7 腕輪
エムスの腕輪は、死体の個体判別として使用される。
戦場で斃れた傭兵の死体は、身元がわからないほど損傷していることがほとんどだ。そのため、エムスは腕輪の内側に身元を彫り込んでいる。
これは極秘事項であり、エムス以外の者にはけして明かせない情報なのだが。
エムスの傭兵の腕輪が切られるのは、その本人が傭兵を辞める時──死ぬ時だけだ。
途中で抜けようと思っている者なら、端からエムスには入っていない。死ぬまで傭兵であり続ける、その覚悟がなければエムスも彼らを受け入れないのだ。
キリエが来た瞬間から不機嫌になったエリシアの横で、ならばとフリードリヒがなだめるように微笑んだ。
「それにも勝るものを作らせましょう。金がいいですか、それとも銀ですか?」
「まあ、嬉しい!!」
ぱっと顔を輝かせて大きな声を出すと、エリシアはすぐに銀を指定する。
何だかんだ言って仲睦まじい二人の様子に苦笑しつつ、ディラックがふとキリエに視線をよこした。
その目は笑っているようで笑っていない。
「……で? どうしてお前は、護衛をさぼってるんだ?」
「え? 普通に休んでるんだけど?」
すぱっこーん!
彼女がそう言った瞬間、実にいい音がした。キリエの頭が慣性の法則に従う。
「痛っ! 何すんのよ、ディラック!」
「それはこっちのセリフだ!」
額に青筋をたてんばかりの形相で言い返すと、キリエはようやく理由に思い当たったようだ。やっちまったと、表情が雄弁に語っている。
「ごめんごめん、バスーキン伯に休んでろって言われたのよ。ほら、怪我の事もあるし」
最後の言葉で声が低くなったのは、すぐ側にいるエリシアに配慮してのことだろう。彼女が血なまぐさいことなどに、全く慣れていないことは確実だ。
「ったく、先に教えろよ」
「ごめんってば。許して、ね?」
必殺・可愛らしく上目遣い攻撃。
ディラック同様自分の容姿をよく理解しているキリエ。いくらディラックに耐性があろうとも、自分が可愛く見えることは計算済みに違いない。
事実、彼女に激甘なディラックは、そこでぐぐっと言葉をつまらせた。
そのやりとりを見ていたフリードリヒは、勢いよくディラックにくってかかった。
「ディラックさん! さっきから、女性になんてことをするんですか! キリエさんが怪我でもしたらどうするつもりです!」
「や、怪我なんてしないように調節してるし」
「いつものことだし」
キリエもけろりと口を挟むが、かえって逆効果だったようだ。フリードリヒの顔がさらに険しくなった。
「そういう問題じゃありません!! もっとキリエさんに対して、丁寧に接してください!」
常識の範囲をちょっぴり超えた怒り方に多少引きつつ、キリエが仲裁に入る。
「まあまあ、あたしも慣れてるし。ディラックとは長い付き合いだから、お互いのことはよくわかってるって」
「だから、慣れないでください!!」
あまりの彼の怒りようにキリエが小さく首を傾げた。これまでの彼の懐きっぷりに、疑問を抱いているのだろう。そんな彼女の頭に、ディラックがぽむと手を乗せる。
「それにしても、キリエ」
にっこり笑うディラックの声音に、キリエがぎくりと肩を強ばらせた。
よーしよし、素直な反応でよろしい。
「俺、ちゃんと治療しろって言ったよな? お前、後は自分でできるって意地張ったよな?」
「い……言った言った。ちゃんとしてるって」
「ほお」
「え!? キリエさん、まだ治っていなかったんですか?」
驚いているフリードリヒは、とりあえず無視。腰が引けているキリエに輝かんばかりの笑顔を浮かべると、ディラックはその顔のまま無言で彼女の頭を鷲掴みにした。
「じゃあ、今の状態の説明をしてもらおうか?」
「痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「ディラックさん!?」
ぎりぎりぎりぎり。
そんな擬音語が聞こえてきそうな勢いで、手に力をこめる。悲鳴をあげたキリエは、とうとうギブアップした。
「ごめん! あたしが悪かった! ちゃんと治すから!!」
「信用ならん。ちょっと来い」
べしべしとディラックの腕を叩くキリエを、彼は軽々と横抱きにした。背中の矢傷に負担がかからないように配慮されたそれに、キリエは泡を食って降りようとする。
「ちょ、ディラック! あんたも怪我治ってないくせに!」
「俺はだいぶマシになった。問題はお前だ、お前」
お前、どうやって自分の背中を看るつもりだ?
涼しい顔でさらりと指摘され、キリエがぐぐっとつまった。どうやら図星のようだ。
ほーれいくぞーとキリエを抱え、(おそらく色々な意味で)目が笑っていないフリードリヒに輝かんばかりの笑顔で送り出されつつ、問答無用で控え室として与えられた部屋に連行する。同じく服を引っぺがすと、ぐりぐりと薬を塗り込んた。
「痛い痛い痛い!!」
「自業自得だ、我慢しろ」
「我慢しても痛いものは痛い!」
べしべしとベッドを叩いて反抗するキリエに、ディラックの容赦ない手当てが続く。
「そこまで放置したのは誰だ?」
「うるさーい!」
「ほれ、次いくぞ」
「ぎゃあ! 痛い痛い、痛いってば!!」
キリエの文句も何のその、ディラックは手早く処置を終えるとキリエに念押しする。
「いいか、今のはあくまでも応急措置だからな。俺はこれからバスーキン伯のところに行かなきゃいけねえが、終わったらきっちりしっかり治療するからな」
「わかったわかった、行ってらっしゃい。どうせ契約についての話でしょ? できれば更新しといた方が良さそうだけどねえ」
「それについては俺も同感。──だから! お前は! きっちり治せ!!」
どかんと雷を落とすと、キリエは素直に返事をした。ベッドにうつぶせる状態で寝かされ、ほどなく彼女はゆるゆると睡魔に身を委ねていく。
柔らかなベッドに埋もれて、ゆっくりと目を閉じていくキリエ。その様子を確認したディラックは、バスーキンの下へ向かった。
はてさて、今後の契約はどうなることやらと思いつつ。