15話,『冒険者の、オシゴト』
僅かに上がった息を吐き、カティ・サラは樹にもたれかかる。
腰を地面には降ろさない。咄嗟の反応を生かす為にも、そんな愚かな行為は出来なかった。だからその姿勢のままボトルを取り出す。開けたボトルを口に運んだ。
続いて携帯加工食を取り出し、水で流しこむ。クッキーのような外見だが、味は甘くない。ただ栄養を体内に入れるのを考えただけの行為。
そう、その動作は食事などでは無かった。ただの栄養補給――――戦闘前に自分の集中力と体力を整える行為――――を何度か繰り返していく。
それは必要なことだった。自分には輝く才能は無いのだし、こういう細かな所で努力しなければ、冒険者を続けてはいけない。なにより、真面目な食事は持ってくるのが一苦労だ。嵩張るし。
そしてなにより、頑張らなければ目の前の規格外に置いて行かれる。
「ねえロレイン、ボクそれ全部食べるのか疑問なんだけど」
「カティと任務に出ると毎回その質問を聞くような気がするな」
――――まあ、そりゃ毎回言ってるしね。
ロレインはそこまで大食家というわけでもない。家の中では。
どうやら体型を維持するための食事制限を自分に課しているらしい。あれだけ森の中に入って槍の鍛錬とかもやっているから太るわけがないと思うのだけど、それは勘違いらしい。
いつだったか、今みたいに討伐先の土地でカティが聞いてみたところ、
『油断大敵』
なるほど。太りやすい体質なんだね、ロレイン。
そんな厳しい食事制限の反動か。特に体力とカロリーを消費するような仕事の際には、ロレイン・クリックは並ぶものなき大喰らいに変身するのだ。
やっぱ人間としての基本スペックが違うんだと感じる。四段に重ねられた巨大な弁当箱を、揺らさないようにデリケートに運んで、それでいて自分よりも疲れていないとか。
彼女は近距離職でカティは中距離職だが、その差を見てもロレインの体力は優れている。
ユリも同じようなモノだから、これ膝抱えて鬱になっても許されるんじゃないだろうか。
今もそうだ。
カティが食べれなく理由の一つに緊張で腹が空かない事があるのだが、ロレインはこうして話している間も弁当をつついている。
「食うか、カティ」
ソーセージを突き刺したフォークをふりふりするロレインを無視して、カティは腰を下ろした。
ロレインが余裕の表情で座っているのを見て、気を張っているのが馬鹿に思えたのだ。
カティは上を見上げる。大樹の枝が覆い隠している隙間から、蒼い空を眺めた。
思い浮かべるのは、空の先にあるロレインの邸宅だ。いや、どちらかといえば、そこに今いる、小さく愛らしい不思議な少女を考えていた。
「ねえ、ロレイン」
「なんだ」
昨日の夜から今に至るまで、頭を離れなかった事柄をカティは口にする。
「ジュリアの事、どう思う?」
ロレインも同じ事を考えていたらしい。僅かに目を見開くと、何事も無かったように食事を再開した。
――――こういう真面目な時ぐらいは食べるのを止めようよ。
そう感じて、しかしカティは思い直す。
これはロレインのポーズなのだと。それは自分にとってたいした出来事じゃないと、むしろもう答えは決まっているのだと、そう語っているのだ。
「聞いても、いいんだよね」
返事は無く、ロレインは租借しながら頷いた。
なら遠慮なく聞こう。昔からの付き合いだ、遠慮はいらない。
全ての問題の元は、ジュリアが持つ、聖性質の魔力属性。
古代の神の力。神聖なる奇跡のその一端。
遥か昔、異界から攻め立てる悪魔の軍勢を迎え撃った光輝なる神。
戦になると、その者の背からは眩いほどの聖光が迸った。そして、黒き軍勢はその光に照らされただけで身が溶け、怨嗟の声を上げながら深淵の向こうへ退却したのだ。
遠い昔話だ。信じている者もいるし、逆に信じない者もいる。
しかし、聖なる力は稀に、生きている人間に宿る事があった。
「聖性質は決してあり得ない性質じゃないね。実際に歴史を見てみれば、ほんの数えるほどだけだけど神の因子を持つ人類はいたし、現在の教会皇女様は聖性質持ちだし」
「ああ」
「でもね、ロレイン。聖なる力を持った人間のみんなが歴史を残すような人に成っているんだよ。いや、むしろそういう人間が歴史を変化させたと言ってもいいかもしれないね。十年前のソルジナ大戦だってソ
ルジナの聖性質持ちの女王様が起こしたことだし」
結果、軍事国家ソルジナは地図から消滅した。多くの犠牲を払い、生き残された人を苦しめて。
カティやロレイン、ユリのように。
つまり、結論は。
「そんな少女をボク達が育てていいのかな。もし間違った方向に彼女が進んだら、それだけで世界は変質してしまう」
天秤のように、傾きながらも保っている世界が崩れてしまう。
この、嘘のような平穏と共に。
「だから、」
「だから、ジュリアを捨てるべきだというのか」
ロレインが言葉を創った。
口調は強めで、弁当も突いていない。ただ、カティを強い視線を送った。
「陰湿で隠匿的な大聖堂教会に預け、そこで育てさせ、あの少女の自由を狭めてしまうのか。まだ年端もいかない、世間も知らない、魔法という世界の基本も知らなかった小さな女の子の未来を消してしまうのか」
ロレインが立ち上がった。
強く足を踏み出し、熱を振るう。
「ジュリアが私の元から去るなら止めない。そういう道を選んだなら私に止める権利は無い。でも、あの子が幸せな人生を送れるよう、私は全力でジュリアを助ける」
「後悔は絶対にしない?」
「ああ、ジュリアが起きた時、誓ったのだから。『私が、君を守る』って」
その言葉を聞いて、カティは苦笑した。
――――凄いねロレインは。
やっぱり敵わないと思った。その気高い性格も、筋を通す気持ちよさも。あと仁王立ちした時に揺れた胸の大きさとか。
甘えた心を締め付ける。逃げ場を作る事は、自分に許さない。進む道が険しくても、自分のスペックに会っていないとしても、歯を食いしばって行く。
――――その凄さに近付きたいから、仲間として隣に居たいから、ボクはこう言うのだろう。
「わかった。ボクも全力でジュリアを応援するよ」
喋りながらカティは思った。こんな凄い冒険者が仲間なのだから、今日の仕事もさっさと終わるだろう。そして、家に帰ったら、ボクも誓おう。
ロレインみたいな言葉は無理だけど、それでも自分の精一杯でジュリアに、
『これからずっと友達でいようね』
呆気にとられるであろう幼い少女の顔を思い浮かべる。そして、その後可愛い表情で頷くジュリアを想像したら、楽しくなってきた。
――――笑顔で返事をしてくれたら、嬉しいな!!
○
接敵は突然だった。
討伐対象は奥の崖下に空いた洞穴を根城にしている。それが数日間の調査でロレインが知った事だ。
いつもならばもっと調査に時間をかけるのだが、今回はそうも言ってはいられない事情がある。幸いなことに付近の森はクリック家の別荘の近場だったため、クリック家の図書室に森の地形の地図があった。
そんな地図を元に、対象の痕跡を探っていった。
移動するだけで痕跡が残るために、縄張りの範囲はよく分かる。洞穴を中心として、半円の半径五百メートルを移動場所にしていた。
ちなみにその隅、ギリギリでそのラインに掛かるか掛からないかの場所で、ジュリアを発見したのだ。
あのまま放っておいたら確実に焦がされて死んでいただろうから、見つけるのが間に合ってよかったとロレインは思う。
そして、その移動地点で敵と出会った。
『火這蜥蜴』
本来ならば火山の火口付近か、それとも溶岩地帯にすむ野生生物。
口から火炎弾を吐き、身を守る性質を持つ。それに、体の内部は常に灼熱の高温を宿し、その温度がときどき表層の皮膚まで侵出し、外を焦がす。
もしそんな生物が、森の中で暴れたらどうなるだろう。それは、
――――考えたくもないな。
森にも大型の生物はいる。そんな群灰狼や石爪熊が火這蜥蜴と出会い、戦ったらどうなるのかは一目瞭然だ。どちらが勝つ負けるは抜きにして、
――――当然山火事になる。
そうなったら、もうこの森は終わりだった。木の陰に潜む動物も、囀る小鳥も、そして勿論天を覆う大樹も全てが紅蓮に包まれ、灰になる。すべての生き物が死滅し、残るのは荒れ果てた焦土だ。
そして、それを防ぐのが、今回のロレインとジュリアの仕事だった。
ユリは今回お休みだ。炎属性の得意な彼女が魔術を使ったら本末転倒、それに元より火属性魔術は火這蜥蜴には効果が薄い。
藪を抜ける。
付いたのは奇しくもジュリアの横たわっていたあの空き地だった。
そして、その中心に火這蜥蜴はいた。
ロレインが始めに確認したのは、大きく開かれた口腔。爬虫類特有の歯が一切ないそれの奥に、明かりが灯った。
作戦を立てる暇もない。生物としての本能か、それとも狩られる動物の怯えか、先手必勝とばかりに、無数の火炎弾が空を焦がして二人の少女に襲いかかる。
「カティ!!」
呼びかけの前に、ショートカットの銃使いは走りだしていた。反時計回りで大きな軌道を取り、アサルトライフルを構えながら火這蜥蜴の側面へ回り込んでいく。身体強化全力で行われたそれは、火這蜥蜴でも反応しきれない早さだった。
それに対して、ロレインは動くわけにはいかない。横に避ければ、燃え盛る衝撃が背後の木々を襲ってしまう。
だから、ロレインは術式を編んだ。
迫りくる火焔が、水蒸気に掻き消された。高速で編み上げた初級水属性魔術が、火炎弾を空中で撃墜したのだ。
火炎弾の表面は沈下し、ただの溶岩の塊になって地面に落下する。
熱された空間を、風が、ロレインという槍使いは走った。
僅か一瞬。火炎弾を放った隙を、超人の槍使いが逃すはずもない。槍を左手に、剣を右手に数メートルの距離を突撃する。
内燃魔力で高められた脚力が、蹴りと一緒に地を抉り出す。高速の移動で、ロレインが肉薄した時には火這蜥蜴の口はまだ開いていた。
逆手に持った刃が、上から振り下ろされる。
強靭な外殻を貫き、沸騰した血が森に噴き出る。
一切の容赦なく、剣を突き刺して、上顎と下顎を繋ぎとめた。
ようやく戦闘シーンを書きました。
スタイリッシュにかけたらいいけど、やっぱり難しいです。