35 公認しないでほしい
「今日も来たのね」
「土産つきだ、文句はあるまい?」
初めて対面してから早一ヶ月、シュレイドはアリスの元に日参している。
特にここ数日はささやかな贈り物と共に現れていた。
もはや二人は、表の世界で言うところの公認カップルのようなもの。
アリスは不本意ながらその状況を甘受していた。
本日の贈り物は、石榴石をふんだんに使った、花籠をモチーフにした小さなブローチ。
「あら、綺麗」
箱を開けたアリスは、それを見て演技ではなく顔をほころばせた。
──むかつくことに、シュレイドは非常に趣味がいい。
(うさんくさげなずるずるのローブ着てるくせに)
内心ぼろくそ言っているアリスだったが、顔では笑ってブローチを取り出した。大きく開いた胸元にそれをつけて、シュレイドを見上げてみせる。
「似合うかしら」
「お前の髪によく栄える」
直接的な賛辞を送らずに、シュレイドはアリスの頬に手を滑らせて、紅の髪をさらりと梳いた。
「明日は今までで最高の土産を持って来よう」
明日でお前は自由だ。
耳元でささやかれた言葉の意味を理解して、アリスはくすりと艶っぽく笑う。
「楽しみにしてるわ」
彼女を自由にするほどの土産。
それは。
今現在、彼女が早急に必要としている情報。
「でもあんた、こんなに金使って平気なの?」
シュレイドの贈り物は、全て高価なものばかりだ。借りを作りたくないアリスがこっそり訊くと、シュレイドは微かに口元を歪めた。
「それほど貧しくはない」
(……死ネ)
どこまでも嫌味な男だ。
結局いつものごとく、アリスが仕事を終えるまで傍についていたシュレイドは、彼女が自室に引き上げると同時にアシャクロムを後にした。
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翌日やってきたシュレイドは、来るやいなやアリスの腕をつかんで例の部屋に連れこんだ。
鍵を閉めてくるりと振り向くと、彼は懐から取り出した紙の束を無造作に投げ渡す。
訝しげな表情でそれを読み始めたアリスが、はっとした様子で弾かれたように顔を上げた。
「あんた、これ──!?」
「とっておけ。それが今、一番必要なものだろう?」
腕を組んでさらりと言ったシュレイドに、アリスは信じられないというようにかぶりを振る。
「あんた、馬鹿じゃないの? 何の見返りもないってのに、何であたしにここまでしてくれるわけ?」
「……さてな」
ゆるく笑ったシュレイドが、おもむろにアリスの耳に手をやった。
少しの違和感に眉を顰めたアリスは、離れていく彼の手にある碧色の石を見て、慌てて自分の耳元に手をやる。
……いつもと変わらぬ、馴染んだ金属の感触。
「それをやろう。お前は自由だ」
そう言うシュレイドの右耳には、いつもの紅い石がない。
彼の言葉で自分の右耳がどうなっているかわかったアリスは、ありがたいようなありがたくないような、とても微妙な気分になった。
右耳のピアスの交換は、婚約や結婚の証。それがアシャクロムでの常識。
そしてもう一つ、『所有物』──身請けとしての意味も持っている。
この場合は、厳密には交換と言わず、身請けされる方は自分のピアスを全て相手に渡すのだが。
「行くぞ」
「あ、ちょ、待ちなさいよ! 身請け金は──」
「払った。文句はあるまい?」
「あるまいってあるに決まって──いやいや、そんなことより!」
有無を言わせず出て行こうとするシュレイドに慌て、アリスはばたばたと自分の部屋に戻る。
「酒と手紙と……あ、これも!」
自分の素性を表すモノに繋がるような物を、一つ残らず小さな鞄に押しこむと、アリスはスカートをふわりとなびかせてシュレイドの元に戻った。
「ずいぶんな荷物だな」
「燃やす暇がなかったの。この酒だって、置きっぱなしにはしとけないし」
「──なるほど、寅酒か」
「なんだか知らないけど。目の色を変えるのに必要なのよね」
肩をすくめたアリスから酒を取り上げ、シュレイドはそれを自分の懐に入れる。
「何してんのよ」
「俺が持っていた方がいいだろう」
シュレイドの瞳は赤。
「……まあそうだけど。出たら返しなさいよ」
半眼になったアリスにくつりと笑い、シュレイドは彼女の手首をつかんだ。
カード場に出ると、男達の視線が二人に注がれる。それをものともせずに、すたすたと歩いていたアリスが扉から出ようとした時、背後から呼び止められた。
「アリス!」
あのスリの少年だ。泣きそうな目で彼女を見つめ、何かを言いかけた唇をぎゅっと結んで立っている。
しばらく彼を見つめていたアリスは、やがて鮮やかに笑いかけた。
「強くなりなさい。もっともっと強くなりなさい。そうすれば、また会えるかもね」
エムスのキリエとして。
『アリス』は今日限りで廃業だ。
「俺……俺、強くなるから! そしたらそいつじゃなくて、俺のものになってくれるか?」
「あたしはこいつのものじゃないわよ。誰のものにもならない。あたしはあたしのもの」
少年の精一杯の告白に直接的な言葉を返さず、キリエは綺麗に微笑んだ。