願い
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「嘘嘘嘘! 銀次くんはこんなことしないもん!」
首にかかった銀次の手を離そうとしながら、海は現状を受け入れられずに半狂乱になっていた。
「しますよ。俺は先輩を傷つけます。必要とあらば殺すことだってできるんですよ。それでもまだ、俺をヒーローだと慕えますか?」
海の瞳が揺らぐ。その目から大粒の涙が溢れ出してくる。
「なんで……? 銀次くんは私のこと好きじゃないの……? グッズだってたくさん買ってるじゃない。バイト始めたのだって私のためだって——」
「俺はアイドルの"海ちゃん"を推しているんです」
"青井海"のことは好きでもなんでもない——そう言われていることを感じ取った海は、目の前でシャッターが下ろされるような感覚だった。
「推しと恋人は違います。俺が先輩のことを恋愛対象で見ることは決してありません。それに——」
続いた言葉に、海の心は今度こそ木っ端微塵に砕かれる。
「一緒に生きていきたい人はもう決まってる」
「やっぱりファンなんて大っ嫌い……」
真っ黒な目で呟く海。
「私よりも大事なものがたくさんあるくせに、君が世界で一番大事な存在だよ、って態度取って……すぐに大きな口で讃えるわりにあっさり離れていって、思い出しもしない。あなたもそういう人たちと同類だったんだね……」
銀次を白馬の王子様のように思っていたことが、遠い昔のように感じる。
「大好きだったよ」
海は最後にそう言い残すと、息絶えた。
***
「おかえり……」
数歩歩いた先、都が青い顔で待っていた。
「見てたのか?」
「うん。ごめんね」
できれば都に人を殺すところを見られたくなかった。なんと言ってよいのかわからなくなっている銀次に、都が言う。
「守られっぱなしで何も知らないままとか、すごく嫌なんだもん。銀くんはそんなの気にすんなって思うんだろうけど。でも……」
「うん、わかったから。ありがとうな、都」
都の頭を撫でた後、銀次は霧に覆われた線路の道を見据えた。
「……行くか」
***
ただひたすらに続く線路の上を、黙々と歩いていく。
足を動かす音がするだけで、会話はなかった。この先がどうなっているのか、主催者は特に教えてくれなかった。
あいつがちゃんと約束を守ってくれるなら、俺たちは現世に帰れるはずだが……。
『残念! そんなの真っ赤な嘘でーす。あなたたちは永遠にここから出られませ〜ん』
ここまできてそんなことを言われたらどうしよう——冗談抜きに不安になってきて、銀次の歩くペースが自然と速くなった。
ふと、前方から冷たい風が吹きつけてきた。
「なんだ……?」
「トンネル?」
真っ暗なトンネルが目の前に広がっていた。冷たい風はそこから吹いてくるらしかった。
『よくぞここまで辿り着きましたね! ご苦労様です!』
馬鹿に明るい声がトンネルから聞こえてきて、銀次の尖っていた神経が逆撫でされる。
「おい。ここからどうやって現世に帰るんだ?」
『それはこのトンネルを抜ければすぐですよ。その前に、肝心の"ご褒美"ですよね。あなたたちの願いを聞かせてもらわなくては——まあ、とりあえずトンネルの中に入ってくださいよ。話はそれからです』
トンネルの中にこいつはいるのか。
都が銀次の腕にいっそう強く縋り付いてくる。歩きにくいほどに。銀次は「大丈夫だから」と言うと、ゆっくりと暗い穴の中に足を踏み入れていった。
「お前はどこにいる?」
『探しても無駄ですよ。今の私に実体はありませんから』
「なんだ。一発殴ってやろうと思ったのに。そういうのありかよ」
『神なんですから、そういうもんでしょう』
「まあいいや。それよりも願いはちゃんと叶えてくれるんだろうな?」
『自分が始めたゲームのルールくらい守りますよ。——さて』
主催者が改まった口調で言った。
『そこがちょうどトンネルの真ん中です。立ち止まってください。——金森銀次さん、胡桃沢都さん。おめでとうございます。今回のゲームの勝者はあなた方です。念願の勝利をおさめた先に、どうしても叶えたかった願いとはなんですか?』
それを口にしろと、主催者は促している。
銀次は深呼吸した後「俺の願い。それは——」と口にする。
「都の母親の死をなかったことにしてほしい」
都は意外そうな顔で銀次を見上げる。
「そもそもお母さんの死がなくなれば、アメリカ行きだってなくなる。それに……」
銀次は、これまで見てきた都のことを思い返す。
「都、散々嫌な思いさせられてきたけど……でもお母さんのこと嫌いじゃなかっただろ」
色々と言いたいところのある母親で、都は時折牢獄に入れられたような気分になっていたが、それでもたった一人の母親だ。嫌いにはなれなかった。仲良くなれるものなら仲良くしたい。
死んだ時は、当然悲しかった。
「少し時間が経ってからわかり合えることもあるだろ。その時が来たら、俺が協力するのもいいし」
話してわかり合えるなら、その方がよっぽどいい。死んでしまうと、その可能性すらなくなる。
『過去改竄を願うというわけですね』
「神なんだから、それくらいできるだろ」
『確かに世界をちょこちょこっと動かした上で、周囲の皆さんの認識を変えるくらい私にはたわいないことです』
その言葉に、銀次は安心する。
「銀くんいいの?」
「いいのって何が」
「いやほら。世界をいじれるっていうんだから、私が銀くんの同級生になることだって可能じゃん」
『できますよ〜。そうすればコソコソすることもなく一緒にいられますよね。同じ時を刻み、一緒に成長していけますね。どうでしょう。そっちの願いの方がいいんじゃないですか?』
「ふざけるな」
銀次があらわにした怒気に、都は気圧される。
「俺のためにお前の時間を奪えるか。……都。この際だから言っておくけど」
銀次は屈んで、都と視線を合わせた。
「俺はお前が好きだ。何歳でも、どんな姿でも。お前だからいいんだ。いつかお前の隣にいるのが俺なら、その他のことは全部大したことじゃない」
そのことを信じてもらうために、銀次は例えをあげていく。
「お前が0歳児に戻ったとしたら、諦めたりなんかしないで18年待ち続ける。面倒くさい身内が100人いたとしても、逃げずに適応し切ってやる。都と一緒になるためなら、本物のデスゲームにだって参加して何人でも殺してやる」
だから、と都を抱きしめる。
「俺のために自分の時間を犠牲にしようなんて思うなよ。お前は何も心配する必要ないんだから。ゆっくり成長してくれ」
「…………うんっ!」
都が銀次を抱きしめ返したところで、主催者が喋り出す。
『では願いごとは、"胡桃沢都さんの母が死んだ"という事実の改竄でいいんですね?』
「ああ。頼む」
『わかりました〜。では叶えておきますね。一週間お疲れ様でした! 面白いものを見せていただき、ありがとうございます。このトンネルを抜ければ現世に帰れますよ。帰るまでがデスゲームですのでお気をつけて。ではさようなら!』
もう興味を失ったような早口がトンネルの中にこだまして、あたりは元の静寂に包まれる。
銀次は都の手を引いて、明るい光がさしてくる出口に向かって駆け出した。




