夜が明けて
夜が明けて、ペナルティは終わりとなった。
「銀くん!」
時間ピッタリになるのとほぼ同時に都が五両目に乗り込んで、銀次の元へ駆けつけてくる。
少女の体重を全身に受け止めて、銀次は少しよろめいた。
「都。元気そうでよかった。怪我とかもしてないな」
「うん、大丈夫だよ。銀くんは?」
「俺も大丈夫だ。こっちは本当に平和な一夜を過ごした」
都の無事を確認した銀次は、海の方はどうなのかと一両目へと足を進める。
「先輩! 大丈夫です、か……」
銀次は、目の前の光景に言葉を詰まらせる。
「銀次くん……」
海が目に涙がいっぱい溜まったうるうるした目で、銀次を見上げる。
海は、床に仰向けに倒れている誠士郎の横に膝をついて、震えていた。
誠士郎の白いシャツ。その腹部に鮮血が滲んでいた。
銀次は反射的に裕也の姿を探す。
裕也は車両の一番端——優先席に縮こまって、頭を抱えていた。銀次はそちらに歩み寄る。
「君がやったのか?」
そう尋ねると、裕也の肩がビクリとはねた。
「……はい。俺がやりました……」
顔を上げないまま、裕也はそう言った。
「きゃっ! 何これ……」
続いてやってきた綾子が、押さえた口元から悲鳴をもらす。
それを聞きつけた他のメンバーが、ぞろぞろと一両目に来て倒れた誠士郎を発見した。
***
「止血はしました。幸いそんなに大きな傷でもなさそうでしたけど……医療知識なんて微塵もないので、なんとも言えません」
あの後、清潔なタオルやハンカチで誠士郎の傷口を押さえて、なんとか血は止まった。
しかし、それも一時的なことかもしれない。傷口をちゃんと縫っておかなかったので、また血が吹き出してくる可能性は十二分にあり得る。
銀次たちは、誠士郎を刺した犯人だという裕也を取り囲んで、尋問していた。
「何時に真島さんを刺したの?」
「四時くらいに……これで刺しました」
裕也が自身のペンケースの中から、小型のハサミを取り出す。
小さいけれど、切先は鋭く切れ味は悪くなさそうだ。
「お前にも人を殺してまで叶えたい願いがあったんだな。大人しそうな高校生って感じなのに、案外やるじゃねえか」
王仁が皮肉混じりの口ぶりで言うと、裕也は激しく首を振って否定した。
「違う……! 先に殺そうとしてきたのは真島さんの方だ……!」
「真島さんの方から?」
「はい。夜中に目が覚めたら、真島さんが海ちゃんの首を絞めようとしてるのが見えて……それで俺、背後から殴りかかったんです。そしたら取っ組み合いになって……逃げ回ってる時になんとか武器になる物がないか考えてたら、ペンケースの中のハサミを思い出して……」
無我夢中だった。気づいた時にはハサミを真島さんの腹に突き立てていた。
裕也はそう主張した。
「じゃあ正当防衛ってことか……」
兼がそう言うと、皆の裕也を見る目が変わってきた。
疑心に満ちた刺々しい眼差しから、気の毒そうな温かみのある眼差しへと。
「真島さんの願いに対する覚悟は相当なものだったんだね……」
海が自分の震える体を抱きしめる。
殺されそうになった恐怖がまだ抜けきっていないのか。
「もう大丈夫です、先輩」
海の手を握り、元気の出るおまじないのように手の甲を撫でる銀次。
「めちゃくちゃ怖かったですよね。これからはずっと俺がついてますから……」
「……うん。そうしてくれると助かるな」
全身の力が抜けた海は、彼によりかかるように抱きつく。
「ああ銀次くんだ……安心、する……」
「先輩……」
銀次は海をキツく抱きしめて——すぐに離した。
「どうしたの?」
「あ……す、すみません。嫌ってわけでは決してないんですけど……ちょっと心臓が持たなくて……こんな時に情けない男ですみません……」
「ううん。むしろいつもの銀次くんって感じで落ち着くかも」
こんな俺をフォローしてくれた。やっぱり先輩は世界一優しい。
「俺が眠りこけている間に、先輩は大変な目にあっていたんですね……自分が無力で悔しいです。裕也くんと真島さんが闘ってる時、気が気じゃなかったでしょう」
「うん。すごく激しい争いで、息することすら忘れてたよ」
海がチャームポイントの泣きぼくろをかきながら、その光景の凄まじさを語る。
「それにしてもさ。"アレ"さ……」
「うん。ヤバかったね……」
都とキアラがヒソヒソ声で話す。
銀次の脳裏にも、先ほど見た誠士郎の体が、そこに刻まれたものが焼き付いて離れなかった。それくらいのインパクトだったのだ。
誠士郎の上半身には、その柔和そうな雰囲気には似つかわしくない、いかつい入れ墨が刻まれていたのだ。
体の中心線を避けて両側に左右対称に彫られた龍の入れ墨は、胸割りと呼ばれている古くからある彫り方である。
ヤクザがするやつだ。
銀次も含めたほぼ全員の心の声が一致した瞬間である。
誠士郎は今眠っている。時間が経てば起きるだろうと思われた。
起きた時にどう話しかければいいだろう、と銀次を含めた他の面々は困っていた。
誠士郎に対するイメージが大きく変わってしまった。真面目で穏やかな男性から、躊躇いなく人を殺せるヤクザ者の男へと。
***
「じゃあ銀次くん。私は都ちゃんと隣の車両にいるから……」
「はい」
「何かあったらすぐにそっちに知らせるから、安心してねー」
都が銀次の不安を読み取って、そう言う。
他のメンバーたちも、別の車両にバラけていた。皆、誠士郎から離れたいと思っていた。
今、一両目にいるのは意識のない誠士郎と銀次——それから心だけだ。
心は相変わらず無表情で、こんな状況だというのに動揺した様子も焦った様子もない。
心という人間が元々こんな感じなのか、それともこうなることを予想していたとでもいうのか……。
「真島さんの職業はなんなんですか?」
銀次は色々考えあぐねた末に、そんな質問を繰り出した。
心は首を傾げて、記憶を遡るような様子を見せた。
「言ったじゃないですか。親から継いだ会社を経営していると」
「その会社っていうのはなんなんですか。どういう会社なんですか?」
「飲食系です」
「百合野さんも同じ会社で働いているんですよね。どういう仕事をしているんですか?」
そう突っ込むと、心は首を横に振った。
「私は詳しいことは何もわからないんです」
「わからないって——自分が働いている会社でしょう。どんな仕事をしてるのかくらい説明でき——」
「私、働いたことがないんです」
心はそっと目を伏せる。
「生まれてから一度も。誠士郎さんの会社で働いてるっていうのも嘘なんです。そう言っといた方がいいって誠士郎さんに言われたから、そういう設定で通すことにしただけです。私は、本当は誠士郎さん"たち"がどんな仕事をしているのか、何もわからないんです」
「気にならないですか? 彼がどんな仕事をしているのか……」
「知りたくないです」
気にならない、ではなく、知りたくないと心は答えた。
「誠士郎さんも知られたくないと言っていましたし……その気持ちも理解できるので」
不思議なことに、今の心は泣いているように見えた。
「誠士郎さんに今の仕事をやめてほしいですか?」
「どうしてそんなことを聞くのでしょうか」
「なんとなくそう見えたんです。彼に今の仕事から足を洗ってほしい。そしてまったく新しいことでも始めてほしい——それが百合野さんの願いなのでは?」
「……わからないです。自分の気持ちなんて」
心は片腕を押さえると、銀次からも誠士郎からも目を逸らした。
"足を洗ってほしい"なんて言い方をしても訂正しないあたり、やはり真島さんは——。
その時、誠士郎の瞼がピクリと動いた。
「こ、ころさん……?」
「おはようございます、誠士郎さん」
「あ、ああおはよう——じゃなくて。あの子は? 海ちゃんは——」
「別の車両にいますよ、真島さん」
「銀次くん? あ……俺——」
「あまり動かないでください。傷口が広がりますし」
誠士郎が痛みを思い出したように顔を歪める。
「血は止まりました」
「でも縫ってはいないんだろう?」
「縫える人がいないので……」
「ダメ元で言ってみるか……主催者。針と糸をくれないか」
そう言うやいなや、誠士郎のそばに裁縫セットが落ちる。
マジでドラ○もんみたいだな……と感心してしまう銀次。
誠士郎が服を脱いだので、銀次は慌てた声を出す。
「ちょっ、ちょっと! まさか自分で縫う気ですか?」
「それしかないだろう。下手くそだけど今は我慢するよ」
いや、下手とか上手いとかそういう問題じゃないんと思うんだけど……。
下手くそと言いながらも、誠士郎の手つきには迷いがなかった。やはり自分でやるのは難しいようで時折つっかえていたが、この大仕事に怯えた様子もない。
それを見て、やはり日頃から傷に慣れているのかな。他の人が縫うのを見たことがあるのかな……と銀次は考える。
「これでひとまずは大丈夫かな」
誠士郎がシャツを再び身に纏う。
「目が覚めたら、真っ先に真島さんに確かめたいことがあって俺は残ってたんです」
銀次が緊張した面持ちで切り出す。
「真島さんを刺したのは——」
その時、悪魔の声が聞こえてきた。
『はいは〜い! 三日目の指示のお時間で〜す!』
銀次は忌々しげにスピーカーを睨みつける。
その時、誠士郎が姿を消した。
「はっ!?」
「え、銀次くん!? なんで……」
なんだ。どうなっている。
誠士郎が忽然と姿を消した。代わりに海がどこからともなく現れた。
「私、ただ普通に都ちゃんと話してただけなんだけど、なんか急に体がフワッと浮いた感じがして……」
気がついたら銀次たちが目の前にいたのだという。
他の車両でも同じことが起こっていた。
都。都はどうなっているのだろう。
銀次の頭に、まずそのことがよぎった。
隣の車両のドアに手をかけると、ビリッとした感覚が手のひらを駆け巡った。
「いっ……!」
『はいはい。三人一組になりましたね。全員が"指示"を遂行するまでは出られないので、無駄な抵抗はやめてくださいね』
「三人一組……?」
昨日と同じという状況というわけか。
三人ずつ分断させて、何をするつもりだろう。というか都は誰と一緒で——。
『部屋割りならぬ車両割りを発表しておきますかね。一応。まず一組目は金森銀次さん、青井海さん、百合野心さん』
銀次たちの名前が呼ばれる。
『二組目は一ノ瀬裕也さん、松永キアラさん、真島誠士郎さん』
その時、後方車両にワープさせられた誠士郎も、海のような反応をしていた。自分の身に起こったことが信じられないようだった。
『最後! 三組目は田中兼さん、佐々木ほのかさん、武田王仁さん。以上で〜す』
「最後……?」
銀次は「どういうことだ」と主催者に問いかける。
「都と桜さんはどうした?」
『その二人は"余り"ってことで、今回は指示に参加しなくて大丈夫で〜す。それぞれ別の車両で待っていてもらってますよ』
それを聞いて、安心すると同時に疑念を抱く。
このいかれた主催者が、参加者を残酷なゲームから外すなんてことをするのか、という驚きだった。
『今回の指示の内容は、"生きた三人"じゃないと絶対に達成できないものですしね』
主催者の声は、ようやく本番が来た、とでもいうような弾んだものだった。
——今度こそヤバい。
銀次の本能がそう告げていた。