第1話 深夜の屋根裏部屋、ターゲットは……。
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人間の死を前にしても、何も感じなくなったのはいつ頃だろうか。
物心ついた頃から裏社会の泥水をすすり、人間の生命を刈り取るためだけに生きてきた。
今回引き受けた依頼も、俺にとってはいつも通りの簡単な仕事のはずだった。
【ある高貴な血筋の出来損ないの始末】
報酬は前金で半分、依頼達成で残り半分。
指定された場所は粗末な平屋。
だけど、歪な屋根の傾斜を見ればそこに隠された屋根裏部屋があることは一目でわかった。
足音を消し、屋根裏部屋へ侵入した俺は眉をひそめた。
(……なんだ、ここ)
カビと埃などの臭いが鼻につく。
人間が暮らすには家具らしいものは一切なく、あるのは床へ直に敷かれた薄汚れた毛布だけ。
その上に小さな塊が丸まっていた。
(こいつか)
今回のターゲットを見付けると、俺は懐から使い慣れたダガーを抜いた。
一突きで心臓を貫けば、苦しむ間もなく終わる。
ターゲットへ歩み寄り、ダガーを逆手に持ち替えて俺は狙いを定めた。
その時だった。
「……う、ん……」
「!」
小さな寝返り。
それと同時に遮るものがなくなったターゲットの顔が月明かりに照らされる。
手入れされていない傷んだボサボサの髪。
うっすらと開かれた両目は綺麗なエメラルドグリーン。
「……ま……ま……?」
ターゲットのかすれた声が静寂に響いた。
求めたのは、自分を捨てた母親の温もりか。
それとも……。
「……ぐっ!?」
ターゲットと目が合った瞬間、俺の頭の中をガラスが粉々に砕け散るような衝撃が襲う。
(な、んだこれ……っ)
濁流のように流れ込んでくるのは、“俺じゃない”記憶……。
(……待て待て! ここってもしかして俺がいつも楽しみに読んでたネット小説の世界じゃないか……!?)
俺は目の前にいるターゲットの顔に見覚えがあった。
ターゲットは小説の後半で主人公たちを執拗に追い詰め、最後にはすべての悪事を暴かれて断罪される悪役令嬢、ルナータ・グラウザー。
そして、断罪後は国を追われ、落ちぶれたルナータを冷酷に殺害した名もなき暗殺者……。
(………それ、俺じゃねえか!!)
冷や汗が背中を伝う。
俺はどうやらシキミという暗殺者に転生したようだ。
名もなき暗殺者だったから、名前は今初めて知ったな。
シキミは未来で目の前にいるルナータを殺すために存在している。
「冗談じゃねぇ……」
ダガーを持つ手が震える。
ルナータの身体はガリガリに痩せ細っていて、小さな手足には無数の痣があった。
その姿を見て、俺の脳裏に小説の設定がよぎる。
【悪役令嬢ルナータは、グラウザー公爵家の私生児であり幼少期に陰湿な虐待を受け、それゆえに歪んだ人格へと育っていった―――】
この惨状がルナータを人格破綻させた原因か。
だけど、いくら依頼とはいえこんな幼いルナータをシキミが殺害するという展開は小説になかったはずだ。
記憶によると、シキミという暗殺者は依頼を失敗しないことで有名で、ターゲットが幼いから見逃すなどはあり得なかった。
(俺がシキミになったことで小説の時系列が狂ったのか……?)
「……ま、ま……」
「!」
ルナータの声でハッとなる。
起きたのかと身構えたけど、寝言のようだ。
(……無理無理無理ぃっ! 今の俺はシキミだからって子どもを殺せるわけがないだろ! シキミの記憶はあるけど、ごめんだわ!)
俺は改めて周囲を見渡す。
冷え切った屋根裏部屋。
カビと埃などの臭い。
薄汚れた毛布。
明らかに栄養失調でガリガリに痩せ細った小さな身体……。
「っ、大変だ! こんなところにいたら病気になっちゃうよ!」
平屋に足を踏み入れた時は何も感じなかったけど、俺はタガーを鞘に納め、ルナータの小さな身体を抱き抱えていた。
「っ!」
急に抱き上げてしまったからか、ルナータはビクッと小さな身体を跳ね上がらせた。
泣かれたり怯えさせたらどうしようと思ったけど、そんなことを考える余裕はなかった。
俺はルナータを落とさないように抱き直して、屋根裏部屋を後にした。
(ルナータを殺さなかったから依頼は失敗だけど、俺は本物のシキミじゃないんだから知るか!)
依頼達成による残りの依頼料を貰えないことよりも、とにかくルナータを安全な場所へ連れて行くのが最優先だった。
この日、俺の突発的な行動によって、物語の軸が音を立てて大きくズレたことを知る由もなかった。
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