問いを秘めつつ務めていた。
姫御子たる紅姫はお優しくたおやかで、朋輩たちもおっとりした気のいい子たちばかりだったので、務めそのものは身構える必要もないほど楽しかった。
が、『何故自分なのか?』の明確な答えは、見い出せないままであった。
王都にいらっしゃる貴顕と違い、王族との縁が薄い家の娘であること。
気性が激しくないこと。
忠義に厚く、恩義に報いようとする人柄であること。
何よりも、並み以上に巫覡の心得があること。
(姫様の形代に……、我は、打ってつけだわ)




