追い詰められています
殿下はわたくしの髪を一房掬い、そっとキスを落とす。
わたくしは魅入られたように動けない。今までこんなに強引なことをされたことがないし、昨日からあった色々で思考回路はショート寸前なのだ。
ただ、このままだと確実にわたくしの望まない方向に行くと思った。
「殿下……お戯が過ぎますわ。わたくしは名ばかりの婚約者候補です」
「名ばかりだと思っているのは、ヘンリエッタ嬢だけじゃないかな? 少なくとも僕は名ばかりだとは思っていないよ」
殿下の素の一人称って僕なのか。前も僕って言ってたことがあったな。
なんて考えている余裕はない。これは余裕ではなく、現実逃避というやつか。
「殿下は自分の責任に真摯に向き合っておられますのね。わたくしのような者にも向き合おうとする姿勢は、素晴らしいものだと思いますわ」
「僕は別に真摯なわけではないよ。そもそも自分から他人に興味を持つことはあんまりないし」
「殿下は、ご冗談がお上手ですのね」
そろそろ離れていただけないだろうか。いくら人通りがほとんどない場所とはいえ、見つかったら面倒臭いことにしかならない。
「冗談でこういうことを言うと思う?」
「残念ながら、殿下のことは深く存じ上げませんもの」
「知ろうとしなかった、の間違いだろう?」
殿下は猛獣のような表情でいう。確かにそうだけれど、大体人ってそう言う態度取られたら距離をお互いにおいた方が身のためだと思うんだけれど。
流石に殿下相手に突き放すことを言うのはリスキーか。なんとかしてのらりくらり躱すしかない。
「殿下はいずれこの国の頂点に立つお方。わたくしごときでは隣に立つのも烏滸がましいと萎縮してしまうのですわ」
「あの場に呼ばれた時点で、そもそもそういう風に思う必要はないけれど?」
「そうかもしれません。けれど、わたくし以上に殿下の隣に立つのにふさわしい方がいたらどうでしょう?」
「パトリシア嬢のことかな?」
「ご想像にお任せしますわ。未来の国母になるのにふさわしいご令嬢はいますもの」
明言なんてしたら、恐ろしいことになる。それに筆頭候補=婚約者確実ということではない。これからの努力次第で、評価が変わるなんていくらでもあるはずだ。だから嘘ではない。
「殿下、僭越ながら申し上げますが、いつ誰が来るかもわからない場所でございます。このような状態を見られましたら醜聞になりかねませんわ」
「僕が何も考えずにこんな行動をするわけがないだろう? それにもう授業は始まっている。授業中は生徒はもちろん、教師も自分の持ち場にいる。学園は死角が多いからね。ここってちょうどどこからも見えないんだよ」
それは流石にハッタリだと信じたいけれど、今の状態では説得力がある。単純に殿下の態度と口調のせいだけれど。
「そもそも、他の婚約者候補の方もいますのよ。殿下は候補者のご令嬢皆様に同じことをするのですか?」
「いいや? 嫉妬してくれるのか?」
「ご冗談を。他の方にも同じことをしていたら紳士ではありません。かといってわたくしにしている時点で軽んじられているようですね」
「こういうのは特別扱いだと思ってくれると嬉しいんだけどな」
「男性は好きでない女性だって抱くことが出来るものですから、信用できませんわね」
そこまで言ってハッとする。
言い過ぎた。
殿下の目は先ほどと違う意味で鋭くなっている。爛々と輝いていたカーマインの瞳は今は冷えている。
「貴族の政略結婚なんて、愛情が伴わないことも多い。確かにそれでも必要なことだ」
「そうですね。言葉が過ぎたようです。お許しください」
そう頭を下げたが、肩に手を乗せられて顔を上げる。
先ほどとは違い、瞳には温度が灯っている。
「いや、怖がらせてしまったようでこちらこそすまなかった。ただ、これだけは覚えていてほしい。僕は伴侶となる女性は誰であろうと大切にする。今後、長い時間をかけて国を支えていくんだ。しっかりと信頼関係を作りたいんだ」
「素晴らしいですわ。国も、家族も大切にすることはとても大切で、でも難しいことですもの。陰ながら応援させていただきます」
殿下はそっとわたくしの頭を撫でた。少し驚いて見ると、ふにゃりとした笑顔を浮かべて去っていった。
わたくしはしばらく動けなかった。ただひたすら、殿下が優しく撫でた頭の感覚を思い出していた。
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