第16章 日常と呼べるかもしれない
一体何が、ルシア・アヴァロン(ルシア・アヴァロン)を歴代最強の勇者の一人にしたのか?
今なお、南北大陸の戦士たちはそんな議論を続けている。
一本の剣、一着の鎧。彼女はたったその二つの装備だけで南大陸を席巻し、今まで一度も敗北を喫したことがない。自分の努力で連戦連勝を重ね、ついに大衆に認められるに至った。
おそらくそのせいで、「阿瓦隆研究会」とかいう妙な結社まで現れた。目的は勇者の戦い方を分析し、なぜ彼女が連戦連勝できるのかを解明することらしい。
その中では、彼女の固有スキルがあまりにも強力だから無敵なんだと考える人もいれば、聖剣などの装備に頼ってるだけで、本当の実力がない弱者だと考える人もいる。
だが、そんな「根も葉もない話」に、僕たちの勇者ルシア様は鼻で笑うだけだ。
「強靭な肉体。」それこそが本当の鍵だと、彼女は言う。
誰であれ、どんな職業であれ、強靭な肉体が必要だ。例外はない。
頭脳だけで生きる軍師? 戦況が切迫して、三日三晩休みなく強行軍を強いられた時の感覚を味わってみろよ、と言いたいね。
後方で魔力を操るだけの魔法使い? うん、高級魔法を放つ時に魔力の流れで体が引き裂かれないようにしたいなら、素直に鍛えた方がいい。
それとも一国の王や王太子? 訓練するか、暗殺されるか、ほとんどの人は前者を選ぶだろう。
要するに、こんな体への要求が比較的低い職業でさえ、最低限の体力訓練から逃れられないんだ。だったら……勇者を目指す僕が、どうやってその試練から逃げられると思う?
「力を込めろ!」
バン! 僕の拳がルシアの手のひらにぶつかった。
「もっと力を込めろ!」
ゴン! 彼女の手のひらはびくともしないのに、僕の指の骨は震えてしびれた。
「全力で――ぶちかませ!」 ルシアが吠え、その瞬間、天地をひっくり返すような圧力が襲いかかってきた。全身の筋肉が一瞬で極限まで引き締まり、本能が再び僕を全力で攻撃させた。さもないと……死ぬ!
シュッ! 僕は左足を踏み出し、腰をひねり、全身の力が潮のように右拳に流れ込んだ。
次の瞬間、血まみれの拳が唸りを上げ、ルシアの心臓めがけて真っ直ぐ振り下ろした!
「悪くないけど、ちょっと足りないな。」 背筋に悪寒が走った。
ルシアの目に冷たい光が閃き、口角が上がる。彼女の右手は軽く持ち上がるだけで僕の全力の一撃をはねのけ、まるで僕の攻撃がただのうざい虫みたいだった。
その刹那、脳の奥でブーンという唸りが響き、肋骨のあたりから電撃のような刺激が走り、頭皮がしびれた。
バン! 反応して避けようとした時には、ルシアの右足が僕の腹に重く叩き込まれていた。巨大な衝撃が全身に広がり、骨が軋み、腹腔は潰されそうだった。
「ガハッ!」 思わず血を吐き、身体が制御を失い、横に吹っ飛んだ。
ドン! 僕は地面に叩きつけられ、砂地で何回転かしてやっと止まった。
結局、僕は埃舞う地面に這いつくばり、雲一つない青空を見上げながら、僕の人生、一体何の意味があるんだ? そしてルシア・アヴァロンの本性が実はサディストなんじゃないかと考えた。
アヴァロン宅邸に住み始めて、ちょうど一週間が経った。
この間に、僕が本当の「地獄」を味わったよ。
「悪い、平気か?」 ルシアが遠くから歩いてきて、いつもの笑顔を浮かべていた。
「平気に見えるか……?」
痛む脇腹を押さえ、ルシアが差し出した右手を掴んで立ち上がり、傷を引っ張って咳き込み、身体に鋭い痛みが走った。
くそくらえ、この肋骨が折れてなかったら奇跡だ!
ルシアは慣れた手つきで僕を支え、屋敷に戻って治療してくれた。
対戦訓練のはずなのに、パジャマ姿のルシアは汗一つかかず、普段と何も変わらない。魔法のおかげで埃すら服に付かない。
この、格好良く言えば「肉体の極限を鍛える」、悪く言えば「リンチ」としか思えない訓練は、もう十数回も繰り返された。僕、マジで選定前にルシアに殴り殺されるんじゃねえか?
僕、本当に騙されたんじゃねえか……? 彼女、僕を救うつもりじゃなくて、家に連れてってじわじわ虐待して殺すつもりなんじゃないか?
「まあ、だいぶ上達したぞ。」
残念ながら、僕の傷口も上達してるみたいだ。
「ゲホ!」 腹に鋭い痛みが走り、また血を吐いた後、やっと気管に異物がないと感じたけど、鼻腔には濃い鉄の味が充満していた。
僕は無奈に目を細め、庭の入り口の小さな台に座り、ルシアの基本治療を受けながら、体が少しずつ回復する不思議な感覚を感じていた。
認めたくないけど……まあ、僕、こんな毎日「訓(殴)練」の生活にも慣れてきたのかな。
だんだん遅く昇る朝日を眺めながら、時間の流れが止まらないことを実感した。
この世界の暦は前世と同じく四つの季節、12ヶ月に分かれてる。翠春、赤暑、黄秋、白冬だ。
対応する色の単語の前に浅、平、深の三文字を付ければ、その季節の何月目かを示せる。
先月、つまり深紅の月は、前世の暦でいう8月くらい、夏の最後の月だ。
次の月に向かい、浅黄の月(9月)を過ぎ、平黄の月(10月)1日目になると、勇者選定が正式に始まる。
で、今日、浅黄の月7日。選定まで――あと24日。
***
「ふう……」 額の汗を拭い、大きく息を吐いた。
「よし、これでだいたい終わったかな?」
火を止め、木の箸で慎重に目玉焼きを挟み、焼きたてのパンに乗せ、高級ジャムをかけて、たんぱく質補給用のベーコンを数枚添えた。
次に、木の戸棚から茶葉を取り出し、ルシアの好きな味に合わせて調合し、熱湯を注いで蓋をして数分蒸らす。
その間に、食堂に行ってテーブルを整え、ナイフとフォークを並べ、冷めた朝食を運び、淹れたての紅茶を添えてテーブルに置く――よし、完成だ。
「ルシア、朝飯食えるよ~」
ルシアと同居して一週間近くの僕は、彼女を特に待たず、さっさとテーブルについて朝食を食べ始めた。
数分も経たないうちに、アレシ王国の軍装に着替えたルシアが二階から降りてきて、主席に座ると豪快かつ優雅に食べ始めた。
「今日も王宮に行くの?」 食事が終わる前に僕が尋ねた。
「その通り。今日、定例会議があるし、久々にアレシ王室とも会う予定だ。」
「そっか……」 勇者も大変だな。
「悪いな。」「いいよ~」 ルシアは朝食を終えると、屋敷を出て王宮へ向かった。
で、僕は屋敷に残り、今日まだ終わってない「家事」を続ける。
正直、これが僕たちの日常生活って呼べるかもしれない。
朝の対戦訓練が終わったら、今みたいに二人で豪華な朝食を作り、その後は家事の小妖精に変身して、阿瓦隆宅邸を少しずつ掃除する。
言っておくけど、この屋敷、マジででかい……一度、屋敷の中で迷子になったくらいだ。ルシアの優れた感知能力がなかったら、僕、廊下で白骨になってたかもしれない。
まあ、そのおかげで、屋敷の状態がどれだけひどいか気づけたんだけど。
元々はたくさんのメイドや執事を収容する設計だったみたいだけど、ルシアは一人暮らしが好きだから、みんなくびにしたらしい。
それに、彼女はしょっちゅう遠征に出るから、屋敷の7割以上の部屋は使われてなく、残りの3割も長年雑然としてる。
一日の流れを時間表にすると、朝6時に起きて洗顔後、筋力、耐力、対戦訓練を2時間みっちり。
簡単な朝食後、20キロの重りを背負って屋敷を掃除。掃除が終わったら書斎で読書(僕の貧弱な常識を補うため)。その後は地獄のような長距離負重走。
ルシアが午後に屋敷に戻ると、地獄よりさらに地獄の訓練が始まり、夕飯まで休憩時間はない。
極めて危険な勇者選定の準備だとわかってるけど……くそ、やっぱりちょっとキツい。
だって、一日中殴られるか、殴られる準備してるか(ルシアはこれを「抗圧訓練」と呼ぶ)だから、こんなの耐えられる人、ほんと少ないと思う。
「ふう……」 雑巾を置いて一息つき、長い間膝をついてた筋骨を伸ばした。
「これで十分きれいになったかな……?」
リビングの大きなガラス窓と横の家具を見て、ちょっと誇らしげに立ち上がり、僕がピカピカに掃除した屋敷を見回した。
いっそ勇者なんてやめて、阿瓦隆宅邸で一生働こうか? この掃除スキルなら、ルシアも僕を追い出さないだろう。
給料も悪くないはず、たぶんほとんどの仕事より高い。食事と住まい付きで、美女と同居……くそ、考えれば考えるほど自分に説得されそう――
「……ん?」 その時、視界の端に金色がチラッと見えた。
窓の外を見ると、確かに背の高い人影がゆっくり屋敷に近づいてきた。
真昼の陽光に照らされ、髪が風に揺れ、アレシの国章が描かれた軍装が彼女のスタイルと長い脚を際立たせていた。
時計を見ると、やっぱりまだ昼過ぎで、ルシアが普段帰る時間よりかなり早い。
数分後、屋敷の門がゆっくり開いた。ルシアは小さな書類の束を持ち、ちょっと重い軍服を脱ぎながら玄関に入ってきた。
「今日、めっちゃ早いな?」 僕は歩み寄り、ルシアの脱いだ軍服を受け取り、リビングのテーブルで整理し始めた。
ルシアの軍装には勲章やブローチがたくさん付いてる。だから、整理前に全部丁寧に外して、羽毛と布でできた小さな箱にしまう。
次に、肩のラインを整えて軍服を広げ、内ポケットのものを全部取り出す。
それから、指で生地をなぞり、特に前立て、裾、胸元を整え、縫い目に沿って袖を揃える。
この軍服は特殊な金属糸と植物繊維で手縫いされてるから、折り畳む時も特に注意が必要、さもないと精巧なデザインが――って、なんで急に説明し始めたんだ?
「今日、処理する仕事が少なかっただけ。それに……」 ルシアは手元の書類を振った。「お前に見せるものがある。」
その書類の束を見た瞬間、僕の視線はもう離せなかった。
「それ……天時堂の紋章だろ?」
「その通り。」
ルシアはなんとも言えない表情を浮かべた。
「出たぞ。お前のスキルの分析結果。」「!」
ああ……ルシアがこんな表情をする理由がわかってきた。僕はゴクリと唾を飲んだ。
「今日から、基本的な身体能力の訓練は終わり。『極致』にはまだ遠いけど、お前、だいぶ上達したぞ。少なくとも『天梯第五階』の近接戦士くらいにはなれてる。そこにスキルが加われば、選定には十分対応できるはずだ。」
ルシアは木のテーブルに近づき、書類をすべて広げた。
「今日の午後から、訓練の第二段階に正式に入る。」 ルシアの口角がわずかに上がった。
浅黄の月7日。
肉体訓練終了、スキル訓練――正式に開始。