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その後のこと

 ***


 「本当に逃げられた……」

 「海外にまで行ってしまえば、もう追ってこられないよ」


 飛行機の中で、誠士郎は心の手を握る。


 心はここまで来られたことが信じられないというように、窓の外をしげしげと眺めている。


 二人は念願の海外逃亡を実現した。


 実父を殺すために都内に向かっていたところ、電車内の爆発事件に巻き込まれて三ヶ月が経つ。


 誠士郎と心は、一時は生死の境を彷徨ったものの二ヶ月で全快した。


 爆発を起こしたのは、父が率いる暴力団の組員の一人だった。いくつかの車両に時限爆弾を設置し、最後に一両目で自分もろとも爆死した。


 組の者がテロ事件を起こしたことで、組内はてんやわんやの大騒ぎだった。大体の組員が対応に大忙しになり、ほんの一時とはいえ誠士郎と心のことなど誰も気にかけないようになった。


 ガチガチの警戒がふと緩み、誠士郎はこのチャンスを逃してはならない、と父の殺害は中止して海外逃亡に踏み切った。


 「本当に……これで……」


 心はさっきから、しきりに「本当に逃げることができたんだ……」という内容を呟いている。


 誠士郎のみにわかるわずかな表情の変化から、彼女が内心相当驚いていることが察せられた。


 「そうだよ。これから新しい人生を始めよう。二人で」

 「はい。……二人で」


 心は彼の手を握り返すとわずかに微笑んだ。少なくとも誠士郎にはそう見えた。


 少し——ほんのわずかにではあるがこの三ヶ月間、心は表情が豊かになったように思える。事件に巻き込まれる前よりも、感情表現が上手くなったように思える。


 それなりの大きさの事故に遭遇すると、人間の性格は変わるものなのかと、誠士郎は心の変化についてそんなことを考えた。


 ***


 二人で使うには狭い部屋で、王仁と綾子は抱き合っていた。


 電車での爆発事件に巻き込まれて死の淵から蘇ってから、王仁はどうにも気分がザワザワして落ち着かない。


 綾子の下半身を見て、そこに足があることに安堵する。自分でもおかしな精神状態だと思う。


 綾子もまた、王仁が自分を置いてどこか遠くへ行ってしまう気がして、そわそわするのだった。


 王仁くんが私を置き去りにするわけないのに。


 不安を和らげるために、二人は何でもない時に抱き合うようになった。そうすると日に日に気持ちも落ち着いていった。きっと漠然とした不安はそのうち消えてなくなるのだろう。


 「王仁くん」

 「あ?」

 「私、王仁くんとずっとこうしていられたら、それで幸せなんだからね」

 「なんだよいきなり」

 「なんか伝えておかなくちゃって思ったの」


 綾子は王仁の背中にしがみつきながら言った。


 「私は幸せだよ、すごく」


 王仁の唇に吸い付き、一つになりたいとでも言うように体を押し付ける。


 王仁はその願いに応えてやり、彼女をベッドに優しく押し倒す。


 そして、いつものように優しく丁寧に抱いた。


 ***


 マリッジブルーってやつかな。


 入籍を目前に控えた今日、ほのかと兼は言語化できないモヤモヤを抱えていた。


 ちょっと前までは結婚の時を楽しみにして、まだかなまだかなと二人でカレンダーを何度となく眺めていたというのに、今はイマイチ気分が上がらない。


 これがマリッジブルーというやつか……と特に心当たりもないので、二人はそう結論づけた。


 結婚という一大イベントが間近に迫ってきて、いくらかナーバスになっているのだろうと。


 電車内で起こった事件に巻き込まれた日に頂点にあった胸のモヤモヤは、少しずつ解消されている。


 一時的なもので良かったと安心する反面、本当にこの違和感を無視していいのかとも思う二人。


 しかし、5年間も付き合ってきた婚約者。今さら何を不安になることがある? そもそも「結婚するんだ」と職場にも互いの親にも伝えてしまった後。


 今さら尻込みするほど気にすべきことじゃない。


 大丈夫。自分たちは最高に相性の良いカップルだ。5年間も関係が続いたという事実がそれを示しているではないか。


 二人はカレンダーを見て、その日が近づいてくるのを何となく重い気分で待っていた。


 ***


 「キアラ、最近一ノ瀬いじめなくなったね」


 キアラの元友達が言う。


 自分の席で意味もなくスマホを弄っていたキアラは「聞こえてるっつーの」と思いながら、知らん顔をしていた。


 「てか一ノ瀬の方からキアラに話しかけてない?」

 「わかるー。電車の事件あったじゃん? なんかあれ以降さ、二人の雰囲気変わったよね」


 あの日以降、どういうわけだか無限に湧いてきた裕也に対する苛つきがおさまっている。


 裕也は裕也で、キアラに対して前よりも気安くなった。「おはよう」なんて前は決して言わなかったことだ。キアラのことを煙たがっていたのに、今は彼女と関わりたいという意思を感じる。


 キアラが不思議なのは、そんな状況を特にムカつきもせずに受け入れている自分だった。


 毎朝挨拶の後に、ちょっとした雑談までする。昼休みに窓際の席で一人でゲームをしている裕也に「それ面白い?」なんて話しかけてすらいる。


 この前なんてたまたま帰り道で行きあって、流れで一緒に帰ることになった。


 帰り際にラインを交換して、これじゃ普通の友達みたいじゃん、と部屋に入ってからまじまじとスマホを見ていたら『よろしくお願いします』という文字と共に何かのキャラが敬礼しているスタンプが送られてきた。


 キアラは自分が持っている中で、もっとも可愛くて感じの良い『よろしく』スタンプはないかと探して三分ほど熟考した末、無難な猫のイラストのスタンプを送った。


 交換したってことは、明日も何か来るかもしれない。一ノ瀬が送るラインはどんな感じなんだろう。案外文面だとテンション上がるタイプかもしれない。絵文字だらけの長文とかきたらウケるな——。


 キアラは口角がニンマリしているのに気づいて、慌ててへの字口を作った。誰に見られているわけでもないのに。


 なんか最近悪くないかも。


 ***


 銀次はいつものように都の家にバイトに来ていた。


 あの爆発事件に巻き込まれて三ヶ月。銀次と都の元に日常が戻ってきていた。


 都は無事に志望していた中学校に合格した。


 都は銀次の教え方が良かったからだと、母親の前で銀次を褒めちぎった。都の母の銀次への好感度はうなぎのぼりだった。


 今後ともうちの娘をよろしくお願いします、と頭まで下げられて、銀次は恐縮した。


 「金森さん、こんにちは〜。今日も都をよろしくね」

 「……! あ、はい」

 「どうしたの? そんなお化けを見るような目しちゃって」


 都の母に怪訝な顔をされて、銀次は中途半端に笑って誤魔化した。


 なぜか都の母がいることに驚きを感じると同時に、ありがたみがしみじみと湧いてくる。爆発事件以後、こういうことがたまにある。


 どうかしてるな、俺。


 銀次は鼻歌まじりに廊下を進み、都の部屋へ向かう。


 海から「別れよう」と言われたのは銀次が退院してから初めて登校した日のことだった。


 理由も説明されずに一方的に告げられたことに驚いたものの、ずっと別れたいと思っていた銀次は二つ返事で別れ話を受け入れた。


 海の中から、銀次に対する執着は綺麗さっぱりなくなっていた。


 彼女は銀次が自分を助けてくれるヒーローでないと悟ったのだ。


 具体的にどういうところからそれを感じ取ったのかは彼女自身思い出せなかったが、とにかく銀次が自分の理想に当てはまる存在ではないとわかり、百年の恋も冷めた。


 海を自らの手で殺せば、海の理想を壊すことができる。自分を助けてくれるヒーローでないと悟れば執着がなくなるかなと考えた銀次は、間違いではなかった。


 これで不本意な二股は終了というわけだ。


 「最近佐藤くんとはどうなんだ?」


 休憩中、銀次が尋ねる。


 「なんかよそよそしくなっちゃった。まあ、元々カモフラージュのために付き合ったんだからどうでもいいけど。ああそうだ」


 都が思い出す。


 「佐藤くんもあの電車乗ってたんだよ。三日間くらい意識不明だったんだって」

 「そうか。大変だったんだな」

 「ねえ銀くん。変なこと言っていい?」

 「なんだ?」

 「私、病院で目覚めるまでの間、ずっと変な夢見てたんだよね」

 「奇遇だな。俺もやけに長くてリアルな夢見てたんだ」

 「でもどんな夢だったか、あんまり思い出せないの。銀くんが出てきたことだけは覚えてるんだけど……。なんか二人で手を繋いで線路を歩いてたような……あと電車の中で色んな人と寝泊まりしてたと思う」


 都の語ることが自分の記憶と重なったので、銀次は狐につままれたようになった。


 「俺たち同じ夢を見てたのか?」

 「銀くんも同じ夢を?」

 「ああ、多分……でもどんな内容だったかは思い出せないな……。なんかグッタリ疲れる夢だった気がするけど」

 「私もぼんやりとしか覚えてないけど、あんまり楽しい夢じゃなかったことだけは覚えてる」


 二人はしばらくの間揃って首を捻っていたが、やがて銀次が仕切り直すように手を叩いた。


 「まあ、夢なんだから覚えててもしょうがないだろ。不愉快な夢ならなおさら。それよりも無事だったことを喜ぼう」

 「それもそうだね。結構大きい爆発で何人かは死んじゃったんだもんね……」


 銀次たちは爆発が起こってすぐに意識を失った。だから気づけば病院のベッドにいた、という認識で怖い思いなどは全然しなかったのだが、後から思い返すとゾッとする。


 少し間違えていたら自分たちも死んでいたかもしれない、と。


 「なんかあの一件があってから、一日一日を噛み締めるように生きなきゃ、って考えるようになったよ」


 銀次の言葉に、都は深く頷く。


 今こうして好きな人と一緒にいられることは、当たり前じゃない。かけがえのない奇跡なんだ。


 だから、一日一日を大切に生きよう。愛する人が隣にいてくれる幸せを噛み締めながら。

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