わかりやすい現代語訳シリーズ その4 「土佐日記」の一部
冒頭部だけですが。
◯門出
男も書いているという日記というものを、女の私も書いてみようと筆をとった。
ある年の十二月二十一日の午後八時ごろ、「門出」の儀式をした。そのことを、ちょっとメモしておく。
ある人(ほんとうは、自分・紀貫之)が、任国(土佐)での四、五年の(昔は、はっきりせず、ぼかすのが上品と考えられていた)勤務を終えて、慣例通りの事務引き継ぎを、すべてすませ、国司の官舎から、乗船場まで移動する。どの人もこの人も、知っている人も、知らない人も、みな、見送りしてくれた。長年親しく付き合ってきた人々が、別れがたく思って、一日中、(お別れパーティーで)あれまこれやしながら、大声を出して騒いだりしているうちに、夜が更けた。
二十二日に、「和泉の国まで無事に着けますように」と、願をかけた。
藤原のトキザネという男が、(私たちは)船旅をするので、(馬を使うわけではないのだけれど)、「馬のはなむけ」(=送別会)をしてくれた。身分の上中下を問わず、みな、酔っぱらって、随分、変な状態になって、潮海のすぐそばで、ふざけ合った。
二十七日、大津から浦戸をめざして船を漕ぎ出した。
そうこうしているうちにも、京都で生まれた女の子が、土佐国で急死したので、(出発準備様子を見ても)
口では言わないが、(せっかく)京都に帰るのに、女の子のいないことだけが悲しくって、恋しくって、たまらない。いっしょにいる人々も、こらえきれない様子である。ちょうど、そういう時に、ある人(=紀貫之)が書いて示した短歌が
「京都に帰れると思うと(ほんとうは、うれしいはずなのに)悲しくってたまらないのは、いっしょに帰れない人がいるからなのだなあ」
◯くろとりのもとに
一月二十一日、午前六時ごろに船を出した。仲間人々の船も、みな、出発した。
この様子を見ると、春の海に、秋の木の葉が散らばっているかのようであった。
なみなみでない(=いやというほど)神だのみをしたからであろう、風も吹かず、すばらしいお日さまも出て来て、船を漕ぎ進めることができだ
この旅に、「雇ってもらおう」といって、ついて来ている男の子がいた。
その子が歌っていた舟歌。
「やっぱり、ふるさとの方が、自然と見たくなるよ、なつかしい父母がいる所だと思うとねえ。もう、帰りたいねえ」
言葉遊びの感じが、うまくは訳せません。