最後の一組
「あ……ああ……うあああ!」
海の鼓膜を破らんばかりの悲鳴が響く。
「そんな……なんで……」
キアラが四散して抜け殻になった制服を、返り血で真っ赤に染まった裕也が抱きしめて叫んだ。
「なんで庇ったんだよ!」
キアラは、海の手が裕也の背中に向かっているのを認めた土壇場で、裕也を前に突き飛ばした。
その結果、海のターゲットはキアラへと変わったわけだ。
「ごめんねってなんだよ! 最後にそんな殊勝なところ見せないでよ……バカ……」
ごめんね。
裕也を突き飛ばした瞬間、確かにキアラはそう言って、申し訳なさそうに微笑んだ。
海には、うずくまって泣く裕也はもはや見えていなかった。
「銀次くんのところに行かなきゃ……」
海はそう呟くと、頬に飛び散った血もそのままに歩き出した。
***
『はい! 一時間経ちましたね! 鬼ごっこ終了です。それと同時に全ての指示もこれで終了! この一週間、本当にお疲れ様でした〜!』
乾杯でもしそうな弾んだ声が駅のスピーカーから流れたかと思うと、銀次たち"生き残り"の体が駅に転送される。
裕也の姿を見て、銀次は何があったか察してしまった。
「銀次くん!」
海が手を振って近づいてくるのを見て、隣の都が「ひっ」と口を押さえる。
海の全身には、夥しい量の血がベットリと付着していた。
「銀次くん」
海の体臭とキアラの血の匂いが、ふわっと銀次を包み込む。
「私やったよ。これで私たちが最後の一組——勝ったんだよ、私たち」
「先輩……」
銀次が何と言ってよいのかわからないでいると、この場に相応しくない明るい声がした。
『では生き残ったみなさんには、これから線路づたいに歩いてもらいます』
「線路を歩いていけば、私たち帰れるの?」
都の質問に『ええ』と答える主催者。
『ゲームは終わりました。元いた世界に帰してあげます。生き残った一組のカップルには約束通り"ご褒美"を与えます。この線路を歩いていった先に私はいます。ではお待ちしていま〜す』
そう言って、連絡は途絶えた。
銀次は先に線路に下りて、都に両手を伸ばす。
「ありがと、銀くん」
「ああ」
海も二人の隣に着地する。
「一ノ瀬くんは……」
裕也はまだショックが抜けないようで、キアラの制服を抱き抱えてうずくまっていた。
後から来るだろう……と銀次は先に向かうことにした。
「どこまで続いているんだろうね」
「さあな……」
霧に隠れていて、向こう側の景色はほとんど見えなかった。固い地面の感触をローファー越しに感じながら、銀次は右隣に都、左隣に海を連れて歩いていた。
「……都。先に行っててくれないか」
「え?」
「頼む。すぐに終わるから」
頭を下げられてもなお、都は躊躇していたが、銀次に真剣な眼差しを注がれ続けると、やがて観念して頷いた。
「わかった。できるだけゆっくり進むから……早く来てね」
「ああ。ごめんな」
都の足音が遠ざかっていくのを聞き届けて、銀次は海に向き直る。
「何か話したいことがある感じだね」
「はい。先輩はどうしてそんなに俺のことが……その……好きになってしまったんですか」
「"しまった"なんて言い方はやめようよ」
海は赤く濡れた手を胸に置き、温かい気持ちを思い出すように目を瞑る。
「銀次くんは私を助けてくれたから。あの日、電車で痴漢されていた時、ただ一人私に気づいて助け出してくれた——ヒーローみたいだって思った私は、間違いじゃなかった。銀次くんはまた私を助けてくれたから」
男子生徒数人に絡まれている海を見て、銀次は迷わず割って入ってきた。
まるで少女漫画のヒロインになった気分だった。海はその気分に酔い、頭の中は恋愛一色に染められた。
「あんな出会い方したらさ、もう運命って思うしかないじゃん」
銀次は、予想していた通りの答えが返ってきて、わずかな落胆を感じた。
「先輩は俺に守られるのが好きなんですね」
「うん」
「ヒーローみたいにピンチの時に助けに来てくれて、決して自分を傷つけない男が好きなんだ」
「うん。……銀次くん。アイドルやってるとね、変なファンに遭遇することも多いんだ」
海は、熱心なファンがアンチに反転した時のエピソードを語る。
「これまで私のことを応援して『大好きです』って言ってくれた人が、豹変して握手会で刺そうとしてきたんだ」
「その事件なら俺も知ってます。握手会が禁止になるんじゃないか、って一時期話題になりましたよね」
「幸い怪我も何もなかったんだけどね。でも精神的なショックはかなり大きかったよ。この前まで私を慕ってくれてた人が、私を殺そうとしてくるんだもん。……色々と人生観変えられたよね」
自分を傷つけてくる人のことが、前よりもよほど許せなくなった。
「そんなことないって頭ではわかってても、男の人ってみんな攻撃性を隠し持ってるのかなって思っちゃった。でも、銀次くんなら絶対安心できるって思ったの」
この人なら"反転"しない。ずっと私の一番の味方でいてくれる。
「だから銀次くんと恋愛したかったのに……」
強引に彼女の座を手に入れた結果、いつまでも始まらないラブストーリーが広がっているだけだった。
「先輩は俺を神格化しすぎですよ。先輩を守ってくれる男——先輩の望む"ヒーロー"は、この先いくらでも現れます」
「そうは思えない。銀次くんこそ自分を卑下しすぎだよ。一日目のペナルティのこと、私忘れてないよ。知らない子どものためにあそこまで体を張れるなんて、誰にでもできることじゃない。現にあの中で都ちゃんを庇ったのは銀次くんだけだった!」
通電による暴力に悶える銀次を見て、ああやっぱりこの人は素晴らしいな……と海は感動したのだ。
会ったばかりの名前しか知らない子どものために苦痛の中に飛び込むなんて、やっぱり銀次くんはヒーローなんだ、と。
「別に特別なことじゃありませんよ。あんなのは」
「そんなことない。銀次くんは凄い人だよ。私、銀次くんほど信じていい人はこの世に存在しないって思ってて——」
「先輩」
銀次は海の肩に手を置くと、熱に浮かされたような彼女の両目を真っ直ぐに見据えた。
「俺がどんな時も先輩を助けるような格好いい男じゃなかったら、先輩は俺を好きにならなかったですよね」
「うん。私を見捨てるような人だったら、もちろん好きにはならなかったよ。でも銀次くんはそんな人じゃないから——」
「やっぱり先輩ってそうなんだ。——良かった」
「えっ?」
海が線路に押し倒される。何が起きたのかと理解するよりも前に、息ができなくなる。
「ッ……!? カハッ……! ぎん、じくん……? な、なに、なにして——」
「ねえ先輩」
首にかける力を強めて、銀次は言う。
「俺は今、あなたの首を絞めてます。紛れもなくあなたを傷つけてる——"向こう"に行っても、このことを忘れないでくださいね。絶対に」
「ぎん、じくん……なんで……なんでこんな……」
「ねえ先輩」
怯える表情の海に、顔をずいっと近づける。
「俺がヒーローじゃないってわかってもらえたら——そしたら俺を解放してくれますよね」




