わたくしの知らないところで外堀を埋められています
そのあとは途中まで何事もなく、過ごした。
夕食の際など特にお母様に聞かれるかと思ったけれど、そもそも殿下がいるところでわたくしに聞くわけにもいかないだろうし、特に詮索されることはなかった。
もしかしたら、後は静観する構えなのかもしれない。
殿下とは夕食後に明日の時間の確認をして、解散した。
今話したところでと言うこともある。明日、色々話そう。
それよりも、寝る前の準備が大変そうだ。
部屋に戻るとエマを筆頭とした侍女たちが、手をワキワキさせながら近づいてくるのを見て、遠い目になってしまう。
「あ、あら? いつもなら、その日に準備していないかしら?」
「ええ。そうです。しかし、もう予定が決まっているでしょう? 本来であれば常日頃気を使いたいのですが、お嬢様が乗り気ではなかったので」
「まあ確かに。学業が忙しかったし、色々あったし……でもエマはやってくれていたと思うのだけれど」
「な・の・で、殿下という殿方もいる状態。ここは侯爵令嬢として、隅から隅まで磨きましょう! 殿下もお嬢様の新たな魅力にメロメロになるに違いありません!」
「そ、その、そこまでする必要は……」
「何をおっしゃいますか! お嬢様、まずは殿下をお嬢様の虜にしなくては!」
「ま、まあ確かに一理あるわ。けれど、お願い。その臨戦態勢を治めて頂戴」
懇願も虚しく、お風呂場に連行され、隅から隅まで磨かれる。
マッサージやら香油の香りやらリラックス効果も抜群だったけれど、終わった頃には疲労感も凄まじかった。
そんなこんなで、ベッドに入った記憶も曖昧になるほどに、すぐに眠りに落ちてしまった。
◇◇◇
次の日の朝も大変だった。起こされて身支度を整えるけれど、いつもよりずっと手間がかかっていた。
と言うかわたくしはただ身を任せているだけのはずなのに、どうしてこうも疲れてしまうのか。
そして反比例するようにエマ達が元気になっていくのが解せない。
普通逆だと思う。
「本当は昨日、お嬢様とドレスについてお話ししたかったのですが、お嬢様が寝てしまわれたので」
「それは申し訳ないと思っているわ」
「なので僭越ながら、我々で決めさせて頂きました!」
本当に勢いがすごい。こんなものだったっけ?
「そ、そう。どんなものかしら?」
「こちらです! やはり今回のことはきっとお嬢様にとって、大きな転機になると思うのでご自身に自信が漲るように赤のドレスなんていかがでしょう!」
「赤……今まできたことなかったわ。オレンジなら着たことがあったけれど」
確かあの時は補色になるように選んでいた気がする。パトリシア様とお友達になろうとした日だわ。懐かしい。
「けれどわたくしの髪と瞳の色では、赤色が浮かないかしら」
「ご安心を。お嬢様にぴったりなように、細部にまでこだわりがあります。真紅一色というわけではなく、グラデーションのようにもなっておりますし問題ないかと」
差し出されたドレスは、確かにグラデーションになっていた。同じ赤でも上半身は明るめの赤。下にいくにつれて深みのある赤に――
「待って、さすがにこれは」
「まあっ。なぜですか? お嬢様にぴったりだと」
「いえっ。勝負服で赤というのは納得がいくわ。けれどこの赤の使い方はダメよ! だって」
自然と声が大きくなる。
「殿下の瞳と髪の色じゃないっ」
「まあ、気がつかれてしまいましたか」
「なっ」
知っててわざとこのドレスにしたと⁉︎ プレゼントならまだしも、自分から相手の瞳と髪の色を纏うなんてどういう神経しているのだ。
「気がつかれてしまったのなら仕方ありません。これは殿下が用意されたドレスです」
「はい?」
「殿下がお嬢様にと手配したのです。なので今日着ることが、1番よろしいかと」
「え、殿下が? いつ?」
「ここにいらっしゃった時です。お嬢様がアメリア様とお話しされている時ですね」
「ということはお母様もわかっておられたのね。もう、なんで今回そんなに計画的なの。もういや」
思わず逃げ出したくなってしまう。いつからこの計画は始まっていたのだろう。きっとドレスもオーダーメイドだろう。
自惚とかではなく、殿下の性格上、こだわりが反映されるはずだから。
採寸? もちろんお母様が情報を流したのでしょうよ。
「お嬢様、ここは腹を括るべきです。お嬢様の今までの対応で、絶対に逃さないと殿下がロックオンされたのでしょう。つまり、外堀が着々と埋められているのです」
「本気になった殿下から逃げるなんて無理なのに……そんなに必死になるなんて」
「恋は盲目と言いますし」
「やめてちょうだい」
自分から言い出したことではあるけれど、誘導されていたのではないだろうか。
それに周りにここまで干渉されるのは、さすがに居心地が悪い。
できれば当事者同士だけで、見守ってほしい。
「はあ……それができなかったから、強硬策に出ているとも考えられるのね」
つまり、わたくしの自業自得ということか。
あああああ。この後の展開を考えると気が重い。自分で決めたことなのに。
「さあ、お嬢様、覚悟を決めるのです!」
「はあい……」
もうされるがままだ。どうにでもなれと、思考を放り出した。
◇◇◇
殿下とのお話をする場所は、お決まりの庭園だ。あれだ、景観が良いと話題が詰まった時もなんとかなると思う。
服装は拒否できるはずもなく、赤いドレス。恥ずかしい。色々な思惑のせいで。
しかしそんなことはおくびにも出さない。ここまできて感情を曝け出すのは、淑女のすることではない。虚勢だろうが、やりきって見せようではないか。
そんな風に思いながら(半ばやけくそになりながら)指定された場所にたどり着くと、すでに殿下が待っていた。
そもそもこれもおかしい。普通ならわたくしがホストのはずだ。なのに、殿下が全て手配している。
わたくしが招かれる側になっているのがおかしい。
「お待たせいたしました」
「いいや、大丈夫だ。ここの花が美しくて、見惚れていたからね」
「まあ。庭師が喜びますわ」
「しかし、ヘンリエッタ嬢が来たら、花たちが霞んでしまったな。とても綺麗だ」
「お上手ですこと。そんなに褒めても何もでませんわよ?」
「嫌だな。本心を言ったまでなのに。さあ、レディをいつまでも立たせているわけにはいかないな。どうぞ座って」
「ありがとうございます」
ああ、すごく安心する。このTHE 社交辞令みたいなやりとり。
ご挨拶のようなものだからこそ、平常心で対応できる。殿下の熱い視線に気がつかないふりをしながら思った。
「殿下、お忙しいところお時間をいただき、恐縮ですわ。本来であれば、わたくしがおもてなしするところを殿下にしていただいて申し訳ありません」
「いいや。私がやりたいとわがままを言わせてもらったのだ。むしろ謝罪するのはこちらだよ」
そう言いながらお茶を用意する殿下。え? 殿下がお茶を用意している⁉︎
「殿下! いけませんわ。それは侍女が」
「いいじゃないか。一応お茶を淹れる練習はしたんだ。問題なく飲めると思うよ」
「そういう問題では」
「今日はどうしても2人で話したくて。お茶を入れてもらうことにしたら、2人きりではないだろう? 長い話になるだろうし」
いえ。元々婚約者と確定していない、未婚の男女が2人きりになることはありません。それは醜聞です。
それにいつも話が聞こえないくらいに距離をとってくれているのに。そういえば確かに見える範囲に侍女や護衛がいない
「殿下、さすがに無防備すぎませんか?」
「何も考えてないわけではないよ。ちゃんと何かあった時のために対策はしている」
「どのような対策ですの?」
「それは教えられないな。……さあ、どうぞ」
会話をしながらスムーズに淹れていた。本当に練習したんだ。
ここまでされて、口うるさくいうのもどうかと折れることにした。




