9 結婚宣言
展示会に現れた美人マネージャーは佐倉が言った通り我が社の男たちを魅了した。先客の対応に追われていた私は美人マネージャーの接客を同僚に任せてその日は挨拶だけに留めた。展示会の初日に美人マネージャーの虜になった我が社の男たちは報われない恋に落ちていった。佐倉が言ったようにやられちゃったのだ。
展示会初日終了後の営業部では美人マネージャーの話題で盛り上がり彼女に恋人がいるかどうかなどといった不毛な会話が飛び交っていた。恋人どころか婚約者がいることを知らないままが彼らの短い幸福と悟った私は会話には参加しなかった。私はその日の受注の集計を済ませて業務を終了させた。美人マネージャーの話題より佐倉の話しを早く聞きたかったのだ。
佐倉は品の良い居酒屋で私を待っていた。「おっ!早かったですねぇ」佐倉はジョッキを高く持ち上げて私を出迎えた。
「ひとりとは珍しいな」私は佐倉がひとりで酒を飲んでいる姿を初めて見た。
「そう言えばそうですねぇ。珍しいです」佐倉はひとりでいても空想で退屈などしないのだろうと私は思った。
「ひとりで飲んでいてもナンパもされない寂いしい女ですぅ!」佐倉は少々酔っていた。
「ナンパされたかったらもっと若向きの店に行けばいいじゃないか」
「ダメですよ。それじゃ誰に会うかわかりません。ここなら知り合いに会うことはないですからねぇ」佐倉はケラケラ笑いながら話した。
「それで話って何?」私が聞くと佐倉は笑いをやめて生真面目な表情になった。
「実は、実はですねぇ、私結婚しまぁす」佐倉は唐突なことを言った。
「おめでとう。それはよかったね」
「そうなんですよぉ。インドから追いかけて来ちゃったんですよねぇ。さよならしたはずの男が」
「インド人と結婚するのか?」
「いいえ、インド人じゃありません。イギリス人です」佐倉は意表をつく達人だ。インドでイギリス人と交際していたのだ。
「それじゃイギリスに行くのか?」
「違うんですよねぇ。パプアニューギニアです」佐倉の性格そのままだった。支離滅裂だった。
「なんでパプアニューギニアなの?」
「それは私の絵が南太平洋に合っているからです」
「行ったことあるのか?南太平洋」
「ありません」佐倉はあっさり答えた。
「なんで合っているなんてわかるんだ?」
「それはですねぇ南太平洋だからですよ」
「なんだそりゃ」
「きっと綺麗ですよ。南太平洋」佐倉はインドで出会ったイギリス人とパプアニューギニアに行くのだ。なんともややこしい。佐倉らしいと言えば佐倉らしい。
「良かったな。みんな寂しがるだろうけど」私は社員たちの失望を想像すると気の毒に感じた。