海の願い
「それで何? 話したいことって」
「先輩……」
真夜中の三時。皆が寝静まった時に、銀次は海をそっと揺り起こして、誰もいない場所へ連れてきた。
「先輩はまだ願いを叶えるつもりでいるんですか」
「もちろん」
銀次はため息をつく。
気が変わっていないかと期待していたが、海の決意は固いらしい。
「俺との出会いをやり直したいなんて……そんな願いのために人を殺すなんて、考え直した方が——」
「私にとっては大事な願いなの!」
海が頑是ない子どものように訴えたので、銀次は黙り込んでしまう。
——私は銀次くんとテレビ越しじゃない出会い方をしたいの。
「私、気づいてるんだから」
海の頬を透明な水滴がつたう。
「な、何がですか」
「銀次くん、本当は私のことあまり好きじゃないでしょ?」
銀次は心臓が止まるかと思った。
「好きですよ。海先輩のこと、本当に素敵だなってずっと見てましたし——」
「でもそれは恋愛対象としてではないでしょ?」
言葉に詰まってしまった銀次に、海は追い打ちをかける。
「だから半年経ってもキスしてくれないんでしょ。スキンシップもいつも私からだしそれも照れたふりして嫌がるし——」
海は言えば言うほど惨めな気持ちになっていった。
「銀次くんが見てるのは、私だけど私じゃない。銀次くんが好きなのはアイドルの私であって、ただの女子高生の青井海ではないんだよね」
「…………」
「最初はね、それでもいいかと思ってたんだよ。徐々に恋愛的な意味でも好きになってもらえれば、って思ってた。そのうちそうなるだろうって。でも、いつまで経っても銀次くんは変わってくれないんだもん」
非難するような眼差しから、銀次は逃げた。
「私がアイドルじゃなければ、銀次くんの"推し"じゃなかったら、こんな辛い思いしないですんだのに……私、アイドルになんかならなきゃ良かった」
「なっ……!」
銀次は海の肩を掴む。
「そんなこと言わないでください! "海ちゃん"を待っている人が何人いると思って……ファンが悲しみますよ!」
「ファンなんてもうどうでもいい……」
海は虚ろな目で、か細くつぶやく。
「何千人に愛されても、好きな人一人に愛されなかったら意味ないもん……」
海にとって、銀次と出会った瞬間は衝撃的だった。これまでの何もかもが変わってしまったような、世界が逆さまになったような驚きとときめきに夜も眠れなくなった。
「銀次くんは私のヒーローなんだもん……私を絶対に守ってくれる格好いいヒーロー……ねえなんで? なんで私のこと好きになってくれないの……」
海の啜り泣きを聞きながら、銀次は肩が狭い思いをしていた。
「先輩は俺という人間を誤解してます。俺はそんなに立派でもないし、ヒーローなんかじゃ……」
「ううん。そんなことないもん。銀次くんは私を守ってくれた……これからもずっと……」
銀次に守られる快感を覚えてしまってから、海はずっと銀次に熱を上げているのだった。
彼の全てがほしい。そのために彼の中でアイドルの"海ちゃん"など消えてほしいと切望していた。
「私は必ず願いを叶える」
その時、足元に揺れを感じて、ふいをつかれた銀次は尻餅をつく。
「な、なんだ!?」
「地震? いや——」
海が確信を得て呟く。
「電車が動いてる……」
電車だから走行しても不思議はないのだが、今までずっと静止していたのに、どういう風の吹き回しか。
「おい主催者」
呼びかけるも、主催者は説明しようとしない。静まり返った空間に電車が走行している時の、タタン、タタン……という音だけが響いていた。
「どこに向かってるんだ……?」
銀次の疑問は、宙に浮かんで消えた。




