【幕間】公爵令息と男爵令嬢のデート①
――時は遡り、数ヶ月前――
メアリーは緊張のあまり、手が震えていた。
ここはキャンベル男爵邸。侍女達が化粧や髪を整えてくれて、いつもより着飾っている。
清楚に見える白のワンピースは、シンプルだけれど裾や袖口にレースが施しており、ふんわりとした雰囲気が彼女によく似合っている。
入学前後から伸ばし始めてようやく胸元まで届くようになった髪は、ストレートでそのまま下ろしている。
そして緊張を少しでも和らげるように、ヘンリエッタからもらったブレスレットを撫でる。
パトリシアに色々相談してみたものの、ありのままでいい、ダニエルが考えてくれたのだからそれを楽しめば良いと言われた。
紳士として、女性をデートに誘い、エスコートするのは彼の役目。つまり、腕の見せ所なのだから点数をつけるくらいの気持ちでいろということだ。
本当はヘンリエッタにも相談したかったけれど、妃教育が始まったことでとても忙しそうにしていた。
ヘンリエッタの性格を考えれば、すぐにでも相談に乗ってくれることはわかっている。しかし、今までにない状態のヘンリエッタに無理をして欲しくないという気持ちが強くなり、相談することは出来なかった。
準備が出来て、ダニエルが迎えに来てくれる間がとても長く感じる。
本当に、恐れ多い。確かに前世からの推しで、その姿を目におさめられるのは嬉しい。けれど前世でもそうだったが、メアリーは推しに自分の存在は認知されたくない派であった。それは今でも変わらない。しかし、ヘンリエッタ達と過ごして行く中でダニエルを避けるなんてことが出来るはずもなく。
幸福感とないまぜになった日々を過ごしていた。
そしてヘンリエッタの駆け引きもあり、ダニエルがメアリーに好意を抱くようになっている。
自惚れではない。何故なら、ゲームでのダニエルルートと同じ表情をしているからだ。それを違うと言えるわけがない。何故ならば、メアリーはダニエルの幸せを願っているからだ。恐れ多いと避けて、彼を傷つけるのは本望ではない。
それでも、彼の手を取るのは萎縮してしまう。
今回のデートも、彼に不快な思いをさせないか不安に感じてしまうところが大部分を占めている。
段々とマイナスな感情に支配されていく。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
入ってきたのは父親のキャンベル男爵。
「お父様」
「……可愛い。若い頃の妻を思い出すよ」
「お母様を?」
「ああ。メアリーは母親似だね」
そう言われて、胸が温かくなる。父親とのわだかまりが消えれば、こんなにも愛情を感じることができた。
緊張しているメアリーに、男爵は優しく声をかける。
「緊張しているね。……元々市井で暮らしていたし、相手は公爵家の嫡男だ。当然だと思う。けれどメアリー。私は君の幸せを一番に願っている。妻が残してくれた君を、世界で一番幸せにすることが妻への贖罪だと思っているんだ」
「お父様……」
「ダニエル殿は、メアリーをきちんと見て惹かれたのだろう?」
「そうです。それでも……私はダニエル様に釣り合うとは思えません」
「それは身分……が一番大きいのかな?」
「……はい」
視線を下に落とすメアリー。そんなメアリーの頭を優しく男爵は撫でた。
「メアリー。君はとても思慮深い子だ。そして頭も良い。どうしても、自分と関わることでのデメリットを考えてしまうのだろう。けれど、それはダニエル殿は分かっているはずだよ。分かっていて、それでもメアリーを望んでいるのだろう。彼は目先の利益だけに囚われる人間かい?」
「……いいえ」
「それじゃあ大丈夫だ。何より、メアリーだって彼のことを好んでいるのだろう? ……親としては、心のままに動いてほしいと思うよ。出来ることがあれば、なんだって協力するから」
「……お父様……。ありがとうございます」
それでも、この心は本当にダニエルに向いているのだろうか。ヘンリエッタと違い、前世の記憶が――特にこの世界での記憶が――あるメアリーにとって、本当に恋なのか自信を持って言うことが出来なかった。
……認められない、が正しいのかも知れない。
「まあ、これで絶対に婚約が決まるものでもない。気を張りすぎたら楽しめないよ」
「……ふっ。貴族社会では、一度の噂で決まってしまうこともあるのにお父様は楽観的ですね」
「メアリーがどうしても逃げたいなら、国を出ることも吝かじゃあない。一応、妻を探す過程でコネクションもいくつかあるんだ。無理ではないよ」
そう言っても、簡単なことではないはず。それでもメアリーのためならと言ってくれる、その優しい眼差しは信じることができた。
「お母様とはどのようなデートをしたのですか?」
「え?」
急に話題転換され、驚いた表情をする男爵。
「だって、私デートなんて初めてなんですよ。なんかこう、心構えというか気をつけるところとか聞きたいです」
「あ、ああ。そうだな……。初めての時はとても緊張したよ。昔から交流があるとはいえ、それでも初めては緊張した。考えたデートプランは変ではないかとか、楽しんでもらえるだろうかと考えていた」
「ふふっ。そうなんですね」
「ああ。けれど、妻は喜んでくれたよ。『勿論デートも楽しかったけれど、私のために一生懸命考えてくれたのが嬉しい』と言ってくれた。健気だと思ったよ。あの時の笑顔は今でも、鮮明に思い出せる。とても綺麗だった」
「青春ですね」
「……たまにメアリーがとても大人びて見えるよ」
「気のせいです」
「きっとダニエル殿も緊張しているだろうね。何せ、好いた相手を誘うのはとても勇気がいるから。きっとそれも良い思い出になるよ」
「そうでしょうか」
「ああ。失敗も、振り返れば後でいい思い出だったと振り返られるさ。まあ、ずっと先の話かも知れないけれど」
「お父様と話して、少し緊張がほぐれました。ありがとうございます」
「それは良かった。さあ、そろそろ来るだろう。楽しんできて」
「はい」
部屋から出たところで来客が来たと伝えられる。
玄関ホールに迎えば、顔が強張っているダニエル様が立っていた。
お父様がこっそり耳打ちしてくる。
「ほら、彼もとても緊張しているよ。それだけ、彼も真剣なんだね」
「お父様、私もまた緊張します」
その時ダニエルがこちらに気がついた。
男爵が挨拶をする。
「ダニエル殿。今日はメアリーをよろしくお願いします」
「キャンベル男爵。責任を持ってメアリー嬢をエスコートします。メアリー嬢、その…………似合っていますね」
「あ、ありがとうございます。ダニエル様も素敵です……」
ダニエルは茶色い髪を横に流している。服装は上質な仕立てではあるが、カジュアル寄りな服装だ。
それはダニエルルートに入った時のデートの服装だった。しかしメアリーの心は、推しに会えた喜びというよりはこれからのことに胸を高鳴らせている。
しかも赤面しながら誉められたことで、いよいよ沸騰しそうに顔に熱が集まる。これからが本番だというのに、今からクライマックスな甘い空気を出す2人をキャンベル男爵は微笑んで見守った。
「それじゃあ気をつけていってらっしゃい」
「はい、お父様。行ってきます」
ダニエルも男爵に頭を下げて、メアリーをエスコートする。
馬車に案内されるが、公爵家の家紋がある馬車ではなくシンプルな作りだった。
ふと、ここでデートの時の馬車はバーナード公爵家の家紋が大きく装飾されたものだったような、とメアリーの頭の片隅にあったが、手から伝わってくるダニエルの体温が高いことに胸が音を立てたことですぐに消えてしまった。




