慣れの速度が早いと思いますわ
「あー、うゔん。へ、ヘンリエッタ……じょ……違う。ヘンリエッタ」
「はい、……フレディさま」
お互いぎこちない。わたくしもスムーズに名前を呼べていない。
いや、これは時間が経てば慣れてくるはず。
「まあ、あれだ。お互い好きなものを言っていこうか。それで会話していこう」
「お互いの好きなところ⁉︎」
「ち、違うっ! そうではなく、なんでもいい! 好きな色とか、好きな食べ物とかそう言うことだっ」
「も、申し訳ありません。早とちりしてしまいました」
「あ、いや。こちらこそ、大きな声を出してしまってすまない」
緊張のせいか、とんでもない勘違いをしてしまった。どんな羞恥プレイだ。
お互い元々赤かった顔をさらに赤くしている。もう少し熱くなったら、湯気が出てきそうな感じだ。
「え、えっと。そうですね。わたくしが好きな色……自分で言うのも恥ずかしいですが、この翡翠色は好きなのです。ただの緑ではなく、1滴青を落とし込んだような色が綺麗で」
「ああ、ヘンリ、エッタの瞳の色はとても綺麗だと僕も思う。それに、ヘンリエッタの瞳は色だけでなく、なんというか意志の強い時などは煌めいて見える」
「え、そうですの?」
「ああ。蒸し返すようで申し訳ないが、魔物襲撃事件の時のヘンリエッタも瞳がとても印象的だった。今でも目を閉じると鮮やかに浮かぶよ。そう思うと本当に無事でよかったとも思う」
「まあ。それはなんというか……」
「そういえば、初めて顔合わせした時も瞳に吸い寄せられたような気がする」
「えっと」
あれ、なんだかわたくしにとってまずい方向に進んでいる気がする。
けれど、殿下、じゃないフレディ様は思い出すことに夢中になっているのか、気がつくことなく話を続ける。
「ああ。あの頃のヘンリエッタは、同世代の子たちとは雰囲気がまるで違ったよ。かなり落ち着いて見えた。元々、高位貴族の子息たちも多いから皆、落ち着いてはいるのだけれど、その中でも君は別格だった」
「ま、まあ、確かにあの頃は前世の記憶も今より鮮明でしたし。確かに精神的には12歳ではなかったですね」
「ああ。そしてパトリシア嬢との初対面の時のあの対応。事を荒立てることなく、なおかつお互いが不利にならないよう立ち回ったのがすごいと思った。その後、ヘンリエッタから親睦を深めようと動いていたのにも驚いた」
「あれは正直に言いますと、パトリシア様があの頃から殿下を慕っていらっしゃるのがわかったので、味方につけたいと言う気持ちがあったのです」
「……名前」
「あ、失礼しました、フレディ様」
「うん、そう聞くと納得がいくよ。いや、あの頃は分からなかったけれど、今のヘンリエッタを見ていると計算して動いていることが多いし」
「それにしても、わたくしは本当に初めからフレディ様の目に止まってしまっていたのですね」
「いや、実を言うと、君が気配消すのがうまくてしばらくの間、目に留まっていなかった」
「意外ですわ。ああでも、確かに最初の頃はうまくいっている自信がありましたわ。途中からおかしいと思うくらいでしたもの」
気がついたら、昔を懐かしむ会話になる。
ホッとしながら、会話を続ける。
「初めの頃は、それこそ名前と家柄を覚えないといけなかったからね。交流会とは名目の、将来の婚約者を決める集まりだったから」
「そうですわね。フレディ様の将来の伴侶、すなわち王妃ですもの。好みだけでは選べませんものね」
「ああ。そしてある程度覚えたところで思い出したんだ。一人、あまり把握できていない人物がいるとね」
「ああ、今は良かったと思いますが、当時はとても焦りましたわ。そこに気がつくのも流石です」
そういえば、と思ったことを言う。
「将来の王妃で思い出しましたが、立太子の儀は学園を卒業されてからですよね?」
「ああ。そうだね。ほぼ決まりではあるのだけれど、儀式は基本的に時期を決めている」
「わたくし個人の意見としては、不思議に感じてしまいますわ。今は王位継承権のある人物はフレディ様だけなのに」
「そこはね、まあ言ってしまうと無用な争いを避けるため、と言うことかな。あまり幼い時から立太子してしまうと、傀儡にしようとしたり暗殺しようとしたりと言う事例が過去にあったらしいから」
「ああ……今が平和な時代ですから失念していましたわ」
今はフレディ様に対して、“王太子“と言うのは適切ではない。そのことを言ってしまえば、教養のないものとして扱われてしまうからだ。
今のわたくしの発言は、教養がないものとして見られてもおかしくない。うん、限りなく黒に近いグレーだ。
「皆、そこは疑問に思って当然だね。と言うか口に出さないだけで、思っているはずだ」
「ふふ、まるでわたくしの心を読んだように言うのですね」
「うん、最近ようやくわかるようになってきた。それにあまり大声にして言う内容ではないからね。当主たちは知っている者も多いけれど、僕たちの年代では知らない者がほとんどだ」
「それが事実なら少し安心ですわ。聡い方であれば気がついていそうですが」
きっと妃教育でも、その辺りのことを習っていくのだろう。
ふと会話を重ねて、お互い名前を呼ぶのに慣れてきたことに気がつく。順応が早いと我ながら感心する。
フレディ様も、最初の頃より緊張がほぐれているのだろう。堅苦しい雰囲気も霧散している。
「なんだか喉が渇いたね」
「ええ。緊張が緩んだら喉が渇きましたわ。準備させましょう」
「また僕が淹れてもいいのだけれど?」
「あら、流石に何度も淹れていただくのは忍びありませんわ」
「結構楽しんでいるのだけれど」
「ふふ、その機会はこれからもたくさん訪れますわ。楽しみというのは後にとっておくのも良いでしょう?」
「……そうだね。これからも機会はあるか。それじゃあ今回は見送ろう」
「っええ」
なぜにそんなに甘い蕩けたような笑みを見せるのです。危ない、殺傷能力があるかもしれない。
誤魔化すように、侍女にお茶を淹れてもらうように頼む。
「ふふ、顔が赤い」
「っ⁉︎」
耳元で囁かれる。いつの間に近づいてきたのです⁉︎ という言葉は出なかった。
というより、殿下も先ほどまで照れていましたよね⁉︎
なぜにそんな、色気ダダ漏れになっているのです⁉︎
わたくしの混乱は伝わっているはずなのに、殿下は意に介した様子はない。むしろ楽しんでいる。
「で、殿下、近いです。離れてください」
「名前」
「フレディ様っ」
「ああ、なんだか、当たり前のように未来のことを話してくれるものだから嬉しくて」
いや、ちょっと意味がわからないです。普通の会話でしたよ?
「ふ、普通の会話でしょう?」
「僕からしたら、嬉しいことだよ。本当にヘンリエッタと一緒いれるんだな、と実感が湧くんだ。いかんせん逃げられ続けたせいかな?」
そう言いながら、髪を一房掬い、キスを落とす。
感覚はないはずなのに、背筋に甘い痺れが走る。急にいつの日か、壁際に追い詰められた日を思い出す。
あの時と違い、フレディ様は猛獣のような表情ではなく、蕩けそうな表情をしている。
わたくしとしてはどっちにしても心臓に悪い。
「今回は、そんなふうに反応してくれるんだね。うん、本当に意識が変わったんだね」
同じことを考えていたらしい。それすら、恥ずかしかった。
「あの時も心臓は爆発しそうでしたわ」
意味は違うかもしれないけれど。
「あの頃は僕も余裕がなかったからね。チャンスができたから必死で仮面も剥がれたよ」
「その一人称ですね。そろそろ離れてください」
「ああ。僕は意識してないけれど、雰囲気も変わるらしい。まあヘンリエッタの反応を見て納得したけれど」
「フレディ様、離れてください」
お願い。そろそろ本当に心臓が爆発する。
なのに、離れる気配は一向になかった。




