クッキー事件⑥
静寂。
いいや、自分の心臓の音だけが響いている。
相手にもこの音が聞こえていそうだ。
しかし熱に浮かされたままのわたくしから、熱が離れていく。寒くないはずなのに、ふるりと体が震えた。
ゆっくり目を開けて、息を呑む。切なそうな、何かを堪えるような表情の殿下がそこにいた。
「でんか……?」
「そんなに切なそうな表情をしないでくれないか。……我慢が効かなくなりそうだ」
自分の方がよっぽど切なそうな表情をしておいて、何を言っているのだろう。
どこか現実離れした思考の中、そんな風に思った。
殿下はゆっくりと、ぎこちない動きでわたくしから距離を取る。せめてと言わんばかりに髪に口づけを落とされて、離れた。
「……ダニエルたちを起こそうか。多分、まだ起きてはいないはずだから」
ぎこちない笑顔でいう殿下に、わたくしは急速に現実に戻ってきた。
わ、わたくしっいくらパトリシア様たちが気絶しているからって、なんてことっ!
そもそも、友人をほったらかして、何を……‼︎
顔が赤くなる。なんなら沸騰しているのではないかと思うくらいに、身体中が熱い。
猛烈な自己嫌悪に襲われる。
「〜〜〜〜〜〜っ‼︎」
何を言いたいのか、自分でも分からない。叫び出したい衝動に駆られた。
「少し席を外すかい? 僕がなんとかしておくけれど」
それはありがたい。今のままでは、おそらく目覚めたパトリシア様たちに何かあったと勘付かれてしまう。
けれど、離れるのも怪しまれるのでは。
悩むわたくしに、殿下はさらに言葉を重ねる。
「それに……そんな表情は他の人に見せたくないな。僕だけが知っているだけで良い」
「はっなっ……ば!」
ようやく出た声も、言葉にならない。そんなことを言われて動揺しない人間がいたら見てみたい。
これ以上熱くなれないはずなのに、さらに体の体温が上がった気がした。
「落ち着いたら戻っておいで」
こくこくと頷いて、離れることにした。
とにかく、1人になれるところ。周りの目も無いところ。
そんな風に考えて辿り着いたのは、トイレだった。鏡に映った自分に、驚いてしまう。
のぼせたように、顔を赤くして目が潤んでいる。
まだ熱い体から熱を逃すように、息を吐く。自分で言うのもなんだけれど、色気が凄い。
けれど自分を客観的に見れたことで、少し落ち着いてきた。
本当なら顔を洗いたい気分だけれど、流石に自重しておく。気休めにと、手を洗った。
いつもより水が冷たく感じれて、気持ちがいい。
だいぶ冷えたところで、顔に手を当てた。ようやく顔の赤みも引いてくる。
「はあ……。わたくしったら何をしているのかしら……」
ポツリと溢す。完全に空気に呑まれてしまった。
あんな、自分から受け入れるようなことをしてしまうなんて。
思い出せばまた顔が火照りそうだったので、頭を振って思考を追いやる。
「それにしても殿下は凄いわ。あそこで踏み止まれるのだもの。鋼の理性でも持っていらっしゃるのかしら」
ナルシストではないけれど、わたくしは整った容姿をしている。制服を着ているので体のラインは分かりにくいけれど、あれだけ密着していれば胸とか当たっていたと思う。それでも止まれたのだから、感心するしかない。
ああ、また考えてしまうわっ。これじゃあ戻れないじゃない。
落ち着かないと。
そうだ。パトリシア様とメアリー様に、問い質さないと。先日のことと言い、本当に2人が企んでいるなら文句を言わせていただきたい。
あと殿下のいう通り、パトリシア様の本心が分からない。
普通に考えるのなら、自分の思い人と他の女が仲良くしているところなんて見たくないと思う。
パトリシア様はわたくしとライバルになりたいとは言っていたけれど、これは大丈夫なのだろうか?
パトリシア様の精神状態も心配だし、今度話をしたい。
そんな風に切り替えて、ようやく皆のところに戻ることが出来た。




