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月色の瞳の乙女  作者: 蜜柑桜
第十章 熱と代償
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(三)

 板張りの廊下は磨き上げられ、濃茶の床に硝子が薄い影を作る。その水晶のような色彩へ踏み出すと裾のひだが虹色に染まった。

 気がついて間もないうちから、メリーノはセレンのところへ二度、三度と訪れた。しかし特に近寄ろうともしない。最初と同じく入り口から動かず、セレンとは距離をおいたまま、話しかけるのも恐る恐るという態である。セレンの方もいくらメリーノの様子が様変わりしたとしてもすぐに警戒を解くほど馬鹿ではない。こういう時には口を開くのが最たる失策になりやすい。

 ——部屋にずっといるのも、退屈では、ないだろうか。

 セレンが一言も発さぬまま何度目かの来訪が過ぎた頃、言葉を切りながら提案されたのは意外な内容である。

 ——この部屋が満足いくようなら嬉しいが、もし望むのなら、部屋から出ても構わない。

 城から出ても自由という言葉と同じくこれもまた真意に聞こえる。本当に監禁状態にするつもりではなかったか。そもそも自分はかつて一度ならず忍び込んだ身であり、普通なら警戒されて然るべき人物のはずなのに、今は逆だ。むしろこちらに話しかけているメリーノの方がセレンの出方に怯えているようにすら見える。

 メリーノが胎の中で何を考えているのか知れない。口を噤んで()めつけると、メリーノはさらに声をすぼめながら続ける。

 ——(やしき)の中が面白いかは分からないが……そろそろ庭の蔓薔薇も咲き始めた。他にも、興味があればだが絵画なども……

 セレンはなお黙って相手の胸中を読もうとしたが、その目線を受けとめて間もなく向こうから目を逸らされた。飾り刺繍がふんだんにあしらわれた袖で面を隠すようにしながら顔を背け、「ともかく、屋敷の者たちには申し渡しておくから」と言ったきり、そそくさと部屋を出ていってしまった。

 何がメリーノを変えたのかさっぱりわからないが、少なくともいまの彼はセレンの前で暴君の顔を見せることはない。部屋を出ても本当に害が無いならじっとしている理由も無い。いくら十分な広さのある部屋とはいえ、普段のセレンの生活と比べるとほとんど動いておらず体が重くなってしまいそうで気持ちも悪い。

 そう考えて居室を出てきたのだった。特に誰に断る必要もないだろう。メリーノの態度が本当なら見つかったところで彼の臣下に文句を言われる筋合いもない。

 カタピエ公国の領主館は広大だ。ただセレンの記憶力なら、過去に数回忍び込んだだけで複雑な造りの棟も大体覚えた。回廊の色や装飾には見覚えがあり、サキアの珠を手に入れた時に走った屋敷の内奥だと知れる。ということはつまり、充てがわれた部屋はメリーノ本人の居室近くという意味である。

 前に各公国から嫁がせた娘たちはほとんど訪れもしない別棟に住まわせていたのを考えると、随分な好待遇だ。

 自分が特別に思われているのか、セレンには(いま)だによく解らない。ただメリーノと顔を合わせても以前のような怖気の走る想いどころか、これといった不快感もなかった。

 どちらかといえば、誰であれ他者から拒絶されていないと知った時に感じるあの安定感の方が確かである。相手がメリーノであるせいか、絶対の平静ではなく、嵌まるところを見つけただけで固定されてはいない――そんな感覚だが。

 金属装飾のあしらわれた窓枠は外界を絵のように見せる。庭木が鮮やかで、瑞々しい葉に反射する陽光が眩しい。修道院や教庁にはない大きな窓だ。いまは硝子を通して廊下に光の影ができるが、夜には白い石畳に蝋燭の灯火が橙に浮かび上がるのだろう。

「きっと綺麗なのだろうな」

「何が?」

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