第3章:最初の収穫と涙のポタージュ
土壌改良を始めてから、約二ヶ月。私が丹精込めて作り上げた小さな畑は、見違えるようにふかふかの黒土に変わっていた。そこに、私は厳選した種を蒔いた。乾燥に強く、痩せた土地でも育ちやすいジャガイモ。病気に強い品種改良されたトマト。そして、虫除けにもなる数種類のハーブ。
毎日、日の出と共に畑に出て、雑草を抜き、水の量を調整し、作物に声をかける。
「大きくなあれ、美味しくなあれ」
それは、まるで我が子を育てるような気持ちだった。
やがて、緑色の小さな芽が土から顔を出し、双葉が開き、ぐんぐんと茎を伸ばしていく。その成長の一つ一つが、私にとっては奇跡のように思えた。
そして、ついに収穫の日がやってきた。
まずはジャガイモだ。恐る恐る茎を引っこ抜くと、土の中からゴロゴロと、愛おしい塊が姿を現した。大きさは小ぶりだし、形も不揃いだ。けれど、それは紛れもなく、この「忘れられた谷」で育った、命の結晶だった。
「……育った」
土のついたジャガイモを両手でそっと包み込むと、視界が滲んだ。追放された日の絶望。一人きりの孤独。泥だらけになった日々。それら全てが報われた気がして、涙が後から後から溢れてきた。
これは、私が私の力で掴み取った、最初の希望の光だった。
その夜、私は収穫したばかりのジャガイモを使って、料理をすることにした。掘っ立て小屋にはろくな調理器具もなかったけれど、工夫次第で何とかなる。
大きな鍋でジャガイモを柔らかく茹でて皮を剥き、丁寧に裏ごしする。村で分けてもらったヤギの乳を少しずつ加え、滑らかになるまで混ぜ合わせる。味付けは、岩塩と、畑で採れたハーブだけ。
シンプルなジャガイモのポタージュ。前世のOL時代、疲れた自分を癒すためによく作った、思い出の味だ。
鍋いっぱいにできたポタージュを、私は村の広場へ持っていった。
「みなさん、よかったらどうぞ!今日、畑で採れたジャガイモで作りました!」
私の声に、村人たちは訝しげな顔で集まってくる。いつも遠巻きに見ていただけの彼らが、興味深そうに鍋を覗き込んでいた。
その輪の中に、レオンの姿もあった。彼は相変わらず仏頂面で腕を組んでいる。
私が一人一人にお椀を渡していくと、ある子供がおそるおそる一口、スープを口に運んだ。
「……おいしい!」
子供の弾んだ声に、大人たちも次々とスープを啜り始める。そして、あちこちで驚きの声が上がった。
「なんだこれ!こんなうめぇもん、食ったことねぇ!」
「ただのイモの汁だろ?なんでこんなに味が濃いんだ……?」
「体が……温まる……」
皆が夢中でスープを飲む中、私はレオンの前に立った。
「レオンさんも、どうぞ」
彼はお椀を受け取ると、無言で一口飲んだ。そして、琥珀色の目を見開いて、固まった。
「……どう、ですか?」
恐る恐る尋ねると、彼はごくりとスープを飲み下し、ぽつりと言った。
「……美味い」
たった一言。けれど、その言葉には万感の思いが込められているように聞こえた。彼はもう一度、今度はゆっくりと味わうようにスープを口に運び、目を閉じた。その無骨な横顔が、ほんの少しだけ、優しく見えた。
その日を境に、「忘れられた谷」の空気が変わった。村人たちは、私を「お嬢様」ではなく、「リナさん」と呼ぶようになった。そして、口々にこう言ったのだ。
「リナさん、俺たちにも畑仕事を教えてくれ!」
この一皿のポタージュが、谷の人々の心を溶かし、再生への狼煙となった瞬間だった。




