三 律(りち)の風②
「お加減は如何かな?」
寝床の上で半身を起こした縹の御子へ、心配そうに眉を寄せた伯父君が問う。
御子は軽い苦笑いを浮かべ、
「お蔭様でかなり良くなりました」
と、当たり障りのない返事をした。
伯父君が心配して下さっていること自体は本当であろうし、有り難いと思っている。
が、例の采女の差配をしたのはおそらくこの方だろうと思うと、単純に『有り難い』だけの気持ちにはなれなかった。
逆恨みだと彼自身も自覚しているが、あの夜、采女を差配されなければここまで悩んだり病んだりしなかったのに、という思いはやはり消せない。
「笛の稽古でお疲れがたまっていた上、夏越しの宴辺りから急に暑くなりましたからね。でもこれで病抜けして、この夏はきっとお健やかに過ごされましょう」
伯父君のお見舞いの言の葉へ定型の感謝の文言を返し、御子は、用意させた茶菓を伯父君と共にいただく。
最近、ようやくこういうものが食べられるようになってきた。
「御子」
手を止め、伯父君は真顔で御子の顔を覗き込む。
「その。かなり……お痩せになりましたね。宴の日以来、食がすすまなかったとは聞いておりますが」
御子は手を止め、淡く笑む。
「ええ。最近になってようやく、こうして食べられるようになってきました。宴の日から三日ばかり、なんだか胸が詰まったような心地で、まったく食べる気が起きませんでしたので」
伯父君は、彼らしくもなく少し目を泳がせた後、思い切ったように
「縹の御子。貴方はなずなを……紅姫付きの女童のひとりで、節会の舞姫を務めたあの少女を……、思し召し、なのか?」
と、単刀直入に問うてきた。
御子は思わず咀嚼していた菓子で咽喉を詰めそうになったが、ゆっくりと茶を含んで口中のものを流し込んだ。
「そう、だと言えなくはないでしょうね。少なくともあの子のことが嫌いではありません。でも……」
御子は儚く笑んで、伯父君の黄金色の瞳を真っ直ぐ見た。
「おそらくは。あの日の奉納舞に圧倒され、心に深く刻まれてしまったというのが正解でしょう。なずな個人というよりも、すさまじいまでの奉納舞を舞った節会の舞姫……この世の者ではない、舞の中にだけいる刹那の天女に惹かれて焦がれた、そんな気がいたします」
「……なるほど。わかるような気がいたしますね。あの子の舞は、あまりにも圧倒的でしたから」
ため息をつくように伯父君は言い、ほっとしたように頬をゆるめた。
「身内の大人としては、縹の御子のお気持ちに沿うて差し上げたいと思っておりますが。あの子を御子のお傍へ連れてくるのは、少々問題がありますのでどうしたものかと……」
歯切れの悪い伯父君へ、御子は首を振る。
「ありえません。万一あの子を我の思いものとして召したとしても、紅姫を悲しませてしまうだけです。次の初春に慣習の通り、我がどこかの家の姫を御息所として迎えるまでは、紅姫もあきらめてらっしゃいましょう。でも、自分のよく知る子が我の思いものとして召されるなど……」
「ああいえ。そういう部分ももちろんありますが」
伯父君は困ったように、手にした扇を弄ぶ。
「あの子に関しては、実は他にも事情がありまして。元々あの子は、鶺鴒の里で氏神を祀る社の巫女として修業していたのです。今は女童として宮仕えをしておりますけど、やがてはあちらへ戻って大巫女の跡を継ぐ予定で……」
御子は声をあげて笑った。
痛みの名残りはあるものの、その笑顔はどこかふっ切れた、清々とした笑顔だった。
「なるほど、それは確かに問題がありますね。里の社の大巫女になる予定の子を、一時の気分で王族の御子の思いものにするなどとんでもない話です」
伯父君は軽く扇を開き、口許を隠すようにして苦く笑んだ。
「初恋は……古来、叶わぬものなのですよ、御子」
御子はもう一度、首を振った。
「初恋ではありません。初恋というのなら、我の初恋は紅姫でありましょう。今回のこれは、刹那の天女に一夜の夢を見た……、ただそれだけですよ、伯父君様」