三 律(りち)の風①
結局、縹の御子はその後、十日ばかり寝付いた。
宴の翌日、紅姫はもとよりその場にいた伯父君の太政大臣、(滅多にないことに)話を漏れ聞いた父君まで心配になったらしく、様子をうかがいに御子の住まいである月の宮の東の対屋へ来たと後で聞いた。
もっとも御子はその時、熱を出していた上に時折うわ言を言うほどであったため、その日の見舞客(父君でさえ)とは誰とも会っていない。
(……我は)
反芻するたびに御子の心は鬱々と沈む。
一体あの夜、己れは何をしたのだ?
宴から三日経ち、ようやく熱はおりたものの起き上がる気力もなく、御子は、茫然と横になっていた。
それが采女の『仕事』であるのだから、女が自分へ迫ってくるのはある意味当然。
特に未経験の少年への手ほどきを任されるくらいの女だ、その辺りの駆け引き上手な者が選ばれているだろう。
しかし御子が本気で拒めば、あの采女とて引いたであろう。
そこを無理に押してまで、女も『仕事』をまっとうしようとはしなかった筈だ。
(なのに我は流されるまま……あの女を抱いた)
耳の奥で響く鈴の音。
『なずな』と呼べと言った、蠱惑的な女の囁き声。
囁きは、今宵は短夜、その夢を咎める者はいないとも言った……。
詭弁を詭弁と自覚しつつも、御子はまんまと惑わされた。
甘い香りと柔らかな唇、耳許にかかる息の熱に負けた。
微熱があって頭がぼやけていたものの、決して正気を失くしていた訳でもないというのに。
思い出すと悔いに苛まれる。
その反面、あの夜の夢を思い出すと身体中の血がほの暗く沸き立つ。
女を『なずな』と呼びながら、これが最初で最後だからと何度も心で言い訳し、必死で身体を繋いだ。
決して叶わぬ思いと欲を、『短夜の夢』だから叶えてよいのだ、と。
我は卑怯者だ、もはや父を嗤えないと、御子は深く落ち込む。
(ひょっとして我は、なずなを愛しているのか?)
憂鬱の中で耳障りのいい言葉が浮かぶが、御子は、首を振って自分を嗤う。
なずなのことを、人柄のいい可愛らしい子だとは思っていたし、あの奉納舞はすさまじいと、畏怖に近い尊敬の念を持ったのは確かだ。
伯父君の言う『神の花嫁』に召されるほど霊力ある奉納舞だと感じ入り……何故かその刹那。
召されてたまるか、とでもいう感じの激しい衝動が湧いた。
神であれ人であれ、なずなを誰かに奪われるなど、彼は考えたくもなかった。
あれは我のものという身勝手な思いが、その衝動に絡んでいることを一瞬後に気付き、御子は本気でぎょっとした。
なずなが、我のもの?そんな訳ないではないか!
強いて言うのなら、彼女の主である紅姫のものと言う方がまだしも理にかなっていよう。
そう彼は思ったが、この理不尽な思いと衝動は気のせいとは言えないほど強く激しく胸を蹂躙し……、食欲すら失せるほどだった。
紅姫へ向ける穏やかな愛しさとはまったく違う、激しくも醜い、身勝手すぎる思いと衝動。
仮に彼女が神に召されたとしても追いかけ、無理矢理でも己れの手の内へ籠め、自分のものにしたい!
言葉にするのならそういう衝動だと、あの夜、女の身体をむさぼるように抱いた翌朝、御子は思い知った。
己れの身勝手さ、醜さに吐き気がする。
獣欲としか言いようがない。
あの娘へ何故そこまで執着を持つのか、御子は我ながらわからない。
が、彼女と初めて出会った時に聞いたあの不思議な声に、心惑わされているのかもしれないなとは思っている。
不思議な声に彼女は特別だと示唆され、必要以上に意識しているのではないか、と。
(……でなければ意味がわからない。我はあの子を、紅姫付きの他の女童と同じくらいしか知らない。そんな子へ、ここまでの執着を持つなどどう考えても普通ではないからな)
いずれにせよ短夜は終わった。
夢は夢、現ではない。
現を生きるのなら、儚い一夜の夢は忘れなくてはなるまい。
病にかこつけ、いつまでも引きこもってうじうじしていても仕様がない。
ようやくそこまで思うようになった頃。
伯父君が再び、御子のお見舞いにいらっしゃった。