クッキー事件④
メアリー様がおぼつかない足取りで、ダニエル様の前までやってくる。
そんなメアリー様を見て、ダニエル様は顔を赤くした。
「メアリー嬢……」
「だ、ダニエル様っ」
おお。なんだかここだけ切り取れば、素晴らしい歌劇のワンシーンのようだ。
まるで長らくすれ違っていた恋人たちが再開したような、そんな甘酸っぱさを感じる。
というか、ダニエル様。わたくしの時と反応が違いすぎやしませんか。
わたくしの時は百面相をしていたのに、今は照れ一色だ。まんざらでもなさそう。
これは……ダニエル様ってポーカーフェイスで鉄面皮のイメージだった。メアリー様の前でそれが取れると言うことは……。
もしかしてもしかして?
先ほどの苛立ちから一転、ニヤつきたい衝動を必死に堪える。ここでわたくしが実は揶揄っていましただと、2人が辞めてしまう可能性がある。
ここは2人のためにも堪えて、ミッションコンプリートしてもらわなければ。
しかし、ここで思わぬ邪魔が入る。
「ヘンリエッタ様、流石にメアリー様が気の毒ですわ。そろそろお許しに……」
「では、パトリシア様が変わって差し上げれば良いのですわ。しかし、パトリシア様は殿下の婚約者候補。流石にダニエル様では良くありませんわね。殿下にしますか?」
「ふぐぬっ」
令嬢らしからぬ、なんとも言えない声をあげて固まるパトリシア様。
一瞬メアリー様が助けを求めるようにパトリシア様を見つめるが、俯いてしまったのを確認して絶望的な表情をした。
その様子を見て、思わず頬が緩んでしまう。他人の不幸は蜜の味とはこのことか。
おーほほほほ。もうこれは悪役令嬢と言われても致し方ないですわ。
ここまで走らせたのも皆様。こうなったらわたくしは今日、悪役として君臨してやりますわ!
今日限定でね!
あと殿下! この状況で、わたくしと同じように面白がっていますわね⁉︎
空気のようになっているなと思ったら、口元に手を当てて震えているではないですか!
殿下もやはり腹黒ですわ! ……あら。この状況ってわたくしが中ボスで、殿下が真のボスみたいではありませんか?
わたくしが表立って動いて、その様子を見て楽しむ殿下……。うん、ボスですわ。
いよいよ覚悟を決めたのか、メアリー様が目を閉じながらダニエル様にクッキーを差し出そうとしている。
まだクッキーはダニエル様の胸あたりですが。
ダニエル様っ。そこは屈んで食べてあげてください!
そんな風に念を送っていると。
「全く……。ダニエル。身長差があるんだから、そのままだとメアリー嬢が辛いだろう。仕方ないから、私がお手本を見せてあげよう」
いつの間にか、わたくしの後ろに移動していたらしい殿下。表情を取り繕ってはいるけれど、口の端が震えていますよ?
というかお手本と言っておきながら、なぜわたくしの後ろに?
その疑問はすぐに解消されることになる。
わたくしの手を握ったかと思うと、持ち上げていく殿下。
その手には、先ほどダニエル様に押し付けようとしていたクッキーが挟まっている。
え、と思う間には、クッキーは殿下の口の中へ。先ほどとは違い、ぬるりとした感触が指を包み込む。
ぞわりとした感触に、声が裏返ってしまった。
「ひゃっ」
こ、こいつ! 指舐めやがった‼︎ 恋人でもないのに変態か!
今世では使ったことのないレベルの暴言が、体の中で荒れ狂う。驚きすぎて声が出ないのが幸いだ。
渦中の殿下は、とても満足げな表情をしている。
もう我慢ならんと、口を開いたその時。
「きゅうぅ」
「ああ……これが本物のアーン……もう思い残すことはない……」
可愛らしい叫びをあげたパトリシア様と、遺言(?)を残したメアリー様が倒れ込んでしまった。
え、嘘⁉︎
「パトリシア様⁉︎ メアリー様⁉︎ しっかりしてください!」
殿下の手を振り払い、2人に駆け寄る。呼びかけても、返事はない。
「あ、ダニエルも限界みたいだ」
殿下の言葉にそっちを見れば、白目を剥いているダニエル様。白目剥いててもイケメンって、イケメンなんだ。ではなく!
「もうっなんでこんなことに! 殿下のせいですわ!」
「うん、今回は僕のせいということで良いよ。その分ご褒美も貰えたし」
「ご褒美って……やはり変態ですの?」
思わず本音を言ってしまったが、殿下はより笑みを深めて言った。
「そうだね。ヘンリエッタ嬢限定なら、変態と言われても構わないよ」




