2、犬でも『待て』くらいできますわよ?
ほっとしたように紅茶を注いで一礼して去る給仕係を見送ると、改めて紅茶に向き直ります。
まずは立ち昇る香りを堪能してから、最初の一口……
「ふう…」
思わず満足の吐息を漏らしてしまいました。
口に含んだとたん、ふわりと鼻に抜けたフルーティーな香りと甘さ。これは茶葉自体のものね。それでいて後味はスッキリしている。
これに砂糖など入れるのは、茶葉に対する冒涜というもの。従兄弟のキャメロンが自慢していたのも納得ですわね。
ゆっくりと紅茶を味わっていると、自分たちに酔っていたお人形さんたちがハッとしたように騒ぎ出しました。
「おい!優雅に茶を飲んでいる場合ではなかろう! お前は今、第一王子であるこの私に婚約破棄をされたのだぞ?自分の立場を分かっていないのか?」
「そ、そうですわ!殿下、私、この人にさんざん意地悪をされたのです。あなたは殿下に愛される私を憎んでいるのよね?だから私にあんな酷いことを……っ。でも、私は殿下を愛しているんです!あなたなんかに負けませんから!」
「ああ、なんとかわいいことを言うのだ!レティシア、分かっただろう?お前と私のエリーとの心根の違いが。反省するのなら今だぞ?お前が膝まづいて謝罪するのであれば、側妃として召し上げ、エリーの代わりに書類整理をする名誉を与えてやる」
キャンキャンと吠えているその内容は、私には全く身に覚えのないもの。
意地悪ですって?私に王家の影がつけられているのを知らないのかしら?邸を一歩出た時から戻るときまで、私の全ての行動は「陰」によって記録されておりますのに。
「煩いですわねえ!あなたは約束の時間に1時間も遅れたのですよ?あなたのための時間はとうの昔に終わっております。今はもう私の時間。あなた方は招かざる客なのです。私の至福のティータイムに乱入したのですから、お茶を飲む間くらいはお待ちなさいな。犬でも『待て』くらいできますわよ?どうせ『劇的な登場シーン』でも演出するため、わざわざ遅れで来たのでしょう?馬鹿馬鹿しい」
「なっ…!」
みるみるうちにアホ…アレックス殿下の顔がどす黒く染まっていきました。わなわなと下唇を震わせながら、言い返す言葉を必死で考えているみたい。
「はあ…。仕方ありませんわねえ…」
これ以上は時間の無駄。また吠えだす前に終わらせてしまいましょう。
陰のみなさん? しっかりと記録なさいましたわよね?
観客のみなさまも、聞いていらっしゃいましたわよね?婚約破棄を口にしたのは殿下から。私はそれを受けただけ。よろしいですね?
カタリと椅子から立ち上がった私は、一瞬で高位貴族の仮面を被りました。
すっと椅子から一歩下がり、にこりと感情を見せない笑みを浮かべながら膝を折って淑女の礼。
「殿下のお言葉、このレティシア、しかと受け止めました。《《望んで婚約を結んだわけではございませんでしたが》》、今までありがとうございました。謹んで《《婚約解消》》させて頂きます」
あら、何故そのようなお顔を? 私が泣いてすがるところが見られなくてご不満のようね。
この私がそんなことをするはずがないでしょう?そもそもあなたのことなど愛したことはございませんわ!
あなたがたはその「金髪に碧い目の美しい容姿」「桃色の髪に紫色の瞳の儚げで可愛らしい容姿」がご自慢のようですけれどもね。第一王子だからとそれだけの理由で皇太子となったアレックス様と、美貌しか能のない下品な小娘。お二人は誰にとっても乗り込みたくない泥船なのです。
私だって、アレックス様の生みの母である側妃様を溺愛される陛下が「頼む」と頭をお下げにならなければ、婚約など致しませんでしたわ。
陛下が婚約者だった正妃様を裏切り、下位貴族のご令嬢に手を出したあげく後ろ盾もないまま側妃様として迎え入れた時点で、王家の権威など地に落ちておりますの。
離れかけた貴族の心をなんとか取り戻そうと選んだ強力な後ろ盾が、筆頭公爵家の娘であるこの私なのです。つまり私は、泥船を支えるために選ばれた生贄。ジーニアス公爵家としてはこの婚約は迷惑でしかなかったのです。
王命まで出されてしまったため、「王子がアホでも私が支えれば問題ないだろう」と渋々受け入れたのですが……無駄だったようですね。
お馬鹿さんだから理解できていないのでしょうね。この婚約破棄でダメージを受けるのは私ではなくあなたですのに。
王家の申し出ゆえ、こちらからは破棄できなかったのです。それを自ら口にするなど……アレックス様って本当になんと愚かな方なのでしょう。
さあ、お覚悟はよろしくて?




