一 うるわしき春の日に①
神代より遠く隔てられし、ヒトの世たる現代。
千年の栄えを誇る麗しの王都の最奥に、幾世代に渡って磨き上げられし煌びやかにして厳かな、この世の夢とまごう大王のお住まい・宮城がある。
その宮城の奥、幾重にも重ねられた清しき御簾の更に奥。
大白鳥神の神気に護られし宮にて、当代の大王のお血筋に連なる御子様方が多くの者に傅かれ、大切に育まれていらっしゃる。
その御子方の数奇な物語を、これからゆるゆると語って参ろう。
神の鳥の末裔たる大王の一族のうち、当代の月影の君(大王の対の方・配偶者をそうお呼びする)のご子息で、来年の初春に十五になられる『縹の御子』と呼ばれていらっしゃる方が今、『月の宮』と呼び奉られている宮殿の一角にて身支度をしていらっしゃる。
春爛漫、桜の花びらが美しく風に舞う、晴れた午後であった。
縹の御子は今日、伯母君であり義理の母君でもある日輪の君・当代の大王に呼ばれていらっしゃった。
表向きは、夏の祭礼についての話をしたいと言伝されている。
しかし本当のところは……。
(……参ったなぁ)
御子はため息を押し殺し、円座に座って髪をいじられながら、鏡に映る己れの顔をぼんやりと御覧になった。
親神たる大白鳥神の翼に勝るとも劣らぬ、けがれなき純白の豊かな御髪。
品よく整った目鼻立ちの中、呼び名の由来ともなった母君譲りの縹色の瞳が輝いている。
もっとも御子は、ご自身のお顔立ちについてあまり興味はなかった。
しかるべきところに目鼻があり、それらが健やかであればそれでいいと漠然と思っていらっしゃるのみ。
月影の君の初恋にして最愛、と呼ばれていらっしゃった母君さま譲りの美貌も、春の日の晴れた空を思わせる清らかな縹色の瞳も、御子にとっては『馴染みの己れの顔』以上ではない。
この顔を御覧になる度に父君の顔が複雑に曇る、そのことに心が塞いでいた日々もすでに遠い……。
不快な方へ思いが流れるのを、御子は、軽くまぶたを閉じて断ち切る。
父のことは思うまい、と。
「……御髪のお支度が終わりました」
髪を結っていた若い女房が言う。
御子はハッと目を開け、曇りなく磨かれた銅の鏡を覗き込んだ。
長く素直な真白の髪は、真中から二つに分けて縛り、耳の横から垂らすようにして丸くまとめる。
近頃では『童子結い』と呼ばれることの多い、成人前の少年少女の髪の結い方だ。
この結い方も今年限りかと、御子はふと思う。
成人を迎えるのは嬉しくなくもないが、王族の御子としてのお務めである神事とその準備、独立して宮城内の離宮の主となることなどをあれこれ思い、軽くうとましくなる。
成人し、王族の一員としてお務めのあれこれをするのはいい。
緊張はあるが、むしろ心が湧きたつ。
ただ、月の宮から独立して離宮の主になる場合、慣習にしたがい女主人を置くことになる。
御息所と呼ばれるその人は、要するに離宮の主の妻……である。
正式の対なる方ではないがそれに準ずる、公に『妻』と認められる存在だ。
今は亡き縹の御子の母君も、この宮の女主人『縹の御息所』と呼ばれていた方である。
今回の大王のお話は、その御息所についての話である可能性が高い。
王族の血を濃く引く方は、臣籍に降ってどこかの家の婿になるなり、姫御子の場合は降嫁なさる場合を除き、複数の妻なり夫なりを持つのが慣習だ。
より濃い神の血筋を残す為の、苦肉の策でもある。
しかし縹の御子はその慣習がうとましい。
母亡き後、たがが外れたように女漁りに耽る父が、さほど大王にも周囲にも咎められず、むしろ『当代一の雅男』『恋の情趣を解する訳知り』などと好意的な捉えられ方をするのも、この慣習のせいであろう。
(……雅男など。ただの浮薄な女たらしではないか)
若く潔癖な御子はそう思う。
「あの……御子様」
むつかしい顔で鏡をにらんでいらっしゃる御子へ、女房がおずおずと声をかけてきた。
結い方がお気に召さないかと、慄いている様子だ。
御子はハッとし、振り向いて女房へほほ笑みかけた。
「ありがとう。綺麗に結えているね」
女房は何故か、おびえたように鋭く息を呑んだ。




