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月色の瞳の乙女  作者: 蜜柑桜
第十三章 枷と切望
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(五)

 カタピエ公国領主邸の中庭を囲む塀の蔓薔薇は、今季の異常な天候にも負けずにいよいよ絢爛豪華に咲き誇る。居室から遠目に見てもその色は濃く鮮やかで、観者を圧倒させる威厳に嘆息を誘われる――恐らく、大抵の者ならば。

「で、慕う君はどちらへ?」

「分かりながら聞くのか」

 薔薇の風情に浸らせてもくれない。窓辺に肘をついたまま投げやりに聞くと、背中に「まあね」と軽い返事があった。

「細かく聞く意地悪はしないけれど塀を飛び越えて逃げたってところかしらねぇ。美しく鮮やかに男を傷つける。いいわね、棘のある薔薇のようじゃない」

 棘の如く神経を刺す言葉を並べる姉上の方がよほど……と言いかけ、続きを飲み込んだ。たとえ薔薇と同じく見目のいい麗人であろうとも、妖艶とすら言えるこの姉を喩えるのは薔薇に失礼である。

 口を開けば災いを被るのはこちらだ。庭ばかり見ていても彼女が帰るわけでもない。さっさと今日の仕事を片付けてしまおうと窓辺を離れる。

 しかしこちらが口を開かずとも、相手が相手なら災いの方は勝手にやってくる。

「それで? 我が弟は失恋の悲しみにくれてうじうじといじけてそのままこの屋敷に留まり生を終えるのかな?」

「姉う……」

「私との約束を覚えている?」

 自らと同じ血を示す飴色の瞳が怪しく光る。

 出かかった抗議は止まり、諦念と覚悟の混じった嘆息が漏れた。

「当然、忘れるものか」

「それは良かったわ」

 結った髪から落ちる後れ毛を指でくるりと遊ばせながら言われても全く誠意が感じられないが、姉弟という関係にあれば否定がないだけ真だとわかる。

 麗人は緩く巻かれた髪をするりと指から離すと、衣のひだを蹴飛ばして脚を高々と組んだ。膝に頬杖をついて上目遣いに弟を見ながら、指輪の光る人差し指を頬に当てる。

「もう一度あのお嬢さんを前にしても決心が揺らがないといいけどね。いかが」

「揺らがないさ。もし彼女が」

 以前のように、目的遂行のために娘たちを求めた時とは状況が違う。あの彼女を切望する想いと、四神の珠を望む理由は次元の違う話だ。

 それどころかいまや珠はこれまでよりもなお無くてはならないものになった。希求する世界を実現するために。

 先ほどまでの興を消した静かな問いが、向かい合う飴色の瞳に浮かぶ。

「剣を抜いても?」

 もはや取れる道はひとつしかない。他の女を相手にしようと思っても彼女以外は骸と同じだ。それなら、たとえ彼女が。

「剣を抜いても」

 譲れるものではない。彼女への想いが譲れないように。しかし二つの切望は全く別物だ。

 そろそろ夜の帳が降りてきた。塀を埋め尽くす瑞々しい花々が紫がかった宵の空の下でいっそう輝きを増して見える。

 ――怪我をしなかっただろうか。

 騙されたのだと分かっても、腕の中に包んだ彼女の形と熱がまだ残る。華奢な身体に触れて初めて、自分がそれまでどれほど感情薄く娘たちを手の内にしていたのか思い知った。

 逃げたのならきっと薔薇を超えていったはずだ。あの滑らかな白肌が痛みを感じていないといい。

「それで、行くのね。南には」

 右手に陽が沈みゆく。たなびく雲は、紅から紫紺へ色を変えていく。

「無論だ」

 彼女は現れるだろうか。再会すれば敵対する覚悟の中に、淡い期待が禁じ得ない。

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