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沸騰する祭。去らない熱。

掲載日:2026/08/17

 万物は水。

 万物は火。

 万物は流転する。




 彼の母親の腹の中。水が、湧いた。

 そこに、私は耳をあてた。

 こぽこぽと、音がする。

 腹に触れている、頬は熱さを感じた。

 沸騰している。

 そう、思った。

「ねえ、冷たいわ」

 彼の母親は、そう言った。

 私は慌てて、顔を上げた。

 人の、皮膚に。

 触れるのが、数百年ぶりだったので、

 うっかりとしていた。

 温もり。を感じていたたはずの、耳と頬。

 手で覆い、触れてみた。

 けれど、やっぱり。

 私の手は、温もりを感じなかったし。

 耳と頬も、温もりを感じなかった。


 彼が産まれた。

 夏、だったと思う。

 私が。人の家に居られるのは、

 夏の間だけであるから。

 彼を見て、真っ赤だから、赤ん坊と、

 いうのだと、今更ながら、気がついた。

 彼を冷ますため。彼を洗うため。

 産婆が、たらいに溜めた水を、

 彼にかけていく。

 水はたちどころに沸騰し、

 産湯となっていく。

 産婆の顔が、赤くなって、青くなって、

「奥方様。水が、水が足りませぬ。この子は、

 このまま。火になってしまいまする」

 彼の母親は、落ち着いた様子で、私に、

「あなた。この子を抱いてくださらない?」

 私は、かっかと燃えるような赤子を。

 胸に、抱いた。

 赤子の熱い血潮が、私に流れこんでくる。

 気がした。

 彼と私とが、繋がり。

 母と子とは、このようなものかと、思った。

「たわけ、抱きすぎじゃ。

 おお、こんなに冷たくなりおって」

 産婆に彼を取り上げられ、ああ、そうだ。

 私は母になれない。

 人と、繋がれど。

 私は、人に、与えることができない。

 私は、他を、奪って、奪って。

 彼を抱いたのは、これ、一度きりだった。


 人というのは、早いもの。

 まして。彼は殊更、早かった。

 立ち、歩き、駆けはじめる。

 よく、喧嘩をする子だった。

 子、だと思っていたのに。すぐ大人になり。

 彼の冠。


 日々、良く、田畑を耕し。

 村一番の稼ぎ頭になった。

 何度目かの夏が、また来た。

 そして、田畑の収穫を終えた、秋。

 彼は、母親と似た、隣村の女を妻にした。

 彼の婚。


 彼が結婚し、次の夏。

 水争いで、隣村と衝突し。

 諍いから、喧嘩になった。

 石が、こつんと、頭にあたっただけ。

 一月の間は、何もなかった。

 二月経つと、彼は、妻に、

「どうも最近、頭が病めて病めて」

 と言うように。

 彼が、私のところに来たのは。

 稲刈りと稲架掛けの終わった、翌々日。

 私は、彼が痛がる頭に、ただ手当てをした。

「ああ、冷たい。気持ちがいい」

 翌朝。彼は冷たくなっていた。

 彼の葬。


 彼は死んだ。

 けれど、彼は、終わらない。

 人の一生は、冠と婚と葬と。

 そして、祭と。


 彼が留守にした体を、水をなみなみと張った、大きな大きな、鍋に入れる。

 息を止めている、彼の体から、その全身から、いくつもの気泡が、ふつふつ、ふくふく、と水面へと、のぼる。

 彼の体で沸いている鍋の上。端と端とを渡すように、せいろが、架けられる。

 せいろの中、野菜、卵、ちまきなどが蒸され、村の人たちにわたる。わいわいと、箸と箸と、賑やかに。

 彼が蒸した料理を、彼を囲んで食べる。

 家族とは、火族であり、同じ料理を食べること。

 彼の祭。


 彼を贄とした、饗は終わり。

 名々が各々の家へと、帰っていく。

 私は、彼の家、彼の妻の家にも。

 彼の母親の家にも帰らなかった。

 夏が、終わるから。

 私は、彼の煮えた、彼のいた方へ。

 鍋を見ると、底。

 水も彼も、跡形もなく。

 私は鍋の中をそっと撫でる。

 私には、冷たいがわからない。

 けれどこの、金物の硬さから、きっと。

 これは、冷たいのでしょう。

 夏は、終わり。秋。

 人は、去っていく熱。

 けれど、また。どこからか、来たる熱。

 水行末。火行末。諸行無常。

 流転する、熱。

 私は、流れない。

 私は、転せない。

 私は、去らない熱。

 私に熱。常に私。

 誰にも、私の熱は、渡らない。

 季節は、巡る。

 贄饗祭は終わり、冬。

 そして、春。

 新苗祭。

 村の女は、種籾を水につける。

 彼の、妻の、腹に。

 こん、こん、と、水が湧いた。


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