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第2章 初陣に不利

 僕が旅立ってから、もうすぐ二十日が経とうとしていた。


 当初の見積もりでは、一ヶ月もかからずに余裕で王都までたどり着けるはずだった。だけど、やっぱり僕は、目的地までの道がどれほど険しいかを甘く見ていた。

 ここ数日間、移動時間の半分は山道を登ったり川を渡ったりすることに費やされていた。所持金も、食料や馬車、小舟の利用で、気づけば四分の三も消えてた。

 けれど、半月以上の徒歩旅行のおかげで、僕は改めて実感した。この世界が地球ではなく、紛れもない異世界であるということを。


 広大な森林は降雨量や季節風を無視して、果てしない砂漠へと繋がっていた。さらにその外縁には、年中雪を戴いた巨大な山脈が連なり、夕陽の残光をかすかに遮っていた。

 瞬く星々が散らばる広大な夜空、夜闇で青白い光を放つ奇妙な湖、異形の生物が息づく沼地――たった六百キロの道のりで、僕は数えきれない光景を目にし、耳にした。


 あまりの非現実的な景観に、何度も息を呑むことさえ忘れてしまったほどだ。


 時には歩き、時には船に揺られ、僕は数多くの町や村を巡った。そこにはまさに中世西欧の物語に登場しそうな建物や設備が広がっていた。


 監視塔のようなものも至る所で目にし、大きな町では領主の住む小さな城すらあった。剣や槍を構えた衛兵や冒険者たちは、まさに星の数ほどいた。

 交易商団も各地を活発に行き来しており、シャングリラのような小さな村を除けば、ほとんどすべての町でその姿を見ることができた。

 旅に必要な食料や道具は、ほとんど彼らから買い揃えた。小さな村で流通している物より値は張ったけれど、その品質は確かだった。


 道中、ぼんやりと将来の目標を思い描きながら、気ままに歩みを進めていた。そしたら、王都ベリナまで残り五キロほどの小高い丘の近くにまで来ていた。


 僕は林の中をゆっくりと進みながら、これから目にする王国の中心地には、どんな城や建築があるのだろうと期待に胸を躍らせていた。


 ……だが、そうだ。剣と魔法の異世界に、まさかそれだけしかないと思っていたわけじゃないだろう?


「はぁ、はぁ……くそっ! こんな危険なら、最初から言っとけよ!」


 左に曲がり、右に逸れて、ひたすら直進。林の中を縦横無尽に走り回る僕は、木の根を飛び越え、大岩を越えながら必死で逃げていた。


 だが、背後から鳴り響く轟音はまったく遠ざかる気配がない。むしろどんどん近づいてきていた。


 粉々に踏み砕かれた三本の短剣のことを思い出し、僕はようやく理解した。なぜあのリュックの中に、あんなにも鋭くて丈夫な短剣が五本も「護身用」として入っていたのかを。


 いや、正直に言ってしまえば――七十本、いや七百本あったところで、足りるとは思えなかった。


 だって……こんな化け物相手に、全長が半メートルにも満たない小さなナイフで立ち向かえって? そんな無茶な話があるかっての!


「グォオオオオオオオ!」


 轟くような咆哮が突然木々を揺らし、僕の心臓をぎゅっと締めつけた。限界寸前だった足も、恐怖であと一段ギアを上げる。


「こんな走り方……絶対、寿命が百年は縮むってば……!」


 少しでもペースを落としたら死ぬ。そう思った瞬間、僕の中に残っていた微かな生命力が再び燃え上がり、限界を超えて体を前に押し出した。筋肉痛? 後で考えればいい。生き延びてからだ!


 そのわずか百メートル後方には、トラックほどの巨体を持った恐るべき怪物が、漆黒の巨大な角を掲げ、目の前を逃げ惑う一匹の獲物――つまり僕めがけて猛突進してきていた。


 ***


 異獣いじゅう。それはこの世界に生きる、家畜や野生動物をはるかに凌駕する力を持つ、本物の「モンスター」たちだ。


 最も弱い下級の異獣「四尾鳴狼しびめいろう」ですら、シャングリラのような小さな村を数百回も壊滅させるに十分な脅威となる。


 だが哀しいかな、運に関していえば、僕は世界一不運な存在だ。


 問題です! このひ弱な僕が勝てる異獣はどれでしょう? 三秒、二秒、一秒、正解は……一匹もいません!


 だが、まるで運命に決められたみたいに、最弱の異獣にも勝てないなら、いっそ頂点の異獣に挑んでみるか!


 さあ、ご来場の皆さま。本日お届けするのは、異獣の頂点にして怪物の王――通称「黒鉄こくてつの角王」、その名も「六角突ろっかくとつ」!


 ドォン! ドォン! ドォン! ドォン!

 木々が次々と爆ぜる音が絶え間なく響き、鋭利な木片が風に乗って舞い上がり、僕の肌を切り裂いた。

 あちこちに線のような血が浮き出し、全身がヒリヒリと痛む。


 ケイロン先生がかつて教えてくれた――

 このサイとトリケラトプスを混ぜたような姿の六角突は、異獣の中でも単体戦闘力が最強クラスだと。


 冒険者がトラック一台分いても簡単に蹴散らす力を持ち、

 兵士が数多く配置された王都ですら、この存在に対しては常に警戒を怠らない。

 もし六角突が周囲数キロ圏内に現れたと分かれば、即座に殲滅に動く。

 その危険性の高さを物語っている。


 つまり……

 くそ、僕は本当に終わったかもしれない。


「グオオオォォ――!」


 苛立ったような怒声が背後から轟き、思わず身をすくめる。

 次の瞬間、突然僕の体の周囲に黒い影が覆いかぶさった――影……?


「ちくしょう、この野郎、まさか跳び上がれるのかよ!?」


 朝陽を遮るほどの巨体が、まるで空から降ってくるかのように僕の背後から舞い降りた。

 あのサイズで三メートル近くも跳躍できるなんて――なんてバケモノだ!


 ドガァァン!

 数百トンの重みをもって地面に叩きつけられた六角突が、地響きと共に激しい衝撃波を巻き起こす。

 僕は吹き飛ばされるように前方の茂みに投げ出され、何度も何度も地面を転がった。


 鋭い枝が服を裂き、地面の石ころが手の皮を剥ぎ取り、土が血まみれの腕にべったりと貼り付く。

 ふらふらと顔を上げた僕の視界に映ったのは、すでに体勢を立て直した六角突が、再び地を踏みしめてこちらに突撃してくる姿だった。


 起き上がる時間なんてない。

 僕は四肢をばたつかせて、必死に前方へと転がった。

 直後、六角突の最大の主角しゅかくが、さっき僕がいた場所をかすめて突き抜ける。

 空気が裂けるような音とともに、僕の最後の冷静さまでもずたずたに引き裂かれた。


「マジかよ……あり得ねぇ……!」


 眼前を通り過ぎた六角突は、すぐに急ブレーキをかけて方向転換し、再び僕を追いかけてきた。

 僕はありったけの力で立ち上がり、

 巨大な足音をかすめながら、再び森の奥へと駆け出した。


 だが運命の悪戯か、あるいは奇跡の偶然か。

 必死で道を選ばず走った僕は、ふと森の端にたどり着いた。


 木陰を抜けたその瞬間、目を焼くほどの朝日が視界を覆い、

 その先に広がる緑の草原と朝日に照らされた川が、

 心に乱れた糸を一瞬和らげた。


 川の流れに目を向ければ、その先には、

 山のふもとにきらめく美しい城――ベリナの王都の姿があった。


 そうか、ここは王都の護城河の上流なんだな。


 ひらめきが走る。

 ああ、かつて死神と十数年も向き合ってきたこの僕が、

 たかが一頭の六角突なんかに負けてたまるか。


 ドガァ!

 六角突が森からついに飛び出してくる。


 僕は平原では勝ち目がないと判断し、すぐに引き返し、

 川沿いの森を、狂ったように走り始めた。


 辛い。

 本当に、死にそうだった。

 腹は痙攣し、足の裏には水ぶくれ。

 心臓は爆発しそうなほど暴れていた。

 まるで、今打っている鼓動が最後の一回のように。


 それでも僕は足を止めなかった。

 痛みに震える脚を必死に動かし、

 久しく顔を見せていなかった「死神」から逃れようと、全身全霊で走った。


 そして――

 永遠にも思える二分間が過ぎたころ、

 ついに、旅のどんな風景よりも美しい絶景が目に飛び込んできた。


 ベリナ王都ベリナおうとが七色のチェス盤のように広がり、

 色とりどりの家々が城壁の内側にぎゅうぎゅうに詰まっているのに、

 街道で区切られていて見事なまでに整然と並んでいる。


 南門の前には、何百メートルも伸びる行列ができていた。


 周囲には碧く澄んだ急流が王都を取り囲むように流れていて、

 それはまさに、天然の護城河そのものだった。

 丘陵を越えて東の大平原を見れば、

 金色に輝く麦畑と作物たちが風に揺れ、

 いくつもの風車がそびえ、巨大な羽根がゆっくりと回っていた。


 ――そして僕は、ついに森の終わりに到着した。


 バサッと茂みを跳び越え、

 川辺の小さな草原に足を踏み出し、そこに立ち止まった。


 そして、目の前には、さっきまで小川だった水が、

 そのまま滝となって流れ落ちている。


 この滝の先にあるのは、遠くからも有名な「星湖せいこ」だ。


 あと二歩でも後ろに下がれば、

 僕は断崖から落ちて、まだ冷たい朝の湖水に叩きつけられる。


「ふう……」


 深く息を吸い、迫り来る木々の爆音に向き合う。


 二十メートル……十メートル……五メートル――

 木が砕ける音が、唯一の距離の目安だ。


 ついに、ほとんど朝日を遮るほどの黒い森の中から、

 六角突の巨大な姿が見えた。


 反応できる時間は、あと数秒しかない。


「来いっ……!」


 緊張の叫びとともに――


 ドガァァン!

 前方の木々が爆発し、六角突が巻き上げた風に乗って、

 鋭利な木片が雨のように僕を襲う!


 その一瞬、時がスローモーションのように感じられた。


 ブスッ!

 何十本もの木片が身体に突き刺さり、全身に激痛が走る。

 だが六角突は減速などしない。

 黒鉄のごとくそびえる角を前に、まっすぐ僕を貫こうと迫ってくる!


 ……少なくとも、そいつはそう思っていたはずだ。


 シュッ!

 僕はぎりぎりで身を翻し、横に飛び退いた。


 猛加速していた六角突は止まりきれず、

 わずか数センチの差で僕をかすめ――そのまま、

 蒼天へ向かって断崖を突っ切った!


 六角突は、まるで暴走する雄牛のように、

 急旋回や急停止ができない。


 それなのに、あの図体で異獣の中でもトップクラスの速度を誇る。

 あれだけ障害物だらけの森の中であのスピードなら、

 平原で全力疾走されたら一体どうなるのか……想像したくもない。


 だが、だからこそ、この策は成功した。


 ベリナ断崖だんがい――

 王都南方の丘陵に位置し、王都を一望できる名所。

 本来なら、観光客で賑わっていてもおかしくない場所。


 だが今日に限っては、観光客はおろか、衛兵すらいなかった。


 誰にも助けを求められなかった僕、

 命懸けでこの一キロ近い上り坂を全力で駆け上がってきたのだ。


 すべては、六角突を断崖から落とすために!


「グォオオォォ!!」


 風が巻き上がる。

 六角突の絶叫が空に響く。

 僕は思わず息を吐き、

 こみ上げる安堵と勝利の感情を噛みしめた。


 ――助かった……!


 十四年ぶりに、死の危機を乗り越えた僕は、

 ついに力を抜き、草の上に身を投げ出す。


 ほんのわずかな気の緩み。


 そのとき、僕の視界に、断崖の彼方へ消えていく六角突の顔が映った。


 ……五本?


 そう、

 顔にあるのは、大きな主角が一本、そして副角が四本――

 名前の「六角ろっかく」に、何か足りない。


 ああ、じゃあ、残りの一本は……?


 背筋を悪寒が走った。


 遅かったかもしれない。

 幼い頃に学んだ知識が、今になって脳裏に蘇る。


「六角突の角は黒鉄のように硬く、鋭く、鎧を貫き、岩を砕くことさえ容易い。一つの主角と四つの副角は額にあり、空を向いている。では、残りの一本は――」


「――太い縄のような尾の先に、鋭い針として存在する。」


 シュッ!

 風を裂く音と、肉が引き裂かれる感触が一瞬で走る。


 灼けるような熱が腹を貫き、

 そのまま、体が空へと放り出された。


 六角突は落下の直前、

 その第六の「角」で、僕の腹を裂いてきたのだ。


 断崖の縁から、僕を巻き込んで……星湖せいこへと落とした。


「あぁ……くそ。」


 冷たい湖水へと沈むその瞬間、

 僕の意識は闇に沈み、最後にこう思った――


「これが……まさに初陣(しょじん)不利(ふり)だな。」

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