美少女たちと黄昏と
屋上で夕日を眺め、タバコをくゆらせる。
ここからの眺めは別段気にいっているわけではない。工場街の間近という安価な土地に建設された我らが母校は、もうもうと舞い上がる煙に四六時中取り囲まれている。お世辞にもいい眺めとは言えなかった。
なのになぜ、学校の屋上なんていう一見オサレスポットで夕日を眺めでタバコを吸うのか。
理由はひとつ。かっこいいからだ。
「先輩、またやってんすか」
いいだろ、別に。
俺たち底辺男子高校生美少女はカッコツケをしないと生きられない。そういう生き物だ。
ハードボイルドな俺はハードボイルドに煙を吸い込み、派手にむせた。
「あーあ、無理するからですよ。タバコなんてろくに吸ったこともないくせに」
「けほっ、げほっ……。ああくそっ、葉巻がシケってやがる」
「今日は晴れですし、それは葉巻じゃなくて紙巻きタバコです。ほら、灰皿」
後輩の美少女が差し出す携帯灰皿にありがたくタバコを捨てた。二度と吸うか、こんなもん。
代わりに胸ポケットからココアシガレットを取り出し、ハードボイルドにくわえる。ハードボイルドな美少女にふさわしい甘みに少しだけ頬が緩んだ。
「一本ください」
「ん」
後輩とふたり、屋上でココアシガレットをくゆらせる。
数分ほど雰囲気を楽しんで、我に返った。
「何やってんだ俺」
「ほんとですよ」
呆れながらも付き合ってくれた後輩はどこか白い目で俺を見ていた。
嫌なら付き合わなきゃいいのに。よくわからんやつだ。
この後輩とは小学校からの腐れ縁だとか、いじめられていたところを助けただとか、そういったドラマチックなことが始まりそうな関係は一切ない。
昔入っていた野球部で知り合っただけの後輩だ。練習がきつかったから辞めた。俺が辞めた日と同じ日に後輩も辞めて、その日初めて話をした。
それ以来つるんだりつるまなかったりしている。
「特に理由もなく可愛い女の子にモテねーかなー」
「僕は努力もせずに力を手にいれてチヤホヤされたいっすねぇ」
そんな無益なことをぼやくのも今だけの特権なのかもしれない。柄にもなくそう思った。
底辺男子校に通う俺達底辺男子高校生美少女の日常はどこか煙がかっていて、見上げた空はお世辞にも美しい茜空とはいえない。
それでも空は空だ。白っぽく煙っていようと、薄暗かろうと、俺達の空だ。
こんな空の下に生きるナメクジみたいな美少女にだって、明日は来る。
「帰るか」
「うぃっす」
小さくなったココアシガレットを噛み潰す。
ややわざとらしい甘みが口に残り、それもやがて消えていった。
*****
俺の物語が始まった。
まず第一に思い浮かんだのはそんな言葉だ。ゆるむ口元を毅然と律して、現状の把握に務める。
帰り道。公園。美少女。襲われてる。そこに俺参上。
(こんなん俺に主人公になれって言ってるようなもんでしょ……!)
3人の美少女が1人の美少女を取り囲み、語気荒く何かをまくし立てている。会話の節々から判断するに恐喝のようだ。
後輩とはさっきの交差点で別れてしまった。周りには誰もおらず、俺1人。
手元に武器は無い。そりゃそうだ。いくら元野球部美少女とは言え、常日頃からバットを持ち歩いたりするもんか。
頼れるものは、己のみ。
……よし。
(帰るか)
見なかったことにしよう。
そりゃ俺だって怪我したくないもん。いちいち喧嘩なんて売ってられない。
こういうのは警察が対処するべきであって、俺みたいな一般美少女が首を突っ込んで良い問題じゃない。
美少女を取り囲む美少女たちの剣幕は激しさをます。美少女たちに目をつけられた美少女を不憫にこそ思えど、他人事と割り切って踵を返そうとした。
その時、美少女の1人が美少女を殴った。
(……は?)
地面をもんどり打って転がる美少女の顔は血まみれで、遠目にも鼻が潰れていることが見て取れた。
そんな美少女の髪を掴んで無理やり立たせ、美少女たちは暴行を加える。3人がかりで、一切の手加減もなく。
――笑いながら。
(おい、おい、やめろよ。それはやっていいライン越えてんだろ)
つ、と冷や汗がつたった。
喉が焼けるように乾く。なんとかしないと。頭ではそう考えても行動はできない。
何だ。何が出来る。何か手段を。放っておく? 無理だ。下手すりゃアイツ死ぬぞ。
せめて何か、助けを……。
……助け?
*****
公園の一角にけたたましいサイレンの音が響き渡る。
パトカーのサイレンが聞こえれば、暴行を加えていた美少女たちはさっと顔色を変えた。
「くっそ、誰か通報しやがったな!」
「ちっ、おい逃げんぞ!」
「待てよ、まだ財布抜いてねえ!」
「んなもんまた次の狩ればいいだろ!」
美少女たちは慌ただしく逃げていき、倒れ伏した美少女だけがその場に残る。
十分に時間を置き、美少女たちが近くにいないことを確認してからスマホで再生していたサイレン音を止めた。
……思いつきだったけど案外うまくいくもんだな。後ろめたいやつほどサイレンには敏感ってね。
「おい、無事か」
倒れている美少女にかけよる。ひっでぇ面構えにはなっていたが、意識はあるようだ。
「ああ……。すまない、助かったよ」
美少女はやや年を感じさせる、透き通ったソプラノボイスでそう言った。
どうやら美少女だと思っていたのはおっさん美少女だったらしい。遠目にゃわからんよ。
「……ま、こんな落ちだとは思ってたよ。俺の物語がそうそう始まってたまるかっつの」
「それは、どういう……?」
「こっちの話だ。待ってろ、すぐ救急車呼ぶ」
スマホを操作して119番。救急にコールを繋げて状況と場所を伝える。救急に電話したのなんて初めてだからちょっとドキドキ。
最初で最後の119番処女をおっさん美少女に捧げる無常を噛み締めつつ、表面にはおくびにも出さないようポーカーフェイスを維持する。
「呼んだからな。もうちょっと待ってりゃ助けが来る。それまで頑張れよ」
「ありがとう。君のお陰で助かったよ」
「じゃ、俺は行く。こういうのも変だけど、元気でな」
ビシっと流し目をキメて華麗にターンする。
歩き去る俺の背中におっさん美少女の声がかかった。
「君は、行くのか?」
「ああ。見たいアニメがあるんでね」
「待て……。せめて名前を教えて欲しい」
「――通りすがりのヒーローさ」
アディオスとサインを送り、シニカルに笑った。
男子高校生美少女はクールに去るぜ。
*****
「で、その後どうなったんすか?」
「いやね、こっからがもうつまんねー話なんだよ。聞いてくれる?」
次の日。いつもの屋上で夕日を眺めつつ後輩と馬鹿話に興じていた。
話すのに邪魔だからココアシガレットは無しだ。取ってつけたかっこよさは時として物理的な理由で捨て置かれる。
「クールに去ったはいいんだけど、帰った瞬間警察からうちに電話かかってきてさ。着替える間もなくそのまま警察署で事情聴取よ。制服のまま警察署だぜ!?」
「うちの学校、この辺じゃすこぶる評判悪いっすからねぇ……。きっとまたあの学校の生徒が何かやらかしたんだなって思われてますよ」
「そうそれだよそれ! 俺ってば控えめに言っても正義の味方じゃん! なんでこんな晒し上げみたいなことされなきゃなんねーんだよ……」
学校の制服を着ていることが恥ずかしい。
愛校心がどうとかという問題以前に、これを着ているだけで危険人物認定される世の中だ。極めて実利的な面においてこの制服を着ていたくなかった。
なまじ桜色を基調としたファンシー系の可愛らしい制服(俺達はエロゲ制服と呼んでいる)だけに、やたらと目立つのがマイナスポイントに拍車をかけている。ピンク服は頭もお花畑ってか。やかましいわ。
「おまけにさぁ……。散々かっこつけて別れたおっさんと無事警察署でご対面だぜ。もうなんか、痛かった。空気が痛かった。逃げ出したかった」
後輩はぶっと吹き出した。あわてて口を抑えていたが、そうは行くか。
「仕方なく自己紹介したよ。再会して一言目のセリフがこうだぜ。『あ、どうも……。太田翔平です、どうも……』」
後輩はこらえきれずに笑い転げた。鈴のように澄んだ声で、大口を開けて馬鹿笑いする。
「なにわろてんねん」
「いやいやいや! 笑うでしょ! 通りすがりのヒーローからの太田翔平は笑いますよ!」
「だよなぁ。せめて俺の名前が霧ヶ峰龍也とかだったらなんとかなったのに」
「そういう問題じゃないですよっ!」
「でも現実は太田翔平です、どうも……」
「先輩わざとやってますよねッ!?」
ふはは。ばれたか。
ひとしきり馬鹿話で盛り上がって、後輩の表情筋が元の形に戻らなくなった頃に下校時刻の鐘が鳴った。
素行の良い俺たちとは言えないが、この鐘には従うことにしている。従わないと屋上で一晩キャンプすることになるからだ。あんな寒い思い二度とごめんだ。
「先輩、ひとつ聞いていいですか」
「ん?」
「そのおっさんを襲っていた3人組、どんな奴らでした?」
「どんなって……。なに、気になんの? どしたの後輩ちゃん」
「この辺で舐めたマネしてるようっすからね。シメてこようかと」
おーおー。血気盛んなこと。うちの学校の生徒としては有望だ。
でも、個人的にはあまり歓迎できそうにない。
「やーめーとーけ。ほっといても誰かがシメるわ、あんな小物」
「ですが、そいつらは先輩の近所でやったんでしょう? 見せしめにでもしないと示しがつきませんよ」
「俺はもう引退したの。示しも何もあるか」
この後輩はどうも勘違いしているようで困る。
俺がブイブイ言わせてたのは一年前……、いや半年……、ううん、3ヶ月か2ヶ月か1ヶ月くらい前の話だし……。
とにかく俺はもう引退した。引退したったら引退したの。
「まーたそんなこと言って。この前だって足洗うとか言っておきながら、二週間もしないうちに乱闘騒ぎ起こしてたじゃないですか」
「いやだって、あれは……、ねぇ? 不可抗力だし?」
「20人近くぶちのめしといて何が不可抗力ですか」
いやだって、その場の流れがそうなっちゃったんだからしょうがない。
そんなことよりまずいぞ。後輩のペースに持って行かれつつある。
こほんとおもむろに咳払いをし、俺は渋く落ち着いたアニメ声でこう言った。
「踏み外すな。お利口さんでいろとは言わんが、賢く立ち回れ。俺たちはそういうことを覚えるべき時が来たんだよ」
「先輩声かわいいっすね」
「お前しばくぞマジで」
こいつ……。絶対に言ってはならんことを……!
俺たちにとっての共通認識であり、偶然見つけた世界の特異点。口に出してはいけない禁断の法則。
後輩は今、その禁を破った。
「にしても、なんで世の中美少女だらけになっちゃったんすかねぇ」
また破った。
「知らねーよ。俺たち底辺男子高校生美少女……。いや、元底辺男子高校生にどうこうできる問題じゃないっしょ」
「それもそうっすけど、やっぱり不気味っすよ。少なくとも僕の知る限りじゃこれに気がついてるの、僕らしかいないじゃないですか」
「まぁな……。そういやお前、もう一人試すって言ってたっけか。どうだった?」
試すってのは伝達実験だ。
自分が美少女になったことに気づいているかどうかを、直接確認する。それだけの実験。
「失敗でしたよ。気づいてませんでした」
「そうか。それで、そいつは?」
「しばらく考え込んだ後、気がついたようですね。その後は、その……」
「消えたのか」
「……はい」
自身が美少女になったことを自覚した人間は、この世界から消失する。
それが今の世界に付け加えられた絶対のルールだ。
どうしてこうなったのか。消えた人間はどうなったのか。そして何故、自覚している俺達が消失しないのか。
真実は俺達の手に届く場所になく、俺達はただ現実を受け止めるしかない。
「ま、できるこたぁ変わんねーな。現状維持だ」
「気付いてないフリっすね。美少女と自覚していることをおくびにも出さず、今までの暮らしを続けると」
「おかげでハードボイルド美少女なんつー面倒な生き物やらせてもらってらぁ」
「それは元から面倒くさかったっすよ」
「お前な」
ぱん、と手を叩いて合図とする。この話はこれで終わりだ。進展があればまた話すこともあるだろう。
見上げた空は茜色から濃い群青へと変わりつつある。俺たちの一日が終わりに近づくと、それは姿を表した。
天に灯るは万の星々。それは観測者たちの瞳であり、悪意に歪められた誰かの望みでもある。
かつてはキレイなものを望んでいたその光も、今ばかりは不気味に見えた。
(こんなナメクジみたいな美少女に一体何を望むんだよ)
気に入らない。舌打ちする。空虚に響き、溶けて消えた。
「ところで先輩」
「……あぁ。悪い、ちょっと考え事するわ。先帰ってろ」
「いや帰るも何も、まずいっすよ。下校時刻過ぎましたし、屋上の鍵もかけられたみたいです。どうするんすか」
「ばっかお前先言えってお前」
あわてて扉にかけよったが、すでに鍵はかけられている。
屋上側から開ける術は無い。有り体に言って、万事休す。
ゆっくりと振り返り、後輩の顔を見る。すでに達観した顔をしていた。きっと俺も同じような顔をしているんだろう。
「……春でよかったな」
「そうっすね。少なくとも凍死することはなさそうです」
キャンプするかぁ……。
心底気は進まなかったが、こうなってしまったからにはしょうがない。
腹をくくって、むしろ現状を楽しむことに前向きになろうと努力することにした。
*****
その後俺達は星明かりの下狂ったテンションで馬鹿騒ぎしていたところを、体育教師のゴリラ美少女に見つかってお縄となった。
頭の形が変わるほどぶん殴られ、原稿用紙数枚の反省文の提出を義務付けられた後に俺達は自宅へと送り返されたのだった。
なお、保護者が迎えに来ることはなかった。
当然だろう。俺も後輩も、家族はすでにこの世界から消失しているのだから。