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月色の瞳の乙女  作者: 蜜柑桜
第四章 深き友愛
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(二)

 サキアは遠い昔、現セルビトゥの地域を掌握した国である。

 傍に置いた丸椅子を引き寄せ、セレンはそこから分厚い書を持ち上げる。

「遠目から見ただけだけれど、サキアで間違いはないと思う。天井画はたぶん、サキア建国初期のアンスルを表すと思って間違いない」

 全体が悠々人差し指の長さほどの幅を作る紙の層から、セレンは迷わず一箇所を開く。卓上に広げられた面が色褪せた図像を見せ、紙の中央の折り目に沿ってセレンが挟んだ紅の組紐が走っている。古地図の蓄積である。時代ごとに作られた地図が修道院に保管され、いつの時からか書の形に綴じられたものだ。いま広げた地図上には公国の名前と徽章が対になって並んでいる。

「しかしサキア公国がこのあたりを治めていた時代はかなり長いぞ。サキアの断絶まで周りは何度も領主を変えたし、よく時代まで特定したな」

「サキア周辺にあった徽章もその位置もこの時代の公国の分布と一致していた。少し後になればこの二国の領主の子女が姻戚関係を結んで徽章の模様を変えるし、南のこのあたりの森も開拓されて国が建つだろう」

「まさかセレン、歴史上に存在した公国とその徽章の組み合わせを暗記しているのか」

 セレンは地図上の国を指し示しながら論を展開していくが、クルサートルは俄かに信じがたいと書き込まれた無数の地名と徽章を凝視する。大量にある古地図からこの一枚を正しく探し当てるのすら、かなり近いところまで年代が特定できていなければ不可能だろう。

 一方のセレンは、驚きを露わにされても「何回か見たしそのくらい覚えるだろう」とさらりと言ってのけた。彼女のずば抜けた記憶力はクルサートルも前から知ってはいたが、こうも見せつけられると畏怖すら覚える。

 しかしここまで細かな情報が分かれば、セレンの推測に信憑性が出てくる。それに最近のカタピエが他国への干渉を抑え始めたのも確かだ。

「テッレで会った時のメリーノは他の公女をもう求めないようなことを言っていた。好色がそう簡単に消えるとも思えないけれど、珠を狙う方向へ方針転換したとしたらある程度は納得できる」

「いや、それはまた違う理由があると思うが」

 淡々と述べるのでクルサートルはついひと言挟んでしまった。セルビトゥの一件以来、公女に代わるメリーノの関心はケントロクスでも囁かれているというのに、相変わらずセレンは巷で流れる浮いた噂に疎い。

 それが吉か凶かは不透明だが、いずれにせよ相手はメリーノだ。理由を教えてやる義理もない。

「サキア、か。四神との関係は、公国としてはこの上なく濃いな」

 黄ばんで文字も掠れた地図の一点を見つめる。クルサートルが思い至った《《因縁》》はセレンの頭に浮かんだ歴史上の出来事と同じである。

 稀な例だが、旧い教会自治区の中には教会からの独立を認められ、公国として改組される場合がある。特に有力な指導者がいたり、教会組織内の均衡を脅かしかねない経済力、政治力を持ってしまった時にそうした処置が取られる。サキアはまさにそうやってできた公国だ。

 教会は四神を祀る役割を果たし、大陸に住まう人と四神を繋ぐ存在だ。

「宗教画には神話に着想を得た全くの空想画もあるけれど、テッレの天井画の図像はテッレ近郊ではよくある類らしい。ということはカタピエにもある可能性は高いし、そうでなくてもメリーノならこれまでにもあの地域のどこかで目にする機会があっただろう」

 そして何度も繰り返し描かれる図像は、根拠のない嘘ばかりではない。あの絵が真実だという証拠がないのと等しく、完全な幻想だとする根拠もない。

 いまは零細であれ、セルビトゥも当初はサキアを制して君臨した貴族だ。

「もし珠が本当に存在するとして、サキア公国から国が変わったあと、セルビトゥまでサキアの財が引き継がれたら」

 セレンの言をクルサートルが継いだ。

「勢力を伸ばすカタピエが弱小セルビトゥを標的にする十分な理由が裏にあるということか」

 いくらメリーノでも、単なる女好きというだけで大陸全土を敵に回すような真似をするほど馬鹿ではない。それはここ数年のカタピエの狡猾な政策を見ていればよく分かる。

 この四神の伝説にセルビトゥ自体は気づいているのだろうか。

「セルビトゥ公は知らない可能性が高いな。公女の不在ばかりを嘆いていたし。公女も私が連れ出したあと、特に宝飾品や貴重品を奪われたなんていうそぶりは見せなかった」

「気づいていてもセルビトゥ公はいま過剰なほど警戒心が強い。教会相手でも口を割らないだろうよ」

「それなら……カタピエか」

 海沿いのサキアの上にあったセレンの指が大陸の中央へと滑る。(いにしえ)より変わらずそこにあるのは、カタピエの紋章。

 どちらも無言のまま地図を眺める。現在の地図と大差ない大陸の姿形からして天井画よりも時代は後になるだろうが、学問が進展した後に歴史を辿って作られ、幾百年も修道院で守られてきた知恵の集積。

 教庁ではなく学問機関としての修道院だからこそ持つ知的財産だ。

 しばらくしてクルサートルが息をつき、椅子の背もたれに身を預けた。

「なるほど。これを見せるためにわざわざ修道院(ここ)に呼んだのか」

「それもある」

「それ《《も》》?」

 自分も地図から目を離すと、セレンは茶器の取手に指を絡めた。湯気が頬を温めるのが心地よい。春も盛りとはいえ、雨上がりはやや冷える。

「少し教庁から引き離さないと今代の総帥直属書記官は神経が切れそうだ。『こちらが心休まらないと、神だって話しかける機を掴めない』」

 (かぐわ)しく気持ちまで和らげる茶は、クルサートルが来るときのためにミネルヴァが取っておく品である。

 幼い頃より老婦人から繰り返し聞かされた文言は、無意識にクルサートルの頬を緩ませた。

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