四 丹雀の館①
季節は完全に秋へと移ろった。
空は高く晴れ渡り、木の葉が美しく色付き始める。
各地から供物(租税のこと。神の末裔たる王族への捧げもの、という感覚がある故の言い回し)が運ばれてくるこの時節、王都は例年、常より賑やかだ。
しかし、宮城の内は静かな日々が続く。
『あらたまごと』への準備が本格的になり、大王や月影の君、太政大臣など神の器になる大人の方々もそれぞれ、身を慎んでその時に備え始めるのがこの頃。
名だたる色好みとして知られている月影の君であったとしても、この時期だけは奔放なる恋心を抑えて暮らし、数多いる情人たちのわがままも聞かない。
いい加減な状態で『あらたまごと』に臨めばどうなるか、祖神の御霊をその身に受け入れた者ならば理屈抜きでわかっている。
初の『あらたまごと』に臨む縹の御子はもちろん、更に気を入れて励む日々を送っている。
食事や入浴の仕方に明確な制限が出るのは年の瀬になってからだが、生真面目な縹の御子は今から常の暮らしを少しずつそちらへ向けていくよう、そばの者に言いつけている。
そして紅姫。
緋色の地に金糸で翼を広げた大白鳥神のお姿を刺し始め、はや半月近く。
ようやく頭部と片方の翼は刺し終えた。
高い集中力を必要とする細かい作業なので思うように進まず、紅姫は少し焦っていらっしゃった。
「初春までまだ暇がございます。ゆっくり刺していらっしゃっても、秋の終わりか冬の初めには刺し終えましょう。そんなにご心配なさいませぬよう」
あまりの根の詰めようを案じ、乳母や女房たちが遠慮がちにそう申し上げ、お休みくださいませと茶菓を勧める。
紅姫は曖昧に笑んでそうねとお答えになり、形だけ休んで茶を口に含むと、再び針を持つ。
秋が深まり出した頃から、ちょいちょい見られるようになった光景である。
お身体の弱いところのある紅姫は、幼い頃から昼餉の後、午睡をおとりになるのが決まりだった。
その際、女童たちも別室で午睡をとる。
この決め事は紅姫の為であると同時に、姫のそばについている年端もゆかぬ女童たちの為でもあった。
女主より早く起き、女主が眠ってから床につく彼女たち。まだ稚い女童たちには、それで睡眠が十分ともいえない。
彼女たちを気兼ねなく休ませる意味も、この午睡の習慣にはあった。
しかし紅姫はその日、半時ばかりは夜具の中で横になったもののこっそり身を起こし、針道具のある部屋へ静かにいざって行った。
そして金糸を通した刺繍針を手にすると、細かい目で丁寧に緋の絹へ続きを刺し始めた。
ようやく大白鳥神の半身が出来上がった。
あと半分で刺繍は仕上がる。
刺繍が出来れば縁を始末し、神前で清めればいつでも装束として使えるようになる。
(……急がなければ)
小さなため息を落とし、紅姫はそっとひとりごちる。
理由はわからないが、このところ不思議な焦燥が胸を炒る。
早く、早く、早く刺繍を仕上げてしまわなくては。
身体の奥から疼くように湧き上がる思い。
針を置いてはいけない。出来るだけ早く、一目でも多く刺さなければ!
「……姫様」
気の置ける声で囁くように呼びかけられ、紅姫は手を止めた。
なずなだった。
紅姫は思わず目を見開く。
「なずな?どうしたのですか?まだ午睡の時間ですよ、休んでいなさいな」
一瞬なずなはやや気まずそうに顔を伏せたが、笑みを作って主を見上げた。
「いえ、早くに目が覚めてしまいましたので。……夕餉まで間がありますね、姫様。どうでしょう?厨の方から漏れ聞いたのですが、良い梨が入ったそうですよ。冷やしているということですから、少し持ってこさせましょうか?」
紅姫は苦笑した。
主の病的なまでの焦りを、この女童は察している。
察し、古くから仕えている女房たちに劣らぬくらい案じている。
せっかくの午睡もそこそこに起き出し、主を休ませる為に口実を作ってやんわり諫めに来たのだろう。
「そうですね」
少し考え、紅姫は命じた。
「あまり何か食べたい気分ではありませんけど、少しのどが渇きました。せっかくの初物の梨、冷やしているのならいただきましょう。手間をかけさせますけど、実を半分ほどすり下ろし、橘の果汁をかけたものを作って持ってきて」
御意に、となずなは平伏し、御前を去った。




