41 企みと焦燥と
──嫌な予感がする。
あの男が言った「お姫様」。それはおそらく、エリシアのこと。
彼女に何があった?
一人で馬車を使うわけにもいかず、走っていくかと覚悟を決めた時、小さな馬のいななきが闇の中から聞こえた。
「お姉さん、こっち」
黒毛の馬に乗ったソークルージュが、押し殺した声でキリエを呼ぶ。
「何であんたが──」
「この件に関しては、僕が仕組んだ」
引っ張り上げられながら言われた言葉に、キリエの殺気が膨れあがった。
その殺気を目だけで押さえこみ、ソークルージュがため息をつく。
「落ちついて。ただで僕がこんな面倒なことをするわけがないだろう? 僕の目的は標的の抹殺じゃなくて、あくまで他にあるんだ」
馬を走らせながらソークルージュが淡々と言う。
「目的?」
眉を顰めて振り返るキリエに小さく笑いかけ、彼は内緒事を打ち明けるように身体を前に傾けた。
「本人には言ってないけどね、逃がしたい人がいるんだ。彼は今危険な立場だし、ドミニゴには似合わないから。……優しすぎるんだよ」
「何でそいつ、そこにいるわけ?」
「僕と一緒で、生まれた時からの運命ってやつかな。ドミニゴの長の息子には、それなりの苦労があるものさ」
自嘲するように口の端を歪めたソークルージュは、しかしすぐに元の笑顔に戻る。
「将来を期待されてるなんて言っても、それは大人達の勝手な言い分だろう? 僕は、彼は自分に合った道を進む方がいいと思ってる」
(──もしかして)
一つの名が頭をかすめ、キリエはきゅっと唇を噛んだ。
「ねえ、そいつってもしかして──シュレイドのこと?」
思い切って訊いたキリエの顔を、シュレイドが覗きこむ。
「当たり。驚いた?」
「いや、あたしはどっちかっていうとあんたの方にびっくりだわ」
心からの本音を言うと、ソークルージュが馬鹿にしたように吹き出す。
「光栄だね。──正直、誰でもよかったんだ。シュレイドを助けてくれるなら。たまたま彼がお姉さんと会って、今が絶好のチャンスで。いい駒だったよ、お姉さんは」
彼の唇が、にこりと笑みの形を作った。
「あのお姫様だって、君の性格なら放っておけないだろう? ……簡単に捕まってくれて、彼女も本当にいい駒だ」
先程までと同じ笑顔なのに、同じ口調なのに、内容は全くの正反対。
そのちぐはぐさに、キリエは得体の知れない恐怖を覚えた。
渇いた喉を密かに唾を飲み込んで潤し、恐怖を振り払うように口を開く。
「ねえ、あんた、シュレイドにそっくりだけど……あんたはあいつの何なわけ?」
キリエの問いに、彼は元の雰囲気に戻って小さく笑う。
「僕はソークルージュ・アテノン。シュレイドの母君……アシュライン・アテノンの甥さ。……リーはね、昔は怪我をした小鳥を治療するほど、優しい子だったんだよ」
最後の方は独り言のように呟くと、ソークルージュは馬の腹を軽く蹴った。
「急ぐよ。今日中に全てを終わらせなきゃいけないんだ」
何故、と思ったけれども、ソークルージュはそれ以上何も言わない。
キリエも何も問うことなく、ただ巻き添えになってしまった彼女に思いを馳せた。
あの勝ち気で、でもとても繊細な小さな淑女は、一体どれほどの恐怖を感じているだろうか。
見ただけで駿馬とわかるその馬の疾走が、とても遅く感じた。




