12 人殺しの分際で
うっすらと目を開けたキリエの視界に入ったのは、フリードリヒのどアップだった。それを押しのけるようにしてディラックが顔を出す。
「お、起きたか。ここの傭兵がくれた薬のおかげで、ずいぶんマシになったぞ」
「傭兵? ここの?」
そういえば、伯爵が傭兵をどうのこうのといっていた気がする。どんな人物かと興味を抱いてはいたが、まさかエムス以上の薬を持っているとは──。
そこまで考えて、ありえそうな人物にはたと思い至る。
まさか。まさかまさかまさか。
いや、ありえない。もしも本当に彼らならば、自分のところに顔を出さないはずがないのだから。
でも、微かに香るこの薬の匂いには、微かに記憶に──。
必死に否定しようとするキリエに、再びフリードリヒが顔を突き出してくる。
「キリエさん、怪我は大丈夫ですか? あまり無理はしないでくださいよ」
心底心配ですと目に書いて身を乗り出すフリードリヒの横で、部屋に来る前から黙っていたエリシアが低く呟いた。
「……いつもいつも、その人のことばかり」
「──え?」
振り返ったフリードリヒを通り越し、エリシアの視線は鋭くキリエに向かった。
「──人殺しの分際で」
憎しみのこもった低い声と共に、その手にあった扇が、キリエに向かって飛んでくる。
ディラックが反射的に叩き落としたが、キリエは竦んだようにエリシアを見つめるばかり。
「ディラックさんから聞きました。貴女、弟と妹に仕送りをしているんですってね。──馬鹿馬鹿しい。その子達がいい迷惑だとは思いませんの?」
エリシアの目には、はっきりと侮蔑の色が宿っていた。キリエは一瞬、彼女の言葉に呼吸を止める。
「人を殺して手に入れたお金など、汚らわしいとしか言いようがありませんわ。人を殺すことに何のためらいもなく、しかもそうして手に入れたお金で兄弟を養うなど、人間として最低ですわね」
キリエの顔が刺されたように歪んだ──ように見えたその時、乾いた音がした。
打たれた頬を押さえて、エリシアは何が起こったのかがわからないような表情で、怒気をあらわにしたフリードリヒを見る。
「エリシア、いい加減にするんだ。キリエさんを侮辱するな」
数瞬呆然としていたエリシアだったが、やがて泣きそうな顔になり、そしてそれは怒りに変わった。
「そんなにその人が大事なら、勝手にすれば!?」
一言叫んで、ばたばたと走り去っていく。
しばらくの間、雷に打たれたように誰もが動かなかったが、やがてディラックがフリードリヒに目をやった。
「──追いかけてやれよ」
「いえ。僕はキリエさんの方が大切ですし、それに──婚約者なんて、本当に名ばかりのものですから」
「どういうことだ?」
首を傾げたディラックに小さく笑うと、フリードリヒは気休めのようなものですと答える。
「エリシアは正式には、この侯爵家の血を引いていません。僕と同じ、里子です」
その言葉に、キリエの眉がぴくりと動いた。