話しましょう
殿下の淹れたお茶は、傍目には特に変わりない。
香りもとても良い。香りを楽しんでから、お茶を一口飲んだ。
「まあ。とても美味しいですわ。本当に練習されたのですね」
「いや、ヘンリエッタ嬢。先に私が飲むものだろう?」
「あら。常識を説くのなら、そもそもわたくしがホストでおもてなしするものですわ。そこを外れた行動をしているのですもの。なんら不思議ではないでしょう?」
わたくしの反論に、何もいえない殿下。
ふふふふふ。最近やられっぱなしが多かったから、ちょっと嬉しい。
「それにしても殿下はなんでもこなすのですね。お茶まで淹れられるなんて凄いですわ。侍女に聞いたことがあるのですが、注意するべき点が多くてコツを掴むまで時間がかかるとの話でしたわ」
「確かに大変だったな。最初は渋かったり、逆に薄かったりしたものだ」
「いつ練習されたのです?」
「それは内緒だ」
「ふふっ。残念ですわ。せっかく殿下を身近に感じられるかと思いましたのに」
「う」
「そこは揺らがないでくださいな」
格好つけたいのではなかったのか。複雑な男心というものか。
「いや、まあ、うん」
ゴニョゴニョ言っておられる。どうしようか。
「こちらのお茶菓子はどうされたのです?」
仕方ないので話題を変える。
殿下も咳払いして答えた。
「これは王都で流行っているものだよ。今回用意したのは日持ちするようなものばかりだけれど、生菓子も有名なんだ」
「まあ。わたくしは存じ上げませんでしたわ」
「ヘンリエッタ嬢のお菓子は基本手作りだね」
「ええ。さすがに調理場に立つことはしていませんでしたが、シェフたちとメニューを考えたりはしていました。良いコミュニケーションですの」
「使用人とは仲良くしない方がいいという風潮もあるけれど?」
「それはその邸それぞれではないでしょうか。特にまだ王国治安が不安定だった頃は、使用人たちが弱点になることを避けるために関係を深めないようにしていたのでしょう?」
「後は裏切られる可能性もあったからね」
「そうですわね。政略やらなんやらでそんなこともありましたわね。けれどそれこそ、信頼関係を築けば解決できるのではないでしょうか?」
「どうだろう。使用人が弱みを握られてしまったら?」
「なるほど。けれどその場合、往々にして態度に現れると思います。信頼関係があれば、騙すことへの罪悪感。それにプラスして、弱みを利用されるのではないかと言う恐怖などでちょっとした仕草に現れてしまうと思いますわ。問題は元々向こうが信頼関係を築こうとしなかった場合です」
「確かにその通りだ。流石、人の機微に聡いヘンリエッタ嬢だね」
「いいえ。実際は自分の感情にも惑わされるでしょうし、そんなにあっさりわかるとも思えませんわ。所詮は机上の空論というものです。……そう言う殿下は、使用人との距離感はどうしていますの?」
「私はある程度は距離を縮めているかな。しかし、どうしても王族となると全てを信用するわけにはいかない。だからある一定のラインは超えないようにしているよ」
「特に王族は敵を作りやすいですものね。どんなに素晴らしい人でも」
「ああ。結局、全ての人を満足させることなんて不可能だからね。とはいえ、それがやらない理由にはならないけれど」
「そうですね。もどかしさは感じますわ」
どうも殿下と話すと堅苦しい話ばかりになってしまう。
手紙もそんな感じになってしまうし、緊張するあまりそう言った話になってしまうのかしら。
「すまない。どうも堅苦しい話をしてしまうな。ヘンリエッタ嬢と話すと今までと違う視点で見えたり、ヒントを貰えるからつい。つまらないだろうか?」
「いいえ。殿下の為になるなら、嬉しいですわ。ですが今のわたくし達に必要なのは個人の内面ということでしょう?」
「そうだね。そのことを話したいと思っているのに、上手くいかないんだ」
「わたくしもですわ。ついズレてしまうというか、ふふっ似たもの同士かもしれませんわね」
「ははっ。そうだね」
似たもの同士で思い出した。
「堅苦しいといえば、一つお聞きしたいのです。お手紙のやりとりをしていますけれども、他の方々ともああいう感じなのでしょうか?」
「ああいう感じとは?」
「なんだか事務的……いいえ、内容は普通だと思うのですが、文面が硬いと言うか」
「……いや、他の令嬢とは特にそんな風に言われたことはなかった」
「そうなのですね。わたくしも殿下との手紙だけそんな風になってしまっていたので、少し悩んでいたのです」
「そうか……。すまない、気がつかなくて」
「いいえ。わたくしもパトリシア様へのお手紙を書いた後に気がつきましたの。内容は普通なのに驚きましたわ」
殿下自身も気がついていなかったのか。
「ちなみに違いはなんだったんだ?」
「字が違いましたわ。全く意識していなかったので、見つけた時はとても衝撃を受けましたの」
「字が……ああ、なるほど」
「何か心当たりがあるのですね?」
「そうだね。今日ヘンリエッタ嬢に来てもらったことと関わりがある」
「はい」
いよいよ本題だ。あれ、待って。わたくしから時間を作ってほしいと言ったのだし、わたくしから話すべきだ。
慌てて、殿下を止める。
「お待ちください。今回、お時間を作っていただきと言ったのはわたくしですわ。なのでわたくしからお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……しかし、私も話をしたいと思っていた。そう言う意味では順番が違っただけだと思う」
「そうなのですか?」
「ああ。だからまずは私の話を聞いてくれないだろうか? そのためにも今日、もてなさせて貰っていると言うのもあるから」
「わかりましたわ」
「ありがとう」
そこで殿下は手を組んだ。少し息を吐いて話し始める。
「ヘンリエッタ嬢も、パトリシア嬢から聞いているだろう? そろそろ私の婚約者選定の時期が迫っている」
「はい。そして、パトリシア様が婚約者候補から降りたと聞きましたわ」
「そうだ。まず、結論から入ろう。ヘンリエッタ・スタンホープ侯爵令嬢。私の婚約者……未来の伴侶となってはくれないだろうか」
赤い瞳が私を射抜く。心臓が大きく跳ね上がった。
テーブルの下で手を握り締める。
本当に殿下は、気持ちが変わっていなかったのだ。婚約者の打診をしてくるために、ここまで来たのだ。
喜びが全身を駆け巡る。しかし、すぐに返事を出してはいけない。わたくしも話さないと。
「……光栄ですわ。しかし返事をする前に、話させてください。本当にわたくしでよろしいのですか? わたくしは――」
「僕はずっと、初めて会った時からヘンリエッタ嬢しか見ていなかったよ」
「っ!」
あまりにも真っ直ぐな、そして想いの篭った言葉に何もいえなくなる。
視界が勝手に滲んで、殿下の表情がわからない。
「ヘンリエッタ嬢だって、それがわかっていたからあのような行動をしていたのだろう?」
「……その通りですわ。なのになぜですか?」
「今のヘンリエッタ嬢ならわかるだろう? 恋をしていたからさ」
「あ……」
どうすればいいのかわからず、首を横に振る。
そんなわたくしに、殿下は椅子から立ち上がってわたくしのそばに来る。
膝をついて、手を取るその姿は、まるで騎士のようだ。
王族に膝をつかせるなんて、あってはならないのに言葉が出ない。
「周りから話を聞いて、ヘンリエッタ嬢が罪悪感を抱いているのはわかる。けれど、君が思うより周りは君を想っているんだ。だから、どうかヘンリエッタ嬢の気持ちを僕に教えて欲しい」
滲んだ視界にも、殿下が微笑んだことがわかった。
やっとここまで来ました……




