序 大社に伝えられし神世の物語①
神がおられた。
すべてにはっきりとした姿や形のない、おそらくは遥かな昔。
一柱の神がおられた。
神はひとつでありすべてであった。
始まりであり終わりであり、隔てのない混沌であった。
隔てのない混沌に優劣も美醜もなく、ただあるがままに穏やかにあった。
その穏やかさこそが『神』であった。
しかし神は、神自身であるのと同じくらい確かなこととして、救いのない病に苦しんでいらっしゃった。
その病は、後に『孤独』と呼ばれるものと大層似ていた。
病の神は、やがて苦しみから逃れたいと思うようになられた。
『望み』は『願い』を、『願い』は『隔て』を生むことを、もちろん神は御存知でいらっしゃった。
だが火よりも氷よりも激しく苛む病の苦しみに、神であろうとも最後まで耐えることはお出来になれなかった。
ついに神は『望み』を言霊にして願われた。
「我ではない者を、我のそばへもたらせ。我を苦しみから解き放つ者を、我のそばへもたらせ」
神の願いは瞬くうちに形となり、神の許へともたらされた。
『我ではない者』という願いから、その身に『孤独』を含まない、即ちなにものにも囚われぬ『いろなし』という男神が、『我を苦しみから解き放つ者』という願いから、その身に限りなく『孤独』を受け入れる『くろ』という女神が生まれた。
二柱の神は婚姻して子を成し、すべての事象の親となった。
こうして、ひとつでありすべてである病の神『あお』、空であり海である大いなる神の望みにより、世界は生まれた。
それらは麗しい夢にも似ていて、神の病の苦しみをひととき忘れさせ、優しく宥めた。
かの方の望みのままに、様々なものは生み出された。
しかし生まれたものはやがて衰え消えてゆく。
神がお創りになられたとはいえ、それが『隔て』を持つものの宿命であった。
『病』……寂しさや虚しさは、世界が華やぎ栄え、美しければ美しいほど儚く消えた後に深まり、際立った。
せっかく生まれてもやがては泡沫のごとく儚くなるあれこれに、『あお』の病は深まりこそすれ、癒えることはなかった。
幾多の移り変わりの末、『あお』は最後の『願い』を言霊にした。
「なにものにも染まらぬ色を持つ、誇り高き者を」
その願いを最後に、『あお』は永遠の沈黙の中へと沈んだ。
その『願い』が形となった姿こそ、真白き神の鳥たる『大白鳥神』である。
何にも染まらぬ真白の翼と、金とも銀ともつかぬまばゆい瞳、燃えるような緋色に輝く嘴の神の鳥は、自ら輝きながら蒼ざめた空と海の間を飛翔し続けた。
やがて神の鳥はひとつの土地を見出し、降り立って後に子を成した。
それが今の世である。
今の世をお創りになられたやんごとなき神の鳥『大白鳥神』の貴き末裔・大王の許でこの世は、すでに千年栄えている。