第13章 善を為す
この世界で、最強の力とは一体何だろう?
無尽蔵の財力か、至高の権力か? それとも万能の魔法か、肉体の極限か?
いや、この世界に生きる誰に尋ねても、ただ一つの、決して揺るがぬ答えが返ってくる。
その名は――
「固有スキル。」
ルシアは僕を肩に担ぎ、白亜の居城を足早に進みながら言った。
「それは世界が我々に与えた、事物の本質を変える力だ。天地を裂き、人心を操り、理を曲げる――相応のスキルさえあれば、いついかなる時も、本能で呼び出せば必ず応えてくれる。そして固有スキルは、その中核を成すものだ。」
裁判所の東門を出るとすぐ、ルシアは一言も告げず南の区画へ向かった。どうやら「成人の儀」と呼ばれる儀式に僕を連れて行くらしい。
道中、彼女は「スキル」についての知識――いや、この世界では「常識」と呼ぶべきものを教えてくれた。
正直、七歳にも満たない子供ですらスキルの存在を知っている。僕にとっては伝説でしかなかった「スキル」が、この世界の誰もが持つ力だなんて。
僕はそんな教育を一切受けていない。そもそも「スキル」という言葉すら初耳だ。……ケイロン先生、一体何を教えてたんだよ!
「とにかく、人間は十五歳で『覚醒』を迎える。」
ルシアは僕の意識が逸れているのに気づいたのか、肩を揺らして注意を引き戻した。
「男も女も、強者も弱者も、例外なく誰もが『固有スキル』を一つ、そして二~四つの『派生スキル』を得る。だが――」
だが、スキルが皆に平等に与えられるということは、英雄と悪人が共に生まれるということだ。勇者がいるなら、人心を惑わし国家を転覆させる罪人もまた現れる。
彼らは強力な上位固有スキルを持ち、その力で好き勝手に暴れる。これが大陸の建国初期に内戦や簒奪が絶えず、戦火が止まぬ原因だった。
転機が訪れたのは、天賜暦0年。独立機関「天時堂」が設立された時だ。
当時、各国は一つの合意に至った。スキルの「覚醒」は天時堂で一括して行うべきだと。
聖教を信じる国々では、この「覚醒」は「成人の儀」とも呼ばれる。
十五歳の誕生日の前夜、すべての子は天時堂へ赴き、教会の加護のもと「成人の洗礼」を受ける。そして、午前零時ちょうどに「覚醒」が始まる。
天時堂が記録するスキル情報は厳重な機密だ。無罪である限り、天時堂の職員ですら勝手に閲覧することはできない。
ただし、必要とあれば――例えば、誰かがスキルを使って悪事を働いた場合、天時堂はその情報を公開する。
冒険者や哨兵は、その情報をもとに弱点を突く装備や戦略を立て、被害を最小限に抑える。
国境を越える犯罪者が現れれば、各国の天時堂は情報を共有する。あまりにも強力なスキルが悪意ある者の手に渡れば、南北大陸に取り返しのつかない被害が出るからだ――
「――そう、ちょうど17年前のようにな。」
「17年前?」
「『理想革命』。それがかつて世界を混乱に陥れた戦争の名だ。彼ら『理想郷』は、南北大陸の各地で前代未聞の革命を起こした。
当時の王族、貴族、領主、果ては一国の王や勇者までが彼らの手で命を落とし、主要都市の多くが壊滅した。彼らが突然姿を消すまで、誰も抗えなかった。」
「勇者すら敗れたのか……?」僕は驚いて尋ねた。
「そうだ。当時の勇者は『第一階位』の頂点、人類最強だった。今と同じく、彼女は南大陸で連戦連勝を重ね、人魔戦争の勝利も目前だった。
だがその時、『革命家』を名乗る女が現れ、彼女の道を断った。」
ルシアはしばし黙った。
「その女は理想郷を率い、アレシ王国の片田舎から台頭し、ついに北大陸全土を席巻した。そして聖国の首都『ヴァルハラ』で大動乱を起こし、教皇と勇者を殺した……その時、俺もその場にいた。」
――気のせいか、ルシアの声が重く沈んだ気がした。
「今も忘れられない。あの燃え盛るヴァルハラの炎……あの革命で、どれだけの無垢な民が巻き込まれ、どれだけの家族が引き裂かれたか……」
「ふぅ……」ルシアは息を吐き、話を締めた。
「すまない、怖がらせたかったわけじゃない。ただ、スキルがどれほど恐ろしい力かを伝えたかった。勇者とは、見ず知らずの者を助けるだけでなく、知る者、愛する者を守るために戦う存在だ。
魔族、異獣、人災……勇者が向き合う試練は、お前の想像を超えるものばかりだ。」
「もちろん、嫌ならやめてもいい。」
――え? 一瞬、耳を疑った。
「でも、教会に約束したんじゃ……?」
「それは俺が勝手に決めただけだ。お前の意思をまだ聞いてなかったな。」
ルシアは軽く笑った。
「無理強いしても意味はない。勇者になる意志がなければ、どんなに強くても無駄だ。」
「でも、判決は……」
「心配するな。お前は牢に入ったりしない。」
「……え?」
「大丈夫だ。俺がついてる限り、誰もお前を閉じ込めさせやしない。」
ルシアは僕の背を軽く叩いた。
「勇者の権限は、お前が思うよりずっと大きい。適当な理由をつければ、お前は自由でいられる。」
僕は口を開きかけたが、言葉が喉で詰まり、唇を閉ざした。
「そもそも、こんなことで若い子の未来を潰すのは忍びない。結果的に俺に損害もなかったしな。だから、お前には自由でいてほしい。」
――どうして?
「生活が心配なら、俺の従者になってもいいぞ。」
どうして、僕なんかにそんな優しさを……?
「まあ、すぐ決めなくていい。どうせ――」
「どうして……僕なんかに、こんな……」
気づけば、言葉が口をついて出ていた。不安と、ほのかな恐怖を帯びて。
「!」
ルシアの足が一瞬止まった。
分からない。なぜ、彼女の善意を受け入れられないんだ。なぜ、心から人を信じられないんだ。
どれだけ不安を抑え込もうとしたか。彼女が僕を害するなら、こんな面倒な手段は使わないと分かっているのに。
それでも、信じられない。
身体が震える。粘つく血が皮膚を這う感覚、心を刺す痛み、筋肉が引き裂かれるような痛み、耳元で何かが「壊れる」音が響き続ける。
それは幻覚のような曖昧な光景なのに、どれだけ理性で否定しても、心の奥から這い上がり、僕を恐怖で支配する。
「どうして……見ず知らずの僕に、無条件でそんな善意を示してくれるんだ……?」
あの記憶の断片で、僕は確かにマリーンやレンを信じていた。でも、最後には裏切られ、地獄に堕ちた。
もう分からない。いつ、誰を信じればいいのか――
「ベレスク・ノア、お前は何か勘違いしてるな。」
ルシアの声が、僕の思考を断ち切った。
「……え?」
――ドン!
廊下に響く衝突音。朝の微風が頬を撫で、涼しさを運ぶ。
ルシアは僕を地面に下ろし、その空気は一変して冷たく鋭いものになった。
仰ぎ見るしかなかった。壁際に押しやられ、彼女の右手が伸び、僕は壁と彼女の間に閉じ込められた。
「信頼?」アヴァロンは軽く笑った。「俺が求めるのは、そんなものじゃない。」
アヴァロンの鎧から点点の光暈が浮かび上がり、一滴一滴、その冷たい金属の鎧がゆっくりと分解された。心を揺さぶる清らかな香りと共に、アヴァロン(アヴァロン)の真の姿がついに俺の視界に映った。
その刹那、俺は呼吸を止めた。
「よく聞け。俺の名前はルシア——ルシア・アヴァロン(アヴァロン)だ。」
彼女は俺の耳元に近づき、一言一言を丁寧に語った。
「お前の信頼は必要ない。お前のものなんて、何も欲しくない。」
そのわずかに磁性の帯びた声は、俺の鼓膜を震わせ、心臓を狂ったように跳ねさせ、呼吸を止めた。
「俺は『勇者』だ!勇者は善行に報酬を求めず、目標も必要としない。『善行』そのものが俺の職務だ。お前は俺を信頼しなくていい。だが、知っておけ——俺は絶対にお前を傷つけない。だから……お前の警戒心は、もう少し下げてもいいかもしれないな。」
アヴァロンは目を細め、わずかに微笑んだ。
兜の下、その烈日のような金色の髪は微風に揺れ、朝陽の光に照らされて眩しく輝いた。
額の前の幾本かの髪は自然に垂れ落ち、その浅青の瞳は波光のような海の輝きを帯び、空の湛む青のようだった。
重装鎧は彼女にとってまるでドレスのように軽やかで、聖剣は腰に輝きを放っていた。
彼女は口を開いた。
「分かったか?」
一絲の挑発的な語気と共に、その言葉は俺の心に深く突き刺さった。
「返事は?」
「……わ、分かった……!(ごくり)」
「よし、いいぞ。」
ルシアは柔らかく微笑み、壁から手を離し、朝陽の差し込む廊下の中央に戻った。
「さあ、行くぞ、小僧。」
「は、はい、ルシ――アヴァロン様……」
「ルシアでいい。」
促され、僕は胸の高鳴りを抑え、慌てて後を追った。
……そういえば、ルシアって女性だったのか。聖剣がでかいとかいう噂から、てっきりイケメンだと思ってたのに……
「まあ、本音を言うと、君を助けた理由はそんなに多くない。」
ルシアは振り返り、僕の意識を現実に引き戻した。
「一つ目はさっきも言った。女神が君を選んだ。君は勇者になれる特別な存在だ。そんな者を牢に閉じ込めるなんて、世界の損失でしかない。」
「二つ目の理由は……多分、俺が思ってた以上に君を気に入ったからかな。」
「……一時間も経ってないのに?」
「うん。今はまだ分からないかもしれないけど、俺の周りには、こんな風に話しかけてくれる奴なんてほとんどいない。だから、君のその態度――めっちゃ気に入ってるんだ。」
「……もっと敬意を払ったほうがいいか?」
「いや、いい。」ルシアはくすりと笑う。「君は君のままでいてくれ。それが一番だ。子供にぺこぺこされるのには、もううんざりしてる。」
子供か……前世も含めたら、俺もう三十歳近いんだけどな。まあ、記憶のある時間なんてその半分もないけど。
「それに、君ってめっちゃ可愛いから。家に飾ったら、気分が上がると思うんだよね。」
……本当にそれが「ついでの動機」か? 本命じゃないのかよ?
「さて、話してるうちに着いたぞ。」
十分ほどの歩行の末、僕らは純白の巨大なドーム型建築の前に辿り着いた。外壁に輝く純金の紋章を見上げる。
「紹介しよう、ノア。」
ルシアは手を掲げ、にっこり笑った。
「ここが――『天の恩寵』と『時が交錯する場所』――天と時の神殿、天時堂だ。」