気分は宇宙に打ち上げられた猫ですわ
いくら休息を取るようにしていても、やることが多ければ日は過ぎていく。
卒業パーティーまでもう2週間を切っていた。それこそ、最後の詰めと言わんばかりに知識、マナーの総復習をする。
今日も王城で王妃様直々に教育してもらい、それはもうお互いに疲れるくらいに詰め込んできた。
この後は休むように王妃様から口酸っぱく言われている。まあ邸に帰って、復習する体力がないくらいには詰め込んだのでしっかり休むつもりだ。
王妃様とフレディ様に見送られて馬車に乗り込む。座ったら疲れを自覚したのか、眠り込んでしまった。
「へティ、へティ」
「ん……」
何かに揺すられて目を覚ます。目の前にはお父様がいた。
「起きたようだね。動けるかい?」
「お父様……わたくし寝てしまっていたのですね。大丈夫ですわ」
恥ずかしい。きっと御者がお父様を呼んでくれたのだろう。
「良かった。疲れているところ悪いんだが、実はこのあとディナーだからね。着替えた方がいいと思って」
「まあ、今日は何かあるのですか?」
「ああ。すこしディナーの席で話があるんだ。そのこともあってへティを出迎えたんだよ」
「ありがとうございます」
急いで部屋に戻り、着替える。
「ねぇ、エマ。今日はどんなお話があるのかしら? やっぱりパーティーのことかしら?」
「それはお楽しみですよ」
「そういうことはエマはある程度知っているのね」
「はい。仕事に関係ありましたので。けれどお嬢様は直前に知る方がいいと思いますよ」
「そうなの。では楽しみにしているわ」
そんな風に話をしながら着替える。
既に家族がダイニングに揃っていると聞いて焦ったけれど、もともとわたくしを最後にするつもりだったらしい。
いいけれど。わたくしは当主ではないのだが。まあ家族なので気にしない。
ダイニングに入り、あいさつをする。
「ヘンリエッタ、ただいま戻りました。お待たせしてしまい、申し訳ありませんわ」
「気にしないでほしい。さあ、座ってくれ」
「はい、お父様……え? 殿下?」
「さっきぶりだね。ヘンリエッタはここに座るんだろう? ほら」
「は、はあ……」
お父様の言葉に、顔を上げるとなぜか別れたばかりのフレディ様がいた。
そのフレディ様は全く気にすることなく、自分の隣を指す。この状態で割と下座の方にいていいのか。
そう思いながら周りを見ると、今まで以上に着飾っているお兄様とトミーが目に入った。そして2人の隣に不自然にある椅子。
ああ、なるほど。だからなのね。
フレディ様の隣に座る。フレディ様は微笑んで、耳打ちしてきた。
「すまないね。急に」
「いいえ。察しましたわ。高いうのは本人たちからの発表の方がいいですもの」
「ははっ、流石ヘンリエッタだ」
そこでお父様が声を上げる。
「さて、ここはアルフィーから話してもらおうか」
「はい、父上。へティ、トミー。紹介したい人がいるんだ。……とはいえ、トミーも同じみたいだけれど」
「そうですね。父上と母上には話していましたが、兄上にも姉上にも話してはいませんでしたのでこうなるとは驚いてます」
2人とも声が硬いから緊張しているんだな。ということはお父様とお母様がディナーで一緒に発表しようと計画したのか。
「お2人を捕まえた方はどんな方でしょう。さぞかし優秀な方ですわね。お2人とも、わたくしの自慢の兄弟なのですから」
そう笑顔で言うとお兄様は視線をそらし、トミーは微かに微笑んだ。
ああ、本当にトミーはいい人に巡り会えたらしい。良かった。
「それじゃあ、心の準備はいいかい? 特にアルフィー」
「ぐっ。レディに恥は欠かせません。大丈夫です」
「それじゃあ行きますよ兄上。レディを待たせてはいけません」
「トミーがなれている……」
2人とも、扉の前に立つ。ゆっくり扉が開くと、2人の女性が立っていた。
この2人もさぞかし緊張しただろう。そう思い、どんな人か目を凝らし……ついで溢れんばかりに開くことになった。
2人は優雅にカーテシーをする。
「この度、アルフィー・スタンホープ様の婚約者となりました。パトリシア・ディグビーですわ」
「トミー・スタンホープ様の婚約者となりました。アンジェラ・スコットですわ」
そんな予想外な人の登場に、しばらく動くことができなかった。
そんな固まるわたくしを他所に挨拶続く。
「ははっ。まさか我が子達3人とも婚約者ができるとは。いやぁ目出たい。めでた……ううっ」
「あなた。お客様の前で泣くのはよしてください」
「わ、わっ、わかっているんだが……」
「こんな涙脆い当主で申し訳ないわ。この人が泣いているのは、家族が増えることに対してだから安心してちょうだい」
「存じておりますわ」
「は、はあ」
お父様の号泣に、パトリシア様は冷静に、アンジェラ様は少し引いて答える。
「それに、へティ。貴女いつまで呆けているの。見なさい、殿下が笑いを堪えてらっしゃるわよ」
その言葉に、ゆっくりとフレディ様を見る。確かに笑いを堪えている。
そして今度は女性2人に目を向ける。パトリシア様は少し気まずそうにしている。
アンジェラ様は魔物襲撃事件のときにトミーと同じチームだった方のはず。ベージュの髪に錆色の瞳であの時より心なしか、強そうな光を湛えている。
婚約者。パトリシア様はお兄様の。
アンジェラ様はどうやってトミーと仲良くなったのだろう。
徐に立ち上がり、パトリシア様へ近づく。その様子をどこか不安げな様子で、見守っていた。
その相手の髪に触れる。頬に手を滑らせて、本当にパトリシア様だと認識した。
「ヘンリエッタ様、ちょっと……」
「パトリシア様はお義姉様になりますの?」
「っ……、え、ええ。そうなりますわね」
「本当に……まあ」
「わたくしもですが、アンジェラ様にも声をかけたらいかがです?」
言われてアンジェラ様を見る。
「トミーの婚約者なのね」
「そうですわ。あの時は命を救っていただき、感謝しております」
「まあ……わたくしの義妹になるのですね……」
なんだか現実感がない。気分は宇宙に連れ出された猫のようだ。
「ふっ……。侯爵、夫人、ヘンリエッタは現実から帰ってくるのに時間がかかるだろう」
「そうね。こんなに狼狽えるへティは初めて見たわ。食事にしましょう」
フレディ様に手を引かれ、再び席に着く。
食事が運ばれてくるのに、無心でナイフとフォークを動かす。もちろん、味がわからない。
「こ、ここまでへティが動揺するなんて。申し訳ない、パトリシア嬢」
「わたくしは問題ありませんわ。ただ、その、アンジェラ様は大丈夫ですの?」
「い、いえ。驚いております。あんなに気丈な方が……わ、私では務まらないとか……?」
「それはありませんよ。恐らくパトリシア嬢のことでキャパオーバーになったのだと思います。アンジェラ嬢のことも覚えていますし、それで驚いたのかと」
「そ、そうでしょうか」
「僕があまり話していなかったので、アンジェラ嬢は気にすることはありません。この場合、もっと早く言えと僕が言われるくらいです」
そんな会話が聞こえてくるけれど、右から左に流れていく。
会話に参加せず、気がついたらデザートが来ていた。その頃には、お2人の緊張はだいぶほぐれたようだ。
わたくしの思考回路も少しずつ動き出す。
「そろそろ2人とも身構えた方がいいよ。ヘンリエッタが暴走しそうだ」
「そう思うなら止めてくださいませんか、殿下」
「いや、面白そうだから」
パチっと音が鳴るように。思考がクリアになった。
そして2人に呼びかける。
「まあ……まあっ! 嬉しいですわ! パトリシア様がお義姉様! アンジェラ様も、トミーの素晴らしさに気がついてくれるなんて!」
「姉上、僕の母親みたいな発言になっています」
「お母様! 今日はお2人を我が家に泊めても良いですわよね! たくさんっそれはもうたくさんお話ししたいですわ!」
「ああ、始まった」
誰かの嘆きが聞こえた気がした。




