4話,『ロレイン』
「君は誰なんだ?」
俺は少女を見上げ、そう言った。
彼女の職業は何か。彼女の名前は何か。何故あの深い森に居たのか。なぜ見ず知らずの他人である俺を助けたのか。
俺は、この少女の事をまだ何も知らないのだ。
返される答えは沈黙だ。こちらの瞳を真っ直ぐに見つめたまま、彼女は何の言葉も口に出さなかった。
だが、それは拒否によってもたらされたものではない。
どちらかと言えば、俺に何を伝えるべきか、彼女が悩んでいるのが原因で、
内容が決まったらしく、彼女は深く息を吸う。
そして少し溜めてから、言葉を形にした。
「私はロレイン。ラヴィーナ学院所属の冒険者だ」
その言葉を吟味する。
しかし、理解出来なかった。
まず彼女の名前がロレインって事は分かった。俺が美少女の名前を忘れるわけもなく、脳の記憶を司る部分に直接殴り書きしてやった。
でも、後半部分の意味がちょっと分からない。
冒険者というのは理解できる。恐らくだが、未開の地を切り開き、そして、そこに自分の足跡を残す者の事だろう。
それならば、あの森に居た意味も説明できる。
だが、ラなんとか学院に所属とはどういう意味だ? 冒険者が学校の生徒であるという。それがイコールでつながれない。
その分けの分からない事実を、目の前の、……えーとロレインだったっけ。俺とした事が忘れかけるとは!!
とにかく、全く分からない事を、彼女がまるで、あたりまえのように口にしている。それが俺の脳内を余計に掻き回した。
あのジジイ、どうせ経験をくれるなら、こういう世界の知識もオプションで付けて欲しかった。
だから、自然と空白の時間が続く。
俺はただ、彼女の目を見上げ、覗き込む。
突然のだんまりに動揺しているのか、美しく澄んだ瞳の奥に、揺らぎの影を見たような気がした。
それに俺の心は謝罪の叫びを上げた。
この世界の住人ではなく、それどころかまともな人間でもない俺などに、ロレインは慈愛の心を持って接してくれている。自分の屋敷に、見ず知らずの他人を置いてくれている。
「……わるい」
込み上げてくる内からの、自分を責める重圧に耐えきれず、俺は彼女に謝っていた。
こんなにも、俺の事情には関係ないのに、それなのに心配させて申し訳ない、と。
「それと、」
彼女の動揺の空気が分かった。『何故謝るのか』と、そんな疑問を浮かべ、そして、瞳で問いかけてくる。
残念だが、理由は話せない。それは、俺の醜さとエゴイズムを曝け出す。
こうやって、ここにいるのも全ては自分の選んだ事だ。それなのに、チャンスまで貰ったのに、女々しく後悔し、そして元に戻りたいと変化を怖がっている。
そういう奴だと、俺はロレインに思われたくなかったのかもしれない。
そして、そんな馬鹿猫に優しくする彼女に心が届くよう、
「ありがとう」
美しく響く少女の声で、俺は感謝した。
それは、全く予想していない言葉だったのか、あのときの、あの森の出会いの再現のように、彼女は目を大きく見開いた
それを見つめつつ、言葉を紡ぐ。
「俺はこの世界の事を何も知らない。どんな人がいるのか、どんな生き物がいるのか、どんな宗教があるのか、どんな歴史があったのか、どんな山が、海があったのか、どんな国があるのか、どんな生活をしているのか。その全てを知らない。生まれたままの赤子みたいに、まあ事実全裸だったわけだけど、何も分からない。でも、」
俺は、猫としては長い期間、人間として生きるのを夢見ていた。
人間の進んだ生活様式に憧れ、人間の織り成す物語に憧れ、人間により触れようと、猫の短い前足を伸ばしていた。
それでも俺は猫で、人間と猫の差はどうしても覆せない。だから、その少ない対人経験の中、俺は人間というモノを想像で補うことしかできなかった。
だから、
「俺は、初めて触れ合う人間がロレインで、とても嬉しいよ」
言葉を発して、それを理解した瞬間、彼女の顔が朱に染まった。
○
ロレインの顔が、突然朱に染まった。
へ? 俺なんか言った? 気に障る事言った?
思い返してみても、悪口とか、そういう類の台詞は全く口にしていない筈なのだ。
だがそれでも、何度見ても彼女の顔の色は変わらず、頬を染めて、そして真っ直ぐな瞳を、少し下に落として、こちらと目を合わせようとしない。
俺に全く心当たりはない。つまりは他の言葉や出来事に原因があるという事なのだろうか。
しかし、いかんせん、俺猫だったから人間経験は短すぎて、原因が何なのか、そしてその変化にはどんな意味が含まれているのか全く分からなかった。
だから、聞いてみる。
「ロレイン、なんか気に障る事言ったか?」
「い、いや、別に大丈夫だ。ああ大丈夫だとももちろん」
告げられた答えは否定だったが、なんかそれが俺に対してではなく、彼女自身に向けられたもののようが気がした。
「じゃあいいけど、なんかして欲しいことがあったら言ってくれよ、ロレインには恩が在るしな。出来る限りならこなすようにするから」
「あ、ああ」
ロレインは深く息を吸い込む。そして謎の気持ちと一緒に空気を吐き出した。もう一度吸って、吐く。それによってだんだんと、落ち着きを彼女が取り戻していく。
そして、何かを決意した、強い、硬質な眼差しを見せた。
「君に何があったのか、私は知らない。君が何者なのか私は知らない。
しかし少女、私が君を守る。この世界の秩序と歴史、生き残るための術、それを君に教える」
そう言って、何故かまた赤面しながら、ロレインは笑う。
俺は理解した。
彼女が何故俺を助けたのか。
見ず知らずの人間モドキを家に入れ、そして部屋で看病してくれていたのか。
どうして、これから俺を助けると宣言してくれたのか。
そこには何の謎もない。ただ彼女が、超を頭に付けるお人好しというだけなのだ。
硬質な言葉遣いの陰に隠れる、思い遣りの心。その、武骨なまでに一直線な気持ち。その全て、彼女の本質というモノを俺は理解して、そして、
「ありがとう」
心からの感謝と、この世界で初めて覚えた安堵の涙を流した。
口調で忘れそうですが、主人公は(外見だけは)超清純派、守ってあげたくなる系美少女に変身しています。(それにそのうち猫耳と尻尾が付きます)
ロレインが彼女を助けたのも当然です。そんな、男口調の女の子が目の前で涙を流しつつ、気丈に振舞おうとしているのですから。