第11章 目覚め
「私は、受け入れられない。」
朝の陽光が柔らかな温もりを帯び、白の居城に差し込む。天井まで届くステンドグラスを通り抜け、鮮やかな光が白い大理石の床に色とりどりの模様を映し出す。
その聖なる輝きに浴しながら、テイラは眉をひそめて口を開いた。
「普通の裁判ならまだしも、なぜ聖教会を巻き込む必要がある? しかも貴族向けの公開審判だなんて!」
細長い空間には、数十台の病床がぽつんと並び、簡素なカーテンがかろうじてプライバシーを守っている。狭苦しい木製のナイトテーブルがベッド脇に置かれ、個人スペースの大半を占めていた。
今、この広大な医療院で、白いカーテンが引かれたベッドはただ一つ。入口以外には人影一つ見当たらない。
「テイラ・アンマリー、感情で判断を誤るな。」
医療院の入口近くから声が響いた。
「俺まで巻き込まれた以上、聖教会の上層部が黙っているはずがない。その場で斬らなかったのは、俺の最大の譲歩だ。」
「……」
テイラは悔しそうに口を閉ざした。壁の影に佇むラファエルを前に、反論の言葉が見つからない。 その通り――彼がその場で手を下さなかったのは、最大限の寛容だった。南区全体を揺るがした事件だ。特別な手続きなしで済むはずがない。
「うっ……」
その時、微かな呻き声が聞こえた。今にも消えそうなほど弱々しい声だったが、テイラもラファエルも聞き逃さず、同時にそちらへ顔を向けた。 ただ一つ、異なるのは――二人の瞳に宿る温度の差だけ。
「ノア!」
テイラはカーテンの引かれたベッドへ駆け寄り、言葉に溢れる心配を滲ませた。 一方、ラファエルはベッドに一瞥をくれると、静かに医療院を後にし、上層部の元へ向かった。
(ベレスク・ノア、か……ふん、善行とでもしておくか。)
庭園の清涼な風を感じながら、ラファエルの口元にかすかな笑みが浮かぶ。
(その命……預からせてもらう。)
彼は聖剣に目を落とし、数日前に聞いた言葉を思い返した。
そしてその瞬間、僕が病床で目を覚ました。
***
「うう……」
眩しい光が瞼に差し込み、思わず顔をしかめる。 遠くからざわざわと話し声が聞こえてくる。何を話しているかはわからないが、どこか聞き覚えのある二つの声だ。
全身の筋肉が痛み、骨が何本か折れているような感覚。口中に妙な味がこびりつき、なかなか消えない。 ゆっくり目を開けた瞬間、強烈な吐き気が襲ってきた。
「っ!」
痛みを無視し、反射的にベッドから身を起こし、口を押さえた。 視界の端で、テイラが慌てて駆け寄り、魔法でゴミ箱を引き寄せるのが見えた。
次の瞬間、僕は我慢できず、胃の中のものを一気に吐き出した。
「おえっ……ごほっ……」
苦しみながら咳き込むと、テイラがそっと背中をさすってくれる。
「ほら、水を飲んで?」
「ありがとう……」
コップを受け取り、一気に飲み干す。清らかな水が口中の異味を洗い流し、三杯飲み終えた頃、僕は大きく息を吐き、力尽きたようにベッドに倒れ込んだ。
「うう……」
長いため息をつき、複雑な彫刻が施された高い天井を見上げる。知らない場所に、完全な無力感が押し寄せた。
「ノア、大丈夫? どこか痛むところは?」
テイラがベッド脇に身を寄せ、心配そうに尋ねる。
「うん、ありがとう。大丈夫だよ……」
弱々しく答えた。
「それより、今の状況って何だ……?」
ズキズキと痛む頭を押さえながら尋ねる。
正直、ウル旅館で何が起きたのか、まるで覚えていない。 異獣に襲われ、ウルに逃げ込み、手当てを受け、スープを飲んで眠るまで――そこまではぼんやり覚えている。
でも……くそ、やっぱりそれ以外の記憶は、綺麗に抉り取られたように消えている。無理に思い出そうとすると、頭の奥に鋭い痛みが走る。
「記憶が……ないの?」
テイラが怪訝な顔で聞き返した。
「うん、変だろ……」
「本当に、何も映像がないの?」
「ん……マリーンと戦ったような、戦ってないような……?」
記憶の霧を必死にかき分けようとする。あの時、僕の目にはマリーンと戦うことしか映っていなかったような――ただ彼女を倒す衝動だけが。 頭が熱くなり、額を押さえた。
「こうだよ。君は勇者のパレードの混乱に巻き込まれ、ウル旅館に逃げ込んだ。」
「ああ、そこは覚えてる。」
「で、目撃者の証言によると、そこで応急処置を受けて、命を繋いだらしい。」
「うん、それも覚えてる。」
「そして……その後、旅館に火を放ち、マリーンたち四人を殺して、勇者と戦った。」
「……ん?」
明らかに、初耳だった。
いやいや、聞き間違いだろ? 頼む、聞き間違いであってくれ! 心の中で何度も問いかけ、背中に冷や汗が滲む。
今、なんて聞いた?
「僕が……勇者と戦った?」
「うん。」
「素手で僕を殺せそうなあの勇者と?」
パレードで見た、あの鎧だけで押し潰されそうな姿を思い出す。
「多分な。」
テイラは珍しく視線を逸らし、その馬鹿げた事実を認めた。「ほんと、全部忘れてるんだな?」
「……うん。」
完全に忘れていた。
ウルで倒れてから、ここで目覚めるまで、記憶はほんのわずかな断片しかない。 思い出そうとすると、頭の奥が鋭く痛み、身体が勝手に震え出す。血が凍り、想像の中で粘つく液体が皮膚を這う感覚に襲われる。 気づけば、思考が一瞬で止まる。
まるで、その時間の出来事を恐れるかのように。
「これは……厄介だな……」
テイラは眉をひそめ、頭をかきながら説明を始めた。
「君が今いるのは、白の居城にある聖教会附属の東医療院。三日間の治療と保護を経て、さっきようやく目を覚ましたんだ。」
「え、三日間?」
「そう。あの日は相当体力を消耗したんだろ。」
テイラは少し言いづらそうに言葉を切り、続けた。
「あの日のことは、目撃者は少なかったけど、関係者への調査と『示現』の使用で、大体の流れはわかった。ウル旅館の店主、マリーン・アセンスは……君に薬を盛って、白の居城の貴族に売り飛ばそうとした。」
潮の音、地下室、烈酒の匂い。 その瞬間、複数の映像が脳裏をよぎり、雷鳴のように響く小さな声が頭にこだました。
『――壊したら、買い手が不機嫌になるだろ。』
「っ!」
激しい頭痛が走り、ようやく浮かんだ記憶が一瞬で消える。 顔が青ざめたのを見て、テイラも驚いたように口をつぐんだ。
「続けてくれ。」
頭の奥の痛みを堪え、静かに言った。
「でも……」
「平気だ。」
テイラと目を合わせ、そっと言った。「大丈夫だから。」
「……わかった。」
渋々ながら、テイラはため息をつき、話を続けた。
正直、地獄を見てきた彼女でさえ、あの光景には思わず一歩退いた。 それほど恐ろしい場面だった。
勇者が絡んだせいか、調査員は特に多かった。 関係者のほぼ全員が見ていた――大広間での裏切りから、地下室での虐待、そして夜明けの「覚醒」、爆発を起こし四人を返り討ちにした瞬間まで。 どの瞬間も、まさに地獄だった。
血飛沫が飛び、白骨が露出し、絶望が漂っていた。普段は明るいエヴリンでさえ、リィエンがノアにしたことを見た時、唇を噛み締め、殺意を宿した目をしていた。 あの華奢な体がどうやって耐えたのか、テイラには想像もつかなかった。
足で蹴り、歯で肉を裂き、指で傷口を広げる――優しげなリィエンや、評判の良かったマリーンが、ノアに対してそんな狂気じみた行為をしていたなんて、誰が想像できたか。
もう少しで、テイラの暴走した魔力嵐が南区を更地にしていただろう。リリアンが止めなければ――。 いや、それはもう過去の話だ。
「話が長くなるから、詳細は省くよ。」
テイラは虐待の過程をほぼ全て飛ばし、事件の概要だけを話した。
「要するに……君はマリーンたちに薬を盛られて動けなくされ、運ばれる直前に『覚醒』して、なんとか四人を倒した。でも『スキル』の影響で理性を失い、暴走して、駆けつけた勇者と戦ったんだ。」
「いやいや、そりゃ……」 頭を抱えた。
わけわからん単語だらけだが、話の大筋は掴めた。 だろ、普通、ただ「暴走」しただけで、なんで人類最強の勇者に喧嘩売るんだよ!
「で、結果はどうなった?」
「最終的に……今みたいな状況になった。」
テイラはため息をついた。「確かに、君は最終的に抑えられ、ウル周辺の被害も最小限に抑えられた。けど、衆目の中で勇者と戦った事実は変わらない。」
「聖教会が、教会の権威を侮るような行為を許すはずがない。」
テイラは眉をひそめ、言葉を続けた。
テイラに支えられ、僕はゆっくり医療院を出た。
「君が運び込まれた後、アレシ王国の聖教最高評議会はすぐ決定を下した。君が目覚めた後、王侯貴族と勇者の立ち会いのもと、『異端信仰および神敵宣告会』――つまり『異端審問』を行うと。」
「異端審問、か……」
詳細はわからんが……くそ、どう考えてもヤバいぞ。
「もし審問で有罪になれば、全部終わりだ。」
「一番軽い刑は?」
「うーん、運が良ければ死刑かな。」
「……?」
いや、それで「運がいい」って?
「運が悪いと、肉体の自由を奪われ、意識だけ残した操り人形――教会直属の『教僕』として、永遠に罪を償う労働を強いられる。」
……死刑のほうがマシだな。マジで「当たり」だぜ。 ていうか、身体の自由を奪って奴隷にするって、ほんと「聖」教会のやることかよ?
「大丈夫、ノア。君をそんな目に絶対遭わせない。」
テイラは拳を握り、震える声でうつむいた。
「今度こそ、君のそばにいるから。」
「……」
妙に様子がおかしいテイラを、僕は見つめた。
知り合ってまだ短い――実質半日も一緒にいない――のに、彼女の態度は、まるで僕自身じゃなく、僕を通して「誰か」を気にしているみたいだった。
「……まあ、なんとかなるだろ!」
笑ってテイラの背中を叩き、冗談っぽく言った。「六角突を逃げ切った俺が、死刑や僕刑ごときで捕まるわけねえよな?」
「……うん、君の言う通りだ。」
その冗談に、テイラも少し安心したようだった。
手を引っ込め、こっそり掌の冷汗を拭った。
十数分歩き、ようやく自分の足でまともに歩けるくらいには回復した。 テイラに付き添われ、白の居城の回廊を進み、美しい庭園をいくつも通り抜け、ついに壮麗な教会の前にたどり着いた。
見た目は、前世のゴシック建築そのもの。高くそびえる尖塔が夏の青空を突き、細長いステンドグラスに幾何学模様が描かれている。 神聖っちゃ神聖だが……残念ながら、今はそんな癒やしを感じる余裕はなかった。 だって、僕の命が続くか終わるかは、これから審問官の判断にかかってるんだから。
テイラと一緒に、教会の大扉の前で深く息を吸った。
「行くよ。君を守るから。」
「……うん。」
一筋の冷汗を流し、扉を押し開けて中へ踏み込んだ。 その瞬間、百を超える視線が一斉に僕に突き刺さった。