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月色の瞳の乙女  作者: 蜜柑桜
第六章 逸る鼓動
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(二)

 透明な水の中で、玉の周囲だけ微妙に明度が違う。目の錯覚では、と疑う。玉をぐるりと囲むように銀色の膜が見えるのだ。そして銀幕が紋章と向かい合う部分には、まるで鏡のように周囲の膜にも紋章が浮かび上がっている。

 よく見れば、爪ほどの間隔を開けて玉を包み込むように水面が空洞を作っている――その部分だけ水が玉を避け、生じた水面に紋章が映し出されているのだった。

「『神の珠はこの世の四つの素を統べ、けして侵されず』……比喩的な言い回しかと思っていたけれど、言葉通りだったということか」

 古くから伝わる聖典の記述だ。四神それぞれは天命により自然界の核となる「元素」を支配する。水の神は水を統べる。ただし意味するところは水との融和ではない。その象徴たる珠はけして水そのものに凌駕されることなく、水の流れに押されることもない。他が珠を圧するのではなく、交わることなく、自ら立つ。

 水膜に映った紋章と玉そのものの紋章の奥からは青い光が漏れ出て反射し合い、玉の周囲だけがぼんやりと淡い色に染まっていた。

「サキアの紋章と水を制する特性、間違いなさそうだな。よくやったよセレン」

 クルサートルは水差しの中身を杯に傾けて玉を取り出した。横でセレンの安堵の息があるのに気づいて微笑する。

「骨折り損にならなくて良かった。男装潜入なんてフィロに怒られそうなこと」

「あれにはどのみち黙っておいてくれ。知れたら俺が殺されかねない」

「なら敢えて話しておこうか」

「やめろ。フィロなら本気で殺しにかかる」

「わかった。一つ、貸しにしておく」

 芝居とも本気ともわからぬ真顔でセレンはひたと相手を見つめる。だが、勘弁してくれと本心から頼むクルサートルの様子にセレンはくつくつと笑った。

 任務遂行が明らかになったおかげなのか、神の珠が見せた神秘がそうさせるのか、堰き止められていた水が再び流れ出すように、張り詰めていた空気が和らいでいく。

 セレンが纏っていた硬さが抜けていったからだろう。険しかったクルサートルの瞳にもここ最近にはなかった安堵と優しい色が生まれる。深く嘆息すると、文机に銀の玉をそっと置き、横の木椅子に手をかけた。

「しかし潜入から帰ってくるのも早かったな。邸内は広いし内部に入れてから探査までかなりかかると思ったのに、さすがセレンというか」

 椅子をセレンに向かい合うようずらすと、クルサートルは緊張を抜くようにぽすんと腰を下ろした。つられてセレンも寝台に座り、はにかみながら視線を斜めに落とす。面と向かって褒められるとどこか気恥ずかしい。

「そう言ってくれると嬉しいけどセルビトゥの公女を助けた時よりも時間はかかったよ。今回は衛兵採用だったから、自由に動けるまでにはいくつか段階があったし」

 公女の場合は輿入れの情報が入った時から部屋を特定するために教庁から密偵が入っていた。部屋さえ分かればそこへ直行してしまえば良い。しかし新人衛兵の中に紛れ込むとなれば、採用試験やら任務開始直後の研修やらで、動き回るまでに数日かかったのが実情である。

「宮廷内も私が知っているのは別棟ばかりだったから。宮廷中心部の概要を掴むのもすぐにはできなかったし、正直に言えば中核への潜入が遅くなったと心配していた」

「十二分だろう。それにしても公女が居た別棟ではなく自分の住まいの方へ保管していたか……あの馬鹿ももとより珠が目的でセルビトゥを狙ったと考えて良さそうだな」

「間違いないと思う。自分で身につけていたし、珠の意味もメリーノは承知していた」

 なんとはなしにメリーノの名を口にした直後、反射的にぞわりと嫌な感覚がセレンの全身に走った。

 自分で発した言葉に対して無意識に生じた反応に衝撃を受ける。

「メリーノが?」

 瞬時にクルサートルの顔から笑みが消え、碧の瞳に刃物を思わせる光が走る。

 思わずセレンは口を覆った。

「メリーノに会ったのか?」

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