27 危なくない喧嘩なんてない
一枚の赤い紙切れを前にして、キリエとディラックは一瞬固まった。
「ディラック、あんた何かやった?」
「お前こそ、何かしでかしたのか?」
無表情でそう言い合った二人は、ご丁寧にも全く同じタイミングで深いため息をつく。それを見かけたフリードリヒが、立ち止まって首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「あ、聞いてよフレディ君。ディラックったらまた何かやばい事したくせにいけしゃあしゃあと──」
「ちょっと聞いてくれよフレディ。キリエの奴、何かやばい事しでかしたくせにぬけぬけと──」
同時にそこまで言い切った二人は、一旦口をつぐんでジト目で互いを見る。
「何よ」
「何だよ」
『何か文句ある? この(ピーーー!)』
『犯るぞこの(ピーー!)』
エムスの言葉で堂々と放送禁止用語を吐いたカレとカノジョは、にっこりと美しく微笑み合い。
「やる気かコラァ!?」
「受けてたつわよタコ!」
次の瞬間、鬼のような形相で各々の愛剣を抜き放った。
「わあああああああっっ!!」
半泣きな上に真っ青になったフリードリヒが、間に滑りこみ身を挺して二人を止める。ぴたりと動きを止めて、だが目つきはいまだ剣呑な二人に向かって、彼は必死に訴えた。
「お二人とも、何やってるんですか! っていうか、人に話しかけたくせに勝手に火花散らして勝手に危ない喧嘩始めないでくださいよ!」
「何言ってんのよフレディ君」
ディラックを睨みつけたまま、キリエが意外にも静かな声で言う。
「そうとも」
何故かディラックの声も静かだ。
「「危なくない喧嘩がどこにある?」」
──この上ない名言であった。
「ってなわけでえっ!」
「行くぜ──だあっ!」
最後の「だあっ」は気合いの声ではない。フリードリヒに足を引っかけられたディラックの悲鳴だ。
キリエに対しては別段何もしていないあたり、二人の扱いにずいぶんと差があるのは気のせいだろうか。
「一体どうしたんですか、お二人とも」
「「だってこいつが」」
またもや見事にハモった二人は、再び野生動物さながらの睨み合いを始めてしまう。そんな二人に、(仕方なく)フリードリヒがテーブルの上の紙を示した。
「それ、何ですか?」
「これ? ──ああ、呼び出しだよ。赤だから、緊急」
紙を持ち上げてちらりと中身を見たディラックは、うんざりしたようにため息をついた。
「呼び出し?」
首を傾げるフリードリヒそっちのけで、再び二人の口論が始まる。
「何やったんだよお前」
「だから! あたしは知らないってば!」
「俺だって知るか!」
怒鳴り合う二人の間に入ってなだめながら、フリードリヒが珍しく威圧的な笑顔で一言。
「とりあえず、行ってらっしゃい」
その一言で、まだ何かを言おうとしていた二人がしぶしぶ黙りこむ。
「やれやれ……呼び出しなんざ、去年キリエがヘマした時以来じゃねえか」
「あれは向こうが悪いんでしょ!? セクハラまがいのことしてきたんだから、拳の一発もお見舞いして当然じゃない」
「はーいキリエ、任務中は?」
「ぐっ……私闘を禁ず……!」
「てなわけで、あれでもお前が悪い。──さて」
キリエの口を封じ込めたディラックは、めんどくさそうに頭をかく。そして、おもむろにマッチを取り出して器用に片手ですり──その紙を燃やしてしまった。
目を見開いて固まってしまったフリードリヒに再び苦笑し、ディラックは手をはたく。
「こういう習慣なんだよ。エムスからの指令は、痕跡が残らないように全て焼き消す」
灰皿の上に燃えかすを落としたディラックは、深いため息をつきながら首を鳴らした。
「さあて、今度は何が起きたやら……」




