3 佐倉の帰国
私がわざわざ横浜まで足を運んだのには理由があった。佐倉家に電話をしても誰も電話にはでなかったのだ。私が直接佐倉家を訪れて誰もいなければ佐倉の復帰待望論にもひとつの節目ができると私は思っていた。いつまでも風聞と向き合っているわけにはいかなかった。どれほど佐倉が社員たちに愛されていようと私にとっては過去の人間に過ぎなかったのだ。
佐倉家は丘の斜面に沿った道沿いに慎ましく建っていた。呼び鈴を何度か押したが反応はなかった。多くの社員たちが落胆することを想像すると申し訳なく思った。しかし、私にはどうすることもできなかった。佐倉家の長い不在が意味することを考えてみても仕方のないことだった。納得出来ない者が勝手に調べれば良い事なのだ。私は佐倉家を後にした。私は元町を経由して本牧に向かい新たにオープンしたショッピングモールを見ることにした。売上予算達成のためには新規取引先が必要になるからだった。
真新しいショッピングモールは広い敷地の中に幾つもの個性的な建造物を有していた。佐倉の噂に振り回されるより新しい顧客を探すことこそ有意義だった。私は数ある店舗の中から自社商品を納品できそうな店を探した。その中に派手な原色でペインティングされた店があった。かなりの盛況ぶりだったので覗いてみることにした。するとそこには波紋の中心人物がいた。私は風聞の中にいたはずの佐倉に遭遇してしまったのだ。佐倉はビビットカラーの服を身にまといその存在を強く主張しているかのようだった。手際良くラッピングした商品を客に笑顔で手渡す姿は自由が丘で勤務していた頃より遙かに魅力ある接客だった。社内を乱舞した佐倉帰国の波紋は現実のものとなった。しかし同時に佐倉復帰の待望論はその思いを断念させられる事になったのだ。