1 始まりは軽いノリの指令から
とある夕べ。至極ありきたりなその酒場に強盗が入ったのは、本当にたまたまだった。
「騒ぐんじゃねえ! とっとと金と馬をよこしな!」
見るからに悪人顔といった風情の男達。悲鳴をあげて逃げ惑う男達を無視して周囲をぐるりと見渡すと、彼らはひときわ目を引く美少女に標的を定めた。
空色の髪に濃紺の瞳。形の整った、桃色の唇。何も化粧をしていないにもかかわらず、何とも言えない可憐さを匂い立たせている。
ふと我に返ったような彼女の、ただでさえ大きめの瞳がさらに見開かれ、唇が微かにわなないた。粗末な木のテーブルに置かれた手は、色白で小さい。何故か両手で酒が入ったカップを握りしめていたが、それは強盗達によって乱暴に蹴散らされた。
腕をつかまれて引きずるように立たされた彼女に、酒場中の視線が集まる。その首筋にはぴたりとナイフがあてられていた。
少女の長い睫がふるふると震える。
「大人しくしてろよ、ここにいたのが悪かったと思って諦めるんだな。……なあに、砂漠まで行ったら放してやるよ」
にやついた男の声に、少女は深々とため息をつく。その口元は、何故か不敵につり上がっていた。
「ほんっと、ついてないわねえ……」
「なあ? よりにもよって、お前を巻きこむなんてな」
明らかに笑っている口調で呟きに応じたのは、やはり目もくらむほどの美男子。
長い金色の髪をさらりと流し、弓なりに細められた緑の目は、長い金色の睫でけぶっている。柔らかく心地良い声とは裏腹に、その言葉遣いは少々荒っぽかった。
「しっかし、お前がつかまるとはなあ」
「しょうがないじゃない、考え事してたのよ」
容姿も会話の内容も明らかに場違いな二人。そんな彼らは、しかし周囲の視線をものともせずに会話を続ける。
「ねえ、ディラック。巻き込まれた場合には、仕方ない。のよね?」
「ピンポーン」
にや、と不敵に笑い、彼は一言告げた。
「派手にやれ、キリエ」
「オッケー!」
弾んだ声がした瞬間、キリエの首に腕を回していた男の視界から、彼女が消えた。
驚いて辺りを見回す男の頭上で宙返りをした彼女は、男の背後に降りながら後首に手刀を放つ。昏倒した男を横目に、キリエはふふんと鼻を鳴らしながら見事に着地した。
それを見た他の強盗達が、一気に色めきたつ。
「何だあのアマァ!?」
「やっちまえ!」
店内のあちこちに散っていた男達が、一斉にキリエめがけて襲いかかってきた。それをひょいひょいと身軽によけながら、彼女はディラックに声をかける。
「半分でいい?」
「まけといてやるよ」
にやりと笑ったディラックは、剣を鞘ごと引き抜く。極めて上手く──とても楽しそうに──男達をおちょくり、約半数を鮮やかに剣で叩きのめした。
「キリエ、そっちは」
「ちょっと待って」
その声と同時に、最後の一人の急所にキリエの拳が埋まった。
「はい、終わり」
ぱんぱんと手を打ち合わせて埃を払うふりをし、彼女は手に腰を当てる。
「さ、連れていこうか。いくらもらえるかな?この人達で」
「ざっと三百万ソネーってとこかな」
「まあ素敵」
三百万ソネーといえば、上等の馬が一頭買える値段である。そんな金額をさらりと口にする相棒に白々しく呟きながら、キリエはロープで一人一人をぐるぐる巻きにして、その端を彼に持たせた。
ごそごそと男達の懐を漁って財布と思しきものを取り出すと、ディラックが割れた皿と落ちた料理が散乱する酒場の主に向かって投げる。
「親父、騒いで悪いな。これで直してくれ」
「あいよ」
店主はどうやら顔なじみらしく、苦笑して中身を数えている。そんな彼の横で、キリエが軽く伸びをした。
「んじゃ、呼んでくる」
「早く来いよ」
ものすごい速さで飛び出たキリエは、ほどなく目星をつけていたポリスに駆け込んだ。事情を呑みこめずに目を白黒させるポリスは一切無視だ。早く早くと引きずるように連れ帰ると、ポリスは目を丸くした。
「ご協力感謝します……! この連中は殺人を繰り返していて、血眼になって探していたんですよ!」
狂喜するポリスに、いやいや市民として当然のことですよなどと嘯いて懸賞金を受け取り、二人は意気揚々と酒場を後にした。石畳の道に、軽快な足音が二つ響く。
通り沿いに並んだ屋台から、食欲をそそる匂いが流れてくる。家に帰る前に小腹を満たしていく者、夕飯の足しにと買っていく者。
お使いを頼まれたらしい子供が、籠に商品を入れてもらっていたりする。これもまた、いつもの光景だ。
「三百七十万ソネーか。結構儲かったね」
「ああ。これで生活も楽になるか」
満足げな笑みを浮かべるディラックは、実はそんなセリフを吐くほど貧乏ではない。むしろ、一般水準からすると裕福と言っていいほどの収入を得ている。
貧乏性だとキリエは笑うが、実は彼女自身も似たりよったりであるため、あまり笑えない。
「ま、ね。あたしも仕送り額増やせるし!」
だから、軽く受け流すだけ。
「お前、まだ仕送りしてんのか? 幼馴染も大変だな、お前にこき使われて」
「ん? ああ……まあね。幼馴染は使ってなんぼでしょ、あたしが直接渡すわけにはいかないんだし」
こんな職業だしねーと肩をすくめるキリエには、離れて暮らす兄弟がいる。彼女は毎月、彼らに決まった額を仕送りとして送っているのだ。
仕方なさそうに笑ったキリエに、ディラックがやれやれというように肩をすくめた。
「大きくなったかなあ……」
幼い頃別れたきりの弟達に思いを馳せる。面立ちは朧になってしまっだが、抱く愛情だけは今も変わっていない。そんな彼女の頭を、ディラックの手が軽く乱した。
「ガキはしぶとい。大丈夫だろ」
ディラックのその言葉で、キリエの脳裏に弟達の姿がよぎる。
もう顔もはっきりとしないほど長い間離れているが、元気でいてくれるだろうか。何よりも、幼馴染は仕送りをきちんと送金してくれているだろうか。
胸を張って言えるとは言い難い職業柄、彼女は弟達との直接の接触をとても慎重に避けていた。弟達が蔑まれないように。そして、キリエ自身が蔑まれないように。
「うん……ありがと」
「あんまり考えんなって」
明るく笑うディラックに、次々と街の娘達から声がかかる。
「ディラック! こんどあたしのお店に来てね! サービスするから」
「ありがとな、シャロン。後で行くよ」
「ねえディラック、今度時間作ってくれない? 一緒に行きたいところがあるの」
「任務が終わったら時間ができるから、その時にな」
「ディラック、花はいかが? 男っぷりが上がるわよ」
「よっ、メグ。相変わらず綺麗だな。花の方がくすんで見えるぞ」
ひとしきり女達をあしらうディラックに、キリエが彼の腕をつついた。
「女たらし」
「付き合いだ、付き合い。女には優しくするべきだし、情報源は貴重なんだぞ」
「うわあ、ドライー」
「彼女達の尊厳は尊重してるさ」
相変わらずのディラックに呆れて笑い、キリエはその腕を引っ張る。その目は屋台の商品に向けられていた。
「ねーえ、ディラック。あれ、おいしそうだね」
「あ? ──ああ、そうだな」
「……」
「……」
沈黙。
「………………………」
「………………………」
長い沈黙。
そこだけ時間が止まってしまったかのように、賑やかな通りの中で二人は動かない。視線もそらさない。
やがて、ディラックが長く深い息を吐いた。
「わかったわかった、買えばいいんだろ!?」
「ありがと。ディラックって優しいのね」
にっこりと満面の笑みを浮かべるキリエ。おねだり視線の威力、まだまだ捨てたものではない。もちろん、彼が自分に甘い事を知った上で、狙ってしているのだが。
「……ったく……」
渋々金を払ったディラックから、嬉々として甘い菓子を受け取る。
「食うのはいいけど、本部に着くまでには何とかしろよ」
「わかってる」
上機嫌で食べていると、ディラックに苦々しげな顔をされる。そんな彼に軽く答えつつ、キリエは本当にぺろりとそれをたいらげた。
「あー、やっぱり当たりだった! ディラックも今度食べてみたら?」
伸びをした拍子に、キリエの袖の中から、ぴたりと腕にはまった金の腕輪がちらりと見えた。
「暇があるか」
彼女の頭を小突くディラックの腕にも、同じ物。
やがて二人が立ち止まった建物にかかった看板には、「エムス本部」と書かれていた。
ごく普通の一般市民には、あまり関係のないその店の名は、しかしある種の人々にはとても重宝される。──どちらにせよ、その知名度は変わらないのだが。
世界中で有名な組織に、一般も特定も関係ない。
「三分遅刻」
「チーフ、怒ってるかな」
「さあな」
首を傾げるキリエに、肩をすくめるディラック。腕のいい彼らは引っ張りだこなのだ。
「でも、食べながらこんにちはーって入るよりいいでしょ?」
「もっともだ」
わざとらしく大きくうなずき、ディラックが使い古された木のドアを開ける。中に入っていく彼らの背中からは、独特の雰囲気が漂い始めていた。
〈エムス〉は世界一と言われる大規模な傭兵集団。そして二人は、その集団に所属する、レベルAのプロの傭兵。
依頼は完璧に遂行するのが、彼らの役目。
「やほー、今回の依頼はこれね」
「はいはーい……って何これ!? 絶対お断り!!」
「〈ドミニゴ〉相手かよ!? なしだなし、この依頼お断り」
「それがそうもいかないんだよねー。君達指名の依頼だから、本部命令で強制任務☆」
「『強制任務☆』じゃないわよ阿呆! その年で語尾に星つけんな! 気持ち悪い!」
「えー、酷いなあ。これでもまだ三十路だよ?」
「三十路入ればもう親父だっつーの! こんなねちっこい連中の相手なんてしてられるかよ」
「はーい、それじゃあお願いねー。はい、これ地図。着いたら支部に連絡してね! いってら!」
「人の話聞きなさいゴラァ!」
──出てきた時のキリエは、一連の会話で完全にふてくされていたのだが。